rai info/ライ・ニュース 034

DECES DE CHEIKHA RIMITTI 
 「ライの母」シェイハ=リミッティが5月15日14時50分、心臓発作のため亡くなりました。第一報に場所が明記されていませんでしたが、おそらくパリだと思います。83歳の誕生日を祝った一週間後の逝去でした。
 アルジェリアの人々、世界のアルジェリア・コミュニティ、そして世界の音楽ファンとともにその死を悼み、その魂が安らかに憩わんことを祈りたいと思います。
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フランス語教育専攻

8.さて大講堂でのシンポジウムが終わると、個別の研究発表です。

 最初わたしの行った A 教室では、中華人民共和国におけるアリアンスフランセーズの話をしたAlain Rechnerさんに続いて、日本勢トップバッターとして京大の西山教行さん登場。

 彼の発表は日本統治下の台湾において日本語教育のために採用されていたフランスの学者グーアン Francois Gouin の教育理論の紹介です。台湾の人々に日本語を教育するのに訳読方式みたいなものでは当然うまくいかず、日本語教育を日本語で行う方式を採用したのですが、それがいわゆる methode directe の先駆者でアメリカで高く評価されたグーアンの理論に基づいていたのですね(類似の考え方はたとえば有名な語学学校ベルリッツの教え方にも反映していたそうです)。

 この発表のパワーポイント資料は西山さんのサイトに載ってますからフランス語の読める方はぜひご一読ください(「年譜』の「学会発表」のところの「La politique d'assimilation...」です)。

 最後のところで発表の場を意識してかグーアンを離れて理念的な話になった気はしますが、西山さんの発表はいつもながらに力量十分でした。 (^_^)y 制限時間が短かったのが残念でした。
 内容の充実だけでなく、日本人が、台北で、フランス語でこういう発表をするということ自体に、かなり歴史的意義があったんではないかと思います。


 日本ではフランス語で大学教員というと「フツブン学者」とイコールのように見られていると思うんですが、西山さんのような「フランス語教育」にまつわるアカデミックな研究とかフランス語についての教育法を専攻する人が確実に増えて来てます。フランス語教育専攻で留学して学位を取ってくる方も増えました。

 専攻にしなくてもフランス、日本で頻繁に行われているフランス語教育の研修会、勉強会にはたくさんの先生が来られますしね。わたしがスタッフをやっている関西フランス語教育研究会もこの間第20回記念大会をやりました。

 公的学会主催以外のこういう大規模な集まりは、ドイツ語や他の言語では聞いたことありませんから、やっぱりフランス語関係者が率先して第二外国語教育の充実、日本における教育言語の多様化を主張しなければいけないかなと思います。

 それと平行して、いわゆる「フツブン学者」の従来型のあり方は、たぶんわたしの世代で終わりになるかな、と思います。
 それでも文学研究はなんらかの形で生き延びなければいけないのですが。

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フランス語学習者数

7.台北学会、ほんとに面白かったんですが、うっかり完全報告をやっていると一年くらいかかりそうなので (^_^;) もっと省略して行きます。 f(^_^;)

 さてインドの現状報告ですが、初等教育から高等教育まで、教師5000人で学習者45万人というと、単純に割り算したら教師一人で学生90人も受け持っていることになります。そんなばかな。どんな数え方をしているんだろう・・・?
 
 ところで「そもそも日本のフランス語学習者数は何人なのか」という疑問は多くの人が持って、信頼できる数字がないか探すのですが、これを調べるのはなかなか難しいものがあります。日本でフランス語を教えているのは圧倒的に大学ですが、履修登録者数はわりと簡単に分かっても、各大学の履修形態の違いから、実際に何人の人が学んでいるのかを算出するのは、たいへんむずかしいのです。

 これに関しては例の石原都知事問題発言に関するサイトの中の学習者数推定のページがたいへん参考になりますが、これも推定数です(大学の改革に向けての議論の中でもこういうデータが存在しないために「そんな基礎的な数字も出せないのか」と笑われてくやしい思いをされた先生も多くおられたはずです)。

