goo blog サービス終了のお知らせ 

ドアの向こう

日々のメモ書き 

反する魅力

2006-10-17 | アートな時間
         鏑木清方 「曲亭馬琴」 

 繊細、精緻な表現のなかに、ほのぼのとしたものを感じる。柔らかな明かり、しずかな陰翳をまとい、なつかしい雰囲気と詩情を演出している。

 晩年、失明した滝沢馬琴。 長男の嫁おみちに八犬伝の口述筆記をさせている。文字に疎い彼女に、仮名遣いから教えた。馬琴は絵図を示し説明する。一心に聞くおみち、その横顔を照らしだす穏やかな明かり。 馬琴の表情、手の皺。凄み。

 目をこらすと、行燈のへりに思いがけない読者がいた。 細い足、髭もそよろにつかまっている。竈馬の透けるからだ。 蝸牛の文鎮、墨の文字 奥で遊ぶこども。あやとり。 藍の着物、柄。鼈甲の簪、結い上げた髪。丸髷。
その毛より、さらに細いワイヤーのピンが跳ね上がっている。 細かい! どきどきする。
 畳のめくれまで丁寧に描いてある。 うしろに、すり潰すための道具「やげん」も見える。 大きい画像

 朱い灰皿、行燈の油いれ、文箱の内側、絞りの三尺(帯)、袂の鹿の子、さび朱が座敷の奥へ誘っていく。 稚児まげのかざりにも。 色を探すだけでも楽しい。

 文学的な絵だ。新派の舞台に入ってしまったかのような臨場感。 さながら観る者も、おなじ座敷で、息をつめ読本作者の話を聞く。 
 清方は「思いが深いぶん語りすぎた、絵画のなかに文学がはいりすぎた」 しかし後悔はしていない、むしろ語り終えて満足している、と言っている。


   
 おなじ日、 モディリアーニ、ブラック、ピカソに魅せられた。 簡潔、シュールな世界。 何か分からない部分がある、そこが良い。
 色の対比をたのしみ、想像し遊ぶ。 自由になれる。 
 
 相反するものを観た。 どちらもいいし好きである。

  ジョルジュ・ブラック 「家と木」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする