退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「引くことと押すこと」について

2013-01-17 02:21:50 | Weblog
晴れ。やや冷える。

水上瀧太郎「貝殻追放3」読了。

昭和十五年著者はアメリカとの戦争を知らずに亡くなった。
若き日の留学時代を懐かしんでいたことを思えば不幸中の幸いだと思いたい。

少なからず「俗世」と付き合うしかなかった人生が残念。
もっと「わがまま」でよかったのに。

それをある種の「弱さ」と見るかあるいは「謙譲」だと見るか。
おそらくいずれも「正しい」のだろう。

「文は人なり」という古い言葉をあらためて思い出した次第。
いずれにせよ楽しい時間を与えてくれたことに感謝。

さて。

深夜「僕のSweet Devil」をまた観る。

前回の予告編で主人公と彼女がビル火災の現場にいるという展開はわかっていたのだが
今回はさらにそこへ「記憶喪失」が登場。

この「てんこ盛り」具合は同じゲップでも
清涼飲料水を飲んだ後のそれのようにいっそ気持ちいいほど。

彼女役のレイニー・ヤンは「泣きまくり」。
ただしその泣き顔はあまり「美しくない」。

主人公の年の離れた姉にも「詐欺」が近づいてきた模様。
もっともその下の年若い姉は「正体」に気付いていて。

次回はどうやら「やり直し」になる気配。
そのためには主人公の記憶喪失が「必須」ということか。

歌詞でよくあるのが「出会った頃」というフレーズで
それを地で行く「臆面のなさ」よ。

「メロドラマここにあり」という感じで
おそらくは「満都の女子の紅涙を絞る」出来になるはず。

いやはや。
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「好ましいものと好ましからざるもの」について

2013-01-16 02:09:25 | Weblog
晴れ。それほど冷えず。

「貝殻追放3」を読み始める。

犬たちと子どもの描写が素晴らしい。
とりわけ後者は愛に満ち溢れていて素敵。

新しい歯医者の初日。

いささか閑散とした雰囲気の待合室には
自分を除くとお年寄りばかり。

いかにもな昭和のオヤジが院長。
レントゲンは鉛のベストなしでフィルムは自分の指で押さえる「ワイルドさ」がなかなか。

仮歯を削った粉が顔に吹きかかってもお構いなし。
もちろん後で看護師が拭いてくれたけれど。

とはいえ腕の方は確かなよう。
むしろその「素っ気なさ」にどこか「懐かしさ」を感じた次第。

診察券もまるで昔の市場で配られていたサービス券のような薄っぺらな紙。
次回は一週間後だが今後が何だか楽しみ。

その一方。

例えばゲームを始めるに当たって「ルール」を知るのは当然のことだろう。
大まかに覚えた上で少しずつ慣れていくというのはわかるとして。

身近な若者たちはどうもそれができないらしい。
こちらとしてはそれでよく「不安」にならないものだと感心するばかり。

彼ら彼女らが最優先するのは「好き嫌い」で
「嫌い」だと判定したものについては驚くほどの拒否感を示す。

いかに「嫌い」だとはいえ何度も繰り返せばある程度のことは覚えてしまうのが「定石」のはず。
ところが極端な場合になると何ひとつ「吸収」しないのだ。

「異物の侵入」を圧倒的に拒むあたりはまるで「免疫システム」。
それが生まれつきのものなのか後天的なものなのかは不明だけれど。

誰しも幼年期は「好奇心のかたまり」であるのが人の常だとして
それがいつの間にそのようなことになったのか是非知りたいところ。

実はすでに「生存競争」に疲れていて
ある種の「防御」としてそうなったのだとすると暗澹とならざるをえない。

とりあえず「無事に生き延びること」を祈ってはいるのだが
今のところ「有効な手助け」は思いつけぬままではある。
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「あれこれ」について