 日本の現状を報告した日本フランス語教育学会の立花会長さんも、上記のページにある文科省の作ったグラフを提示しておられましたが、見せられるものというと現状ではこれくらいしかないのですね。
 しかしこのグラフのように、各大学における外国語クラスの「開設の有無」というと答えは明確に出せますが、その内容が問題です。多くの現場では1年ほど文法や会話をやってそれでおしまいというフランス語教育が大半のはずとなると、実際の学習成功率(ちゃんとフランス語が使えるようになるかどうか)を問題にするインドなどとはまったくレベルの違う話なのです。

 あとはオーストラリアからJacqueline Meunier さんが広大な国土に散らばった教員の連携の問題を語り、ニュージーランドのShirley Bain さんがクラス活動のヒントとして開発された DVD を見せてくれました。台湾の Rachel Juan さんの現状報告からは、台湾は日本と結局同じようなことをしているわりに、元気は日本よりいいという印象を受けました。大きな原因は中高におけるフランス語教育が日本より充実しているせいかと思います。

 フランス語に限らず語学教育の「成功率」を上げるためには、やっぱり若い頃からはじめて、ゆっくり楽しくやれるようでないといけません。日本には現行の受験体制という大ネックがあるために、それが不可能なのですね。

 かといって「大学で少しやるだけの第二外国語教育ではたいして成果もあがらないのだから、いっそ最初からやらない方がまし。教員雇うコストだってあるんだから」という議論を日本人はすぐ始めちゃいますが、それはやめておいた方がいいです。とるにたらない第二外国語教育でも、やらないよりは絶対ましなのです。それは、さらに続けて勉強しようという意欲、志向を持つ人を出せなくなるから、ということもあります。そしてそれ以上に、世界の言語の多様性に意識を向けることは世界の文化の多様性に意識を向けることなので、そういう機会を提供するクラスを抹殺してして若者の日本志向、せいぜいアメリカ志向をさらに加速してしまうと、今まで以上にアメリカ以外の人々に

「日本人は、外国の人たち(つまり自分たち)に興味がないのだ」

と思わせることになっちゃうからですね(これはわたしの発表にたいする反応で痛切に感じたことです)。

 こんなふうに思われることは、あきらかに日本の国益にも反しますよね。

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アルジェリア大統領、フランスに植民地主義の犯罪への公式謝罪を求める

 台北報告はまた中断になりますがアルジェリア大統領の発言について続報です。

 ブーテフリカ大統領は「ジェノサイド」発言の強硬な態度を和らげることもなく、フランスに「わが国民に対してなされた植民地主義の犯罪について国としての公式謝罪 excuses publiques et solennelles 」をすることを求める声明を(健康が完全でないのか、大臣の代読ですが)行いました。

 この発言は5月7日、つまり1945年にセティフとゲルマで多くのアルジェリア独立を願う人々が虐殺された日、5月8日の前日になされています。

 さらに大統領は、両国関係は危機状態にあるわけではないが、真の友情は双方の力によってのみ作れるものだ、と述べています。

 『リベラシオン』Liberation5月8日号の報道では、ブーテフリカ大統領が今の時点でこれほど強硬な態度に出ていることの背景として、テロの嵐もやっと収束した今、この国の豊富な資源、インフラ整備のための工事受注などを狙ってアメリカ、中国、その他の国がアルジェリアに接近しようと群がって来ているという事情が示唆してあります。「フランスが頑だとアルジェリアはよそと結びますよ」という駆け引きが裏にある、ということでしょうか。

 それにしても、この一連の動きは日本のテレビ、新聞等では一向に報道されてませんね。ニュース価値がないからというより、「身につまされすぎてしまう」からなんでしょうね・・・ (^_^;) 竹島問題もあるし、日韓関係を変に刺激しかねないニュースはなかったことにしたい、という思いがあるのだと思います。
 でも・・・「ブログ」がジャーナリズムとして社会的にもっと機能するようになれば、そういう情報コントロールは利かなくなるように思いますよ。

 とにかく、フランスと日本がこれほど似通った(負の)立場にあることを意識させてくれる事件はないように思います。
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インドの場合

6.さてこうしてみると台湾やインドネシア/日本/インドでは、なによりもフランス語教育の歴史の長さが違い、それによってフランス語教育の持つ意味も違っているのが分かります。

 第二次大戦以後に本格的に教育を始めた国では、フランス語教育はまだ成長産業です。「フランス好き」の人の増加が教育の需要を延ばしている段階ですね。「フランス文化」がこれからお客を増やす武器としてまだまだ威力を発揮している最中なわけです。

