スタンダール研究。日本にふさわしいこと。


 前の前のエントリーでちょっと触れた研究プロジェクトには不肖わたくしも入れていただいてます。それで、第一回研究会に出席してきました。

 このプロジェクトは日本の近現代の作家(とくに大岡昇平!)にたいしてスタンダールが与えた影響について研究するものです。三年がかりで、成果が一般に発表されるのはそのあとになります。途中の作業経過は逐一この場でご報告するべきものではないと思いますが、面白く思った発言や指摘は、私的にかってに考えてみたいと思ってます。

 研究会場・国際高等研究所のあるけいはんな学研都市には、はじめて来ました。
 最寄りのバス停を降り立っても、看板も何もないのでどっちへ行っていいのか分からず、結局タクシーに乗っちゃいました。

 ベルチエ先生がオープニングの発表をされました。彼の来日に合わせて第一回研究会がセットされていたわけですね。お話のお題は「越境するスタンダール」Stendhal transfrontalierというものでした。

 以前わたしもスタンダールがEU的作家だ、てなことを書いてましたが(このエントリーをご参照ください)ベルチエさんのお話はまさにこのラインですね。

 ところで、ベルチエさんのお話を聞いていてはっとしたことがあります。

 ベルチエさんはパリ第三大学教授、ヌーヴェル・ソルボンヌ教授ですから、世界からやってくる留学生を指導するわけですが、彼らの多くは論文を提出して学位をとって故国に帰ってしまうと音信が途絶え、その後の消息が分からなくなってしまう、というんですね。今大発展途中であるインドや中国の学生もその例にもれないのです。

 また多くの国ではスタンダール研究がひとりの研究者の名前で代表されてしまう、ノルウェーならKarin Gundelsen、スペインならConsuelo Berges、ロシアならTatiana Kotchetkova... この人たちが高齢になり、やがて亡くなってしまうとその国のスタンダール研究の火自体が絶えたようになってしまう。アメリカさえVictor Brombertのあと後継者がいないから彼が高齢になった今スタンダール研究のサークルというのはないに等しい、というのです。

 だから、フランスで勉強した学生が帰国後もフランスの先生とコンタクトを取り続け、生涯的スパンで研究を続けていく日本、主要な作家には個別の研究会(スタ研、バル研、プル研、フロ研・・・)をつくって継続して活動している日本、研究の伝統が世代を超えて綿々と受け継がれていく日本はきわだった例外をなしているのです(だから世界のスタンダリアンに発信しているメール・マガジンCourrier Stendhal編集でジャン=イヴがわたしを相棒にしてくれているのも理由のあることなんですね)。

 実は、昔だったらわたしも、こういうことをやっているから日本は悠長で余計なところに労力とお金を無駄遣いしているのだろう、本当はもっと実用的なことにお金や人材を回さないといけないのだ、と後ろめたく思っていたところがあります。

 でもその後、これはそうとばかりも言えないな、と考えが変わってきています。

 アルジェリアで低賃金で働く中国人労働者たちのようなたくましさは、どうやったって今の日本人には持てないのです。
 そしてちょっと小金を貯めた日本人は、タカシマヤでフランスのブランド食器を買ってしまうのです。

 現代の状況にあったやり方を、今よりもっと有効なお金の使い方を考えないといけないのは当然ですが、外国とのつきあいにおいて文化的領域、知的交流を大切にするというやり方は、結局日本にあってしまっているし、これを無理に細らして、息を止めたりするのは自らの強み、有利な点を放棄することになると思うのです。
 これはフランスのような先進国相手の付き合いにも、アルジェリアのようなこれからの国との付き合いにも言えることだと思います。

 ところでベルチエさんのお話の中でもうひとつ興味をひかれたのは、マグレブを含むアフリカの学生のなかには、ユゴーとかフランス十九世紀の他の作家を専攻しようという人はいるが、スタンダールについては皆無だという指摘でした。

 フランスの大学全体でみたらそういうこともないかもしれません。アラブ名の人の書いたスタンダール研究書だってありますし。
 でもとにかくソルボンヌの教授の言うことですから、かなり根拠のあることのはずです。

 なんででしょうね?・・・

 わたしの考えつくのは、スタンダールの小説作品はすべて恋愛が主軸になっているけれど、彼の恋愛観は本質的なところで両性の同等性に基礎を置くものだからかなあ、というくらいのものです。
 すべてのアフリカ人、マグレブ人が男女不平等論者だ、などということがあるはずはないですが、彼らがスタンダールみたいな「愛し方」に違和感を感じそうだな、という気はたしかにしないでもないですね・・・

 
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
でもよく考えたら (raidaisuki)
2010-11-17 14:00:27
スタンダールが『恋愛論』の中で「恋愛の祖国」と目しているのは、アラビアなんですね。おかしなものです。

もっともそれはイスラム以前のアラビアなのでしょうが。
 
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