退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「老舗バーの行方とはるか昔の『国際人』あるいは『ゾンビ』かもしれないわれわれと『彼岸』」について

2019-03-24 02:21:49 | Weblog
晴れ。今日も夜風が冷たく。

今宵は老舗バーへ電話するものの相変わらずの留守電。

かれこれ三月になるか。
再開の日が来るのかどうかはいよいよ不明。

「王維詩集」読了。

後半はこちらのアンテナに引っかかるものは少なく。
逆に訳し方にいささか引っかかるところもあり。

阿倍仲麻呂に送る詩があるのにはふむふむ。
「唐名」は「朝衡もしくは晁衡」。

彼が遭難して死んだと思った李白は「哭晁卿衡」を書くことに。
そこまで認められる「国際人ぶり」は知っておいていいかも。

帰宅後夕食をすませて早目に二階へ。
マーク・フォースター「ワールド・ウォーZ」(’13)をあらためて観る。

「ゾンビ」が増えつつある現在を思えば
「戦いは始まったばかりだ」という台詞や「壁」の無意味さはむしろ趣き深く。

自らに「死臭」を漂わせることでゾンビにとって「透明な存在」になれる設定も同様。
「不健康な匂い」が「餌として不適格であること」になり。

そこを敢えて「翻訳」するなら「従来の『健康』」を求めないことこそ
「生き延びること」になるという解釈などいかが。

「音に敏感」なゾンビは「クワイエット・プレイス」(’18)にもつながる。
「音=流行=刺激」だと思えば「ゾンビ=われわれ」だったり。

ブラッド・ピットが生き残る「ご都合主義」に目をつぶれば
意外なことが見えてくる作品なのだとしておく。

さて。

明日は墓参りに行くことに。