別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

あの日

2012-03-10 | こころ模様

  ずっと…  ずっと  忘れない  

 私にできることは
  両親を失った子どもたちへ 支援金を送ること

    すこしでも  明るく過ごせますように… 
 

     春のお菓子をどうぞ

 

  はじめは 硝子戸をガタガタっと叩くような音が気になって、 地震とは思わず2階へ上がった。 その後 はげしい揺れが襲ったのは 午後2時46分。 グラグラしながら障子を抑え、 落ち着け…  大丈夫!  地震は長くても5分だ  すぐ終わる、 落ち着け…  そう自分に言い聞かせていた。 関東大震災を想定し、 とうとう 来たか・・ の思いだった。

それが 東日本大震災。 1年まえの3月11日。 このあたりは震度5で まだいくらか余裕があったらしい。
 もし それ以上がきたら  何も考えられないし とっさに動けないと思う。

夫は、朝から出かけていた。 
 診察はまだか。 広い病院の壁や天井は… 良くないことばかり考える。

     「線路づたいに 歩いて帰る 
                心配するな!」 

  たどたどしい入力が力づよい文字になって届いていた。 きのう教えたばかりの携帯メールが、 さっそく役立ったのだ。 伊奈町から ふだんなら4、50分のところを3時間かけて戻ってきた。
  長男家族とも連絡がとれ、 無事を確認。  海外出張中の次男からも電話がくる。 まるで駅前からかけているような声の近さ、 親しさだ。  

 


    
  

 

コメント
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