らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

北方領土の日

2011-02-07 | 時事
今日2月7日は「北方領土の日」です。

北方領土の日とは、「北方領土」問題に対する国民の関心と理解を深め、全国的な北方領土返還要求運動の一層の推進を図るために、1981年(昭和56年)1月6日の閣議で、2月7日を「北方領土の日」とすることを決定したものです。
この2月7日は、安政元年(1855年)伊豆の下田で日露通好条約が締結され、択捉島とウルップ島の間に国境を定め、択捉島以南の北方4島が我が国の領土として国際的にも明らかにされた歴史的な意義を持つ日であり、平和的な話し合いの中で領土の返還を求める「北方領土返還要求運動」推進の目的に最も合った日として設けられたものです。

しかし、北方領土は日本固有の領土と云いながら65年間一向に返還交渉が進まない中、昨年の尖閣諸島事件以降、ロシア政府は実効支配を誇示するために、日本に対して強硬姿勢を見せ始めました。
そのあからさまな行動が、昨年のメドベージェフ大統領の国後島訪問であり、今月4日のセルジェコフ国防相の国後島と択捉島の訪問に現れています。
マスコミの報道によれば、その背景として、民主党政権がロシアとの「政治の対話、特に高いレベルでの対話がきっちりとした形で継続的に行われてこなかったことが指摘されており、それに加えて、「公の形でお互いの感情に響くような発言が(日ロ)双方からあった」ことが、ロシアの強硬姿勢につながっているとの見方も示しています。

北方領土の歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島です。(北海道HPより)
       北方領土の地図

参考までに国境の取り決めの推移についてご紹介します。(北海道HPより)
①日露通好条約
 1855年(安政元年)の日露通好条約において日露両国の国境は択捉島と得撫島に決められ、択捉島から南は日本領土とし、得撫島から北のクリル諸島(千島列島)はロシア領土と確認しています。
              日露通好条約の際の国境線

②樺太千島交換条約
 1875年(明治8年)、樺太千島交換条約で、日本は樺太を放棄する代償としてロシアから千島列島(得撫島から北の18の島々)を譲り受けました。
              樺太千島交換条約の際の国境線
              
③ポーツマス条約
 1905年(明治38年)、日露戦争後のポーツマス条約によって、北緯50度以南の樺太が日本の領土となりました。
              ポーツマス条約の際の国境線

④サン・フランシスコ平和条約
 1951年(昭和26年)、サン・フランシスコ平和条約によって、日本は千島列島と北緯50度以南の南樺太の権利・権原及び請求権を放棄しました。
 しかし放棄した千島列島には固有の領土である北方4島は含まれていません。 

この北方4島はかつて一度も外国の領土となったことはなく、日本が固有の領土と主張する根拠はここにあります。

            サンフランシスコ平和条約の際の国境線


一昨年の政権交代以降、国民の期待を裏切り続けている民主党政権は、内政のみならず外交面においても対中、対米、対ロいずれも悪化させており、日本の存在感がますます低下しています。
今や日本はこの政権によって、最少不幸社会どころか最大不幸社会の道をまっしぐらに進んでいるように思います。
20%台の支持率が示す通り、国民は菅総理を見放しています。総理大臣が”空き菅総理”と揶揄されるようではその資質を疑います。
日本を立て直すためにも菅総理には一日も早く退陣するか、それとも国民の信を問い直して欲しいものです。