女性、移民・・・とスタンダール研究


 例のスタンダール研究プロジェクト、第二回です。
 研究所のお庭には、すでに真っ赤に紅葉した木がありました。

 今回は若手研究者のリーダー格のフランソワが来てくれました。
 あのStendhal dialoguisteの研究会のあとしばらくしてパリ第三大学の助教授に採用されたんだそうです。めでたいですね。
 会ったのはあのとき一度だけなのでちょっと心配しましたが、少し言葉を交わすとすぐわたしのことを思い出してくれました。
 さすがに少し貫禄がついたかな。スーツのせいかもしれません。「めったに着ないんだけどね」と言ってました。

 例によって、このプロジェクトはまだ進行中のもので途中経過をご報告するような性質のものではないと思いますので、何人もご発表がありましたがそれは省略いたします。

 ただここでフランソワの提出した問題意識だけは書いておきたいです。
 彼の話はかなり挑発的なものでした。
 スタンダール研究界自体の男性中心主義がテーマでしたので。
 女性の卓越した研究が実質的な形で報われることが少なく、女性研究者はいろいろな形で困難な状況に直面しているというのです。

 日本における問題はともかく、フランスでのそういう問題を意識したことはなかったので、わたしもちょっとびっくりしました(意識したことがなかったというのは言いすぎかな。でもそれがまじめに問題としてとりあげる重大さがあるとは思っていなかった、と言うべきでしょうか・・・)。

 彼も、こんな話をするのは初めてと言ってました。
 まあ、こういう話は外国でないとできないのかもしれません。

 彼自身もベルギーからの移民系であるのですが、そういう意識からこの話が出てきたのかという印象も受けました。

 「女性」や「移民」などいろんな意味での「外部」からの批判的言説というのが決定的な重要性を持つと言える現代の状況が直接的に現れた発表だったと思います。
 これはなにも学界の内輪の批判、告発ということではなく、研究自体に内在するある種の偏り、弊害をえぐりだすことなのです。

 フランソワの立場取りを見て、スタンダール研究のような、いかにも上品な人たちがやりそうなことさえ、というかそういうものこそ、このような視点からの批判的考察が生産的である、ということを痛感しました。

 わたし自身もこのあたりを狙おうと思います。
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