2013-01-14 02:25:45 | Weblog
『くもり。寒さは緩む。

斎藤美奈子「月夜にランタン」を読む。

それぞれの指摘は「まとも」。
ただし著者の作品をあれこれ読んできた身としては刺激が少ないか。

「妊娠小説」に初めて触れた時のなるほどという気持ちはずいぶん薄れたものの
著者の立ち位置が変わっていないという点では納得する。

「お付き合い」が長くなるとどうしても「倦怠期」が訪れやすい。
もっともそうしたことを感じさせてくれるほど著書に接するかどうかも重要。

ときどき「どうしてるかな」と近況を知りたくなる友人。
今のところ勝手にそう思っておく。

食べ物で言うなら「お茶漬けの味」。
同名の小津作品における小暮実千代は可愛かった記憶がある。

それはそれとして。

NHKスペシャルで深海のダイオウイカを見る。

まだ「未知の領域=トワイライト・ゾーン」が存在しているらしい。
金色のイカはキレイだったけれど案外小さく見えたのがいささか残念。

「水戸黄門」同様1時間番組で45分以降にクライマックスを持ってきた模様。
「クラーケン」のような巨大イカをどうにかイメージさせたかったところが伺える。

冷静に思えば前半を飾ったさまざまな発光クラゲの方に「神秘」があるかも。
おそらく「予告」がいささか「過剰」だったのではあるまいか。

登場する日本人の博士が「テンタクルズ」と言うのを聞いて
これまた同名の映画を思い出す。

「何が怪物を狂わせたのか」という予告編のフレーズは
その「大時代な調子」ゆえにいまだに覚えている。

ジョン・ヒューストン、シェリー・ウィンタース、ヘンリー・フォンダらが出演。
今にして思えば相当な「豪華キャスト」だが作品そのものはつまらなかったはず。

ちなみに「テンタクルズ」とは「触手」のことで「吸盤」は「サッカー」。
なるほど視聴者に「まとわりつき吸い寄せる」効果は十分。

その後「アバター」を途中から観る。

「原住民」を意識し始めた頃の「西部劇」のよう。
それ以前の「インディアン」は「野蛮」でしかなかった。』

と書いて昨日寝た。

雨のちくもり。夜に風が吹く。

「貝殻追放2」読了。

ニヤリとさせるユーモアが素敵。
かつて人々が学生野球に熱中した「歴史」をあらためて知る。

老若に関係なく女子が「アイドル」に熱狂するのは時代を問わないのだとすると
女子とはそうした「生き物」なのだということになる。

その「臆面のなさ」はいわゆる「本音」で
男子からすると「デリカシーがない」ことになるというわけ。

「深くて暗い河」の一部か。
それぞれに「議論」していただくと楽しそう。

深夜「Lie to me」を観る。

今回は「ソシオパス=サイコパス」を採り上げていた。
「魅力的に見える」せいで余計に怖さが増すところは変わらず。

「テッド・バンディ」などという懐かしい名前も登場。
「不可解な存在」はやはり恐ろしい。

ティム・ロスの何とも「知能指数の高そうな顔」もコワい。
彼のアクの強さがドラマ全体を支えている。

個人的には主人公にスカウトされたモニカ・レイマンドが好ましい。
彼女はときどき「やさしいヘビ」のように見えたりもするのだが。

さて。

明日は結局変えることになった歯医者の一日目。
仮歯のまま過ごしているので早く決着させてもらいたい。
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「蟹の泡」について

2013-01-13 01:49:02 | Weblog
晴れ。夜には冷える。

いつもより早くでかけて余分に仕事。
ちょいとウトウトする。

この半年ばかり日曜に野暮用があるせいもあって
丸一日休みという日がほとんどない。

年末と正月の休みも短かったし
せっかくの「のんびり貧乏」が台無し。

忙しいとなぜかいつもより夜更かししたくなり
睡眠時間も短くなってますます不健康になる次第。

これも「ポックリ計画」の一部だと思えばいいか。
今宵もとりあえず眠くなるまで飲むことに。

「商売」に向いてない体質をあらためて実感する。
ならば何に向いているのかというと不明だったりするのだけれど。

さて。

電車で扉の方を向いて相当な区間髪の毛をいじっている若い男子を見る。
心の中で「首をすげかえた方が早いのに」とつぶやく。

そもそも遺伝子に恵まれたいわゆる「美男美女」は
あれこれ細かいことは構わないタイプになるはず。

先のような行動を取る若い男女がいずれも「不細工」なのもうなずける。
ある程度「小細工」しないと「もたない」と思うらしい。

いっそ「サギ写メール」の域まで達すれば
それはそれで面白く見られるのに。

繰り返すが町中に「貧相な人々」が増えている。
いたずらに「美男美女」を目指すのではなくそれぞれの「味」を出していただきたいもの。

そういえば「ファッション」とはそもそも「いかに身の丈に合うか」が肝心ではなかったか。
個人的には「猥褻物陳列罪」にならない限り「着ていればいい」だけの無関心ですまんのだが。
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「素敵に無様であること」について

2013-01-11 02:03:41 | Weblog
晴れ。今日も風が冷たい。

水上瀧太郎「貝殻追放2」を読み始める。

相変わらずの「正直さ」が清々しく
けれど少し痛々しい。

こういう「いい人」は長生きできない。
「世の中」とはそういうものだろう。

そしてそのことを十分に知っていた著者は
「貝殻追放」というギリシャの故事を表題としたはず。

深夜アニメ「PSYCO-PASS」を観る。

人の心や犯罪傾向をすべて数字で測れるようになった未来。
「シヴィラ」が統制する公安局の執行官たちは「犯罪者」を追う。

ただしその執行官たちが「ほぼ犯罪者」である数字を示した者たちであるあたりがミソ。
ここでも「女子」が「異質な者」として活躍する模様。

「妖怪人間ベム」でベム・ベラ・ベロが
「悪」を「退治」するために人間になることをあきらめる設定に似ていなくもなく。

「善」と「悪」があいまいになった現在では一見いかにもわかりやすそう。
ただし「妖怪人間」や「執行官」の「正義の在り処」は問われない。

これもある種の「カタルシス」のなせる業だと思えばいいのか。

「悪貨が良貨を駆逐する」のがむしろ「リアル」だからこそ
「傷を負った『正義』」による「決着」が浮かび上がる仕組みをどう見るのか。

現実はどこまでも「決着」しないまま流れて
あらゆるものを飲み込んでさらに流れる。

実は「3.11」以降のわが国はそうした状況が明らかになっただけのこと。
どこにもない「特効薬」が相変わらず求め続けられる一方で。

新たな「物語」が生まれて人々を惹き付けるのだろう。
敢えてそこに「希望」を見出さずには生きられないから。

さまざまな「始まり」と「終わり」が生まれては消える様子は
われわれの「素敵に無様な『生き様』」に似ている。
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「洗練と我武者羅」について

2013-01-10 02:53:14 | Weblog
晴れ。風が冷たく夜に冷える。

片岡義男「言葉で生きる」を読む。

ひとりの少年があれこれあって作家になるまでの「歴史」。
最後には短編小説の作り方もあり。

英語に「監視」されながら書く著者の日本語は
なるほど他の誰にも書けない「文体」。

だからこそ「他者を描くフィクション」という形で
数々の小説が生まれたのだと思うと納得する。

それにしても途中で出てきた田中小実昌の「ギャグ」の洒落ていること。
現代に失われているのはおそらくこの種の「センス」だと思い当たる。

さて。

深夜にまたまた「僕のSweet Devil」を観る。

大学時代に「金持ち」という身分を隠して彼女と付き合っていた主人公はプロポーズを決意。
ところが彼女は交通事故に遭い約束の場所へ行けない(まるで「冬ソナ」)。

「貧乏人」が嫌いな彼女の母親はこれ幸いと「事実」を隠して二人を別れさせる。
互いに「事情」を知らぬまま時は流れて。

彼女に捨てられたと思った主人公は「報復」を胸に
本来の「金持ち」の姿に戻ってやがては捨てる腹づもりで彼女を「誘惑」する。

今回ようやく主人公の「正体」が明らかになり
彼は「正直」を見せるものの当然のように彼女から拒絶されることになる、というのがこれまで。

次回予告ではビルの爆発事故に巻き込まれた彼女のそばに
なぜか主人公がいる模様。

一方主人公とは別に彼女を愛する「先輩」がいて
あらゆる場面で彼女を助ける「いいひと」なのだが彼女と結ばれることはなさそうなのも忘れずに。

おまけに主人公の「幸せ」を自分勝手に願う「年の離れた姉」(彼女の「恋」もあり)や
彼の「報復」に協力する次姉もいて。

大学時代に主人公に惹かれた「美人の同級生」もそこに絡む次第で
いやはや何とも「盛りだくさん」でゲップが出そうなほど。

つまらないかというとそうでもないあたりの微妙な魅力はあるので
今後も観るつもりではあるのだが。
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「透明な充実」について

2013-01-09 02:49:11 | Weblog
晴れ。あたたか。

「ふらんす物語」ようやく読了。

永井荷風が音楽にも詳しいとは知らなかった。
ドビュッシーがかなり年上ながら同時代人とはいやはや。

芝居やオペラについての細かな解説もあり。
不勉強な身としてはふむふむとうなずくのみ。

なるほどここまでくれば「ロマンチック」も相当なものか。
科学とは違った「ブレイクスルー」が生まれる模様。

さて。

深夜「ミス・ポター」(’06)を観る。

ビアトリクス・ポターはご存じ「ピーター・ラビット」の作者。
ピーターなどキャラクターがアニメで動いたりもするのもいっそう愛らしくて素敵。

レニー・ゼルウィガー演じる主人公はお馴染みのいかにもな雰囲気。
ユアン・マクレガーとの恋は爽やかで。

「奇跡の海」(’96)のエミリー・ワトソンは久方ぶり。
ちょいと味のあるおばさんになっていた。

イギリスの田園風景が美しく
いささか舌足らずなケイティ・メルアのエンディングの歌も悪くない。

こういう「隠居生活」なら是非したいものだけれど
残念ながら叶いそうにもないか。

大昔の彼女から贈られたテープの中に
大貫妙子の「ピーター・ラビットとわたし」があったことを思い出したり。

昼夜は違えどほのぼのと過ぎる時間よ。
もう一杯飲んで仕方なく眠ることにしよう。
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「境遇」について