 インドのような国でフランス語の需要はさすがに飽和状態に達しているかと思ったら、そうでもないそうです。現在も全国で5000人の教員を擁し45万人の学習者を持つ国インドでは、ご存知の通りの多言語状況のなかでフランス語が「最も重要な外国語」(英語は「外国語」には入っていないのだと思います)である、というのが28日二つ目のシンポLes associations des professeurs de francais : roles et actions 「フランス語教員組織:役割と行動」のパネリスト、Ramaya Kichenamourtyさんの言った、自負に満ちた言葉でした。フランス語はインドの地方語より構造がシステマチック(つまりマスターしやすい)であり、また国際的に通用する言葉であることが強みになっているのです。

 そのインドのフランス語教員の悩みは各地方政府の言語政策に翻弄されることなのだそうで、ここに教員組織の存在意義がある、というわけです。

 前のシンポのクシルサガルさんはどちらかというと、アメリカ産の安手の娯楽に若者が流れて行くのを憂い、西欧伝統の知的活動を対置してそれを担う言語としてのフランス語を振興する、という姿勢をみせていました。科学万能の風潮のなかで人間の生への関心を保ち分析するよすがとなる言語としてのフランス語の振興です。あんまり言ってなかったみたいですが、教材はわりと伝統的なものを使うんでしょうか。
 ううむ。これは一種の教養主義ですな。

 キシュナムルティさんの方は、教員組織が地方政府の重要な言語政策決定に積極的に関与しながら、増大する大衆のニーズとフランス語教育を調和させるイニシアティブをとるというところに大きな意義をみているわけです。教材もどんどん新しいものを出来る限り入れて行く姿勢でしょう。
 なんかこの二人は大きな二つの流れを具現しているみたいですね・・・


 うわ、プログラムよく見たらインドには

Indian Association of Teachers of French (IATF)



Association of Indian Teachers in French (AITF)

の二つの教員組織があるんですね。今の今まで気がつきませんでした。

 クシルサガルさんは IATFの方(よう見たら彼女が会長ですわ。わたしはあとでお土産屋ではち合わせしたんですが)、キシュナムルティさんは AITFの方(よう見たら彼が名誉会長ですわ。どっちも偉いんだ)ですね。

 しかし、ほとんど同じじゃないか、この名前。紛らわしいなあ。 (T_T) やっぱり上記のような方向性の違い(と言ってもかならずしも矛盾、敵対するわけではないと思うんですが)からケンカが起こって袂を分かったんでしょうかね。 (^_^;) 

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自国をアピールするということ

5.さて会場にはいろんなフランス語教育関係機関および各国の教員組織用に供されたご覧のようなスタンドが設けられていました。
 他の国は自国をアピールするためのポスター、案内パンフ、記念品等ちゃんと持ってきて広報活動の準備におさおさ怠りなかったのですが、わが日本フランス語教育学会は、わたしも含めて、学会誌の販売と論文投稿勧誘に気を取られていて、こういう用意のことを考えなかったです(これは別に学会執行部を批判しているわけではありません。みんな気がつかなかったのです。念のため)。

 シンポにでていたスネンダルさんは去年の大阪のシンポにも来てくれた人ですが、写真の右端のインドネシア・スタンドで彼とそのへんの話をしてました。彼は「日本には別に、宣伝は要らないですよ」と言ってはくれたのですが(そう言いながらわたしにインドネシア・ボールペンをくれたんですよ。 f(^_^;) )、わたしにはそうは思えませんでした。寂しい日本のスタンドを見ていると、大げさかもしれませんが、我々の大弱点みたいなものがそこにあるような気がしてしまいました。 (;_;) 

 日本の人はアジア向けに「こんな風な自分を見せたい」という、意識的に自国を演出してアピールしたい自己像があいまいなのかもしれません。それ以前にアジアの見たい日本の国の像を意識する、ということも不足かもしれません。
 全地球的規模でいろんな国・地域の人々の興味を引き、好感をもたれるような---- つまり「普遍的価値」を持つような----ものとしての自国像と、こちらから見せたい自国像との折り合いをうまくつけて練り上げること(両者のずれはどこの国にもあるものです)、それを提示するというのは、大切なことのように思います。

 でも、周り(の国)の目を気にせずやりたいことに突進して行ってしまう、対象に自己同一化してのめりこんでしまうというのは、案外日本人のある種の強みと直結していることであるのかもしれないという気もするんですけどね・・・

 それにずいぶん前から日本で「国」って、語るのがえらく難しいものですしね・・・

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フランス語教育の現状と持つべき方向性

4.さて三浦さんは明治以来のフランス語が日本でたどった道をふりかえり、フランスも植民地大国ではなくなった今、フランス語教育に与えるべき方向性として以下の四点をあげました:
○学際的 pluridisciplinaireな方向性をもつこと。つまりフランス語というと文学、芸術関係者だけがやるものという状況を打破し、フランス語と、たとえば理系の学問の知識を併せ持った人材を育てること、等々。
○フランス語圏の大きな広がりを日本社会によく知ってもらうこと。
○日仏の知識人の交遊を活性化すること。その際、仏→日の一方通行ではなく、お互いに相手の文化、言語等々を勉強し合う姿勢を育てていくこと。
○フランス語をアジア諸国のコミュニケーションの言葉に育て、相互協力に資すること。(訳、要約の仕方が適当でないかもしれませんがだいたいこういうことだったと思います)

 わたしはこの四つの方向性は全く妥当なものであり、また十分実現可能なものと考えます(非常に頑張らないといけませんけどね。(^_^;)y )。

 三浦さんの次はこの大会を仕切った台湾のペイワ・シ=リーさん。
 台湾におけるフランス語教育は42年前にタンカン大学で始まったと言っておられましたから、1964年ということになりますね。いまでは全国で毎年2500名の新入生がフランス語を選択するし、子供用の教室や、職業用フランス語を学ぶ場も増えて来たとのことです。
 彼女のお話で印象的だったのはタンカン大学の某先生の指摘の引用で、台湾の若者はフランス語を motivation existentielle 「実存的動機」から選択している、という言葉です。フランス語は epanouissement personnel 「個人的(個性の)開花」に繋がっている、というのですね。なるほど。
 そして彼女はフランス語を話す人 francophones とフランス愛好者 francophiles のネットワーク作りという言い方をして、三浦さんの指摘に沿う形をとっていました。わたしとしてはfrancophonesにfrancophiles というのを併置するところが彼女の話のポイントだと思います。

 次はインドネシアからDadang Sunendarさん。
 ヴェトナム、カンボジアが植民地化されたために、フランス語は19世紀からインドネシア周辺にプレゼンスを持っていたが、本格的にフランス語教育が始められるのは第二次大戦後のこと。モンテスキュー、ルソー、ヴォルテールなどの思想、デュマなどの文学が愛好された。現在2億2千万の国民の中でフランス語話者は4、5万人程度だが、学習希望者は増え続けている。それに対して教員養成が追いつかないのが悩みの種であるそうです。インドネシアでは高校段階でフランス語は日本語、ドイツ語、アラビア語などと併存、競合しているそうです(彼は言い落としたみたいですけどマンダリン(中国語、北京官話)も入ると思います)。

 最後にインドからMme Meenal Kshirsagarさんの報告。
 残念ながら彼女の声は会場に反響してよく聞き取れなかったんですが、こんなことを言っていたのは分かりました。フランス語は英語に次いで第二の外国語であるにも関わらず制度的に優遇されているとは言えない、50ほどの教育機関、多くは私立のものがフランス語による授業を提供しているのみ、と。「フランス語の」授業じゃなくて「フランス語による」授業なんですよ。
 インドの場合、歴史的背景があって、大昔に植民地争奪合戦でフランスはイギリスと争って負けて撤退したわけですが、いくつかの拠点とフランス語教育は残して行ったんですね。日本のように19世紀から(でもプラティカルなところの非常に欠けた教育をつい最近までやっていたので、たぶん今の時点で「第二外国語なんか要らない」と主張する方々は、おそらく昔のつまんないフランス語教育法に毛がはえたものくらいしか頭にないのでしょうね・・・)、台湾やインドネシアのように第二次大戦後本格的に開始した地域とは年季が違います。

 このシリーズ1のエントリーで出していた問題の答。世界フランス語教授連合のアジア太平洋支部に属する会で会員数が一番多いのはインドの協会なんですね(もっともこれは実際の教員数というのとはまた別ですからご注意を)。
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ドイツ語は強いですよお

3.台北のお話に戻りますが(上は会場の「国家図書館」)、前のエントリーに続いてまたドイツ語への恨み節みたいになっちゃいました。 (^_^;)  ちょっとやばいかもしれません。 (^_^;;)

 大会二日目の一つ目のシンポジウムEtat des lieux et problematiques de l'enseignement du francais en Asie-Pacifique 「アジア太平洋地区におけるフランス語教育の現状と諸問題」のトップで話されたのはこの支部の会長、三浦信孝さん。日本ではフランス語教育は圧倒的に大学段階が担当している、多くの大学で第二外国語が必修でなくなったことが学習者の減少を招いているが、中国語の伸張に対してフランス語は、ドイツ語よりはまだよく健闘していると言えるという報告をされました。

 うーんしかし、わたくしの個人的感想を許していただければ、ドイツ語に対するフランス語の健闘というのは、日本全体としてはそうなのかもしれませんが、地方の(旧)国立大には当てはまらないです。金沢大のドイツ語の専任の先生はいまでもフランス語の専任より3倍おられますし非常勤の先生も多いですから、ドイツ語はフランス語よりそもそも初級の開講クラス数が3倍以上あるのです。
 さらに今年はワールドカップがドイツで開催されるせいか、一年生がおそろしくドイツ語に殺到しました。

 別に一年生たちの大部分は、どういう言葉が世界でどういう役立ち方をするかよく知らずただ自分の好み、都合で決めているし、またそれが彼らの権利なのです。
 金沢大では学習外国語選択のためのオリエンテーションも設けてありません。そんな時間的余裕はないというわけです。今年になってようやく学習言語選択の目安として各言語が長所をアピールしたパンフレットを作ってもらいましたが、こんな冊子ひとつくらいでは・・・

 これが日本の地方の現実です。また受講生の数字が出たら、もういちどこの話を扱いたいのですが (^_^;)
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フランス語のぼやき


 母の家に戻る途中、偶然C先生とお会いしました。
 先生はスペイン語の大権威です。
 わたしが大学生のころ先生のスペイン語とったんですが、かなり頑張ったのに「良」しかもらえなかったのを覚えてます。 (^_^;)

 先生の学生時代は旧制高校のころでもちろんドイツ語全盛の時代ですが(この時代もフランス語専攻では食えなかったけど、ドイツ専攻なら食えたんだそうです)、ドイツ人の外国人教師に「これからはもうドイツ語の時代ではない。未来の言葉をやりなさい」と教えられてスペイン語を学ばれたというお話を以前にうかがったことがあります。敗戦前の話ですから、先見の明がある先生だったのですね。
 
 戦後60年以上経って、世はスペイン語、中国語、ポルトガル語、ロシア語、アラビア語といった言葉の時代に入ろうとしているのですが、日本の外国語教育だけは変わらないのですね。 (^_^;)

 だけどねー、日本ではフランス語がいちばん可哀想だと思いますよ。
 昔はドイツ語に押さえられて冷遇されて、今は旧勢力とみなされてドイツ語と一緒に葬り去られてしかるべき、みたいに扱われるなんて・・・ ぶつぶつ。

 日本ではフランス語は正当な扱いを受けたことがないと思いますよ。あんまりいじめると国益を損なうと思うんですがー・・・ ぶつぶつ。 (^_^;)

 ・・・でもぼやきって、結局見苦しいですね。すんません。 m(_ _)m


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のりげ

 京都散歩の最後は高麗美術館 (Koryo Museum)。

 鄭詔文(チョン・チョムン)さんという在日一世の方の作った美術館、というよりは小さな生活資料館という趣。
 館内には短いながら鄭さんの人生を紹介した朝日新聞1988年8月4日夕刊のコピーがおいてあります。大変苦労をなされたと思いますが、その生き方は清々しさを感じますね。

 入り口で売っている民芸アクセサリーは独特の趣があって奇麗ですよ。「のりげ」という、民族衣装につける飾りを小さくした物だそうです。携帯につけたりしたらいいんじゃないでしょうか。 (^_^)

(これの写真載せようと思ったんですが、商品だから控えるべきなんでしょうか? それとも宣伝になるからいいのかな?)
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