雨。深夜になって止む。
鈴木謙介「ウェブ社会のゆくえ」を読む。
ウェブの情報が「空間」を「多孔化」するというのがポイント。
「現実の空間に情報の出入りする穴がいくつも開いている」という状態らしい。
そもそも「現実」などそれぞれの視点によって如何様にも変わるのだから
その「ネタ元」が「情報」であろうと特に変わりはないだろう。
「虚構」が「現実」を動かすことも昔からいくらでもある。
例えば「君の名は」が流行すると「真知子巻き」が流行したように。
テレビのように「共通項」を提供するメディアが力を失えば
「何が現実か」についての「争い」も当然起きる。
人々がバラバラになる中で
いかにして「共同体」を作るのかがどうやら「問題」のようだが。
勉強したことと思っていることを「現実」に当てはめてみた感じ。
著者にはもっと奥行きのある射程を持った論述を望みたいところ。
知り合いの若者たちを見ていて気付くのは
彼ら彼女らに「揺るぎない土台」がないこと。
「一定のスキル」を会得したはずが一瞬のうちに崩壊する。
原因はよくわからないが「気分」が大きな影響を与えているのか。
その結果行われるのは従来の「フォーム」を全く無視した「デタラメ」。
たとえるなら「1+1は本当に2なのか」という疑問がどこかに巣食っている。
その「直観」が実は「正しい」だけに何とも難しく痛ましい。
ただしその「正しさ」を受け入れるにはあまりに「無力」。
それほどまでに「安心できない環境」を生きねばならないのはなぜなのか。
個人的にはそちらの方に大いに関心があり
「未来」を見るにはその方が肝心だと思われるのだけれど。
鈴木謙介「ウェブ社会のゆくえ」を読む。
ウェブの情報が「空間」を「多孔化」するというのがポイント。
「現実の空間に情報の出入りする穴がいくつも開いている」という状態らしい。
そもそも「現実」などそれぞれの視点によって如何様にも変わるのだから
その「ネタ元」が「情報」であろうと特に変わりはないだろう。
「虚構」が「現実」を動かすことも昔からいくらでもある。
例えば「君の名は」が流行すると「真知子巻き」が流行したように。
テレビのように「共通項」を提供するメディアが力を失えば
「何が現実か」についての「争い」も当然起きる。
人々がバラバラになる中で
いかにして「共同体」を作るのかがどうやら「問題」のようだが。
勉強したことと思っていることを「現実」に当てはめてみた感じ。
著者にはもっと奥行きのある射程を持った論述を望みたいところ。
知り合いの若者たちを見ていて気付くのは
彼ら彼女らに「揺るぎない土台」がないこと。
「一定のスキル」を会得したはずが一瞬のうちに崩壊する。
原因はよくわからないが「気分」が大きな影響を与えているのか。
その結果行われるのは従来の「フォーム」を全く無視した「デタラメ」。
たとえるなら「1+1は本当に2なのか」という疑問がどこかに巣食っている。
その「直観」が実は「正しい」だけに何とも難しく痛ましい。
ただしその「正しさ」を受け入れるにはあまりに「無力」。
それほどまでに「安心できない環境」を生きねばならないのはなぜなのか。
個人的にはそちらの方に大いに関心があり
「未来」を見るにはその方が肝心だと思われるのだけれど。
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