2013-01-08 03:19:40 | Weblog
晴れ。おだやか。

いつものペースに戻れたのがうれしい。
風邪の方はあと一息。

久方ぶりに引いたせいか思ったより長引く。
「一病息災」と思えばこれも仕方なし。

ポックリまではこの調子で。
計算上はあと8年。

永井荷風「ふらんす物語」を読み続ける。

生活に困らないだけの「資産」があると
人はかくも「気分」に生きることができる存在らしい。

ボードレール、モーパッサン、ドーデー、ゴンクール兄弟といった名前があちこちに。
もっともこちらが知っているものを挙げただけ。

現代の目からしても「俗人」に飽き飽きするのは同じだとして
勝手に「ロマンチック」を生きる自分にはもう鈍感ではいられない「ご時世」か。

もっともその種の「青春」は時代を問わず誰にでもあり
他人のあれこれをいちいちあげつらうほどの余裕もなく。

レベルの高低を無視すれば「下等遊民」であるわが身も同様。
つまりはパリのカフェがドトールになるだけのこと。

ただし女子とはあまりお付き合いがないので
適当に「知ったかぶり」をするのみ。

今日は独特のなまりで延々と過去を語るおじさんの声を聞くことに。
そこにはあまり「幸せ」がない雰囲気が濃厚だったけれど。

できれば何事にも淡泊なのが好ましいのは
そうした「濃厚さ」にうんざりするから。

いずれ「環境」と「経験」がもたらす「反応」にすぎないと言えばそれまで。
われわれは一見複雑のようで実に単純な「機械」だとも言える。
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「不明なこと」について

2013-01-07 02:14:41 | Weblog
晴れ。ほぼひきこもり。

今日もダラダラ過ごす。
ようやく喉の痛みが引く。

永井荷風「ふらんす物語」を読み進めているのだけれど
今日は「お休み」。

昔から「他人の笑顔」を見るのが好きで
自分がどうあるかについてはあまり気にかけたことがない。

物理的に「自分の笑顔」が見られないということもあるものの
なぜかその方がうれしいタイプ。

むしろ楽しそうな顔を見ることで
こちらが勝手にそこに感情移入して喜ぶとでも言えばいいのか。

男子であるせいかどうかは不明なのだが女子の笑顔に目が行きがちで
「出来上がった表情」よりむしろ「変化のある表情」に魅力を感じる。

主に映画の中で「美人」は数々見てきていて
それはそれで楽しい。

がしかし。

これまでの自分を振り返ってみると
いわゆる「美人」よりそうでない女子の笑顔の方に惹かれる傾向がある模様。

要は「完成されたもの」でなく「時折見られる『美人』」がいいのか。
あくまで「趣味」の話なので別に賛同を得たいとは思わないのでよろしく。

男子についてもほぼ同じような感想を持つことが多く
たいてい「味わいのある顔」を好むことになる。

どういうわけでそうなったのかは不明のまま。

ある種の「風景」を見出したのは「見る人の内面」であったのはすでに「常識」だとして
どうやらいまだに「自分」についてはよくわかっていないことに気付く。
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「灰色を生きること」について

2013-01-04 02:13:22 | Weblog
くもり。小雪も舞う。

ダラダラとひきこもるのも今日で終わり。
案外風邪が長引いてまだ完治とはならず。

明日からまた二日ほど早起き。
正月早々忙しいこと。

このところ活字から離れていたのでそろそろ「元のペース」に。
ただし本格的には来週以降になるはず。

さて。

「怒り新党」でマツコ・デラックスが
「メゾン・ド・いばら」という名の「会員制老人ホーム」を作ると言っていたのに納得。

かつて友人とそんな話をしていたこともあったので
「同じようなことを考えるものだ」と思った次第。

「こんなのでいいんですか」という姿勢と
「カタギにはなれないわよ」といった内容の発言にも共感する。

ある種の「自由」を手に入れた者は
それと引き換えに「普通の幸せ」を失うと思うのは「バランス感覚」。

そのことは例えば父親藤山寛美を語りつつ
昨今の風潮に「物申す」藤山直美も同様。

「悪場所」という「治外法権」はむしろあるべきで
そこでは「市民道徳」など通用しなくていい。

例えば「郊外」にはそうした場所がないので
「追い詰められた子どもたち」がいたずらに「過激な犯罪」を犯すことにもなり。

自らを「子ども」だと思うなら
せめて「清濁合わせ飲む」ことの重要さだけは知っておきたいもの。

「灰色」にとどまる「体力」を養っておくべし。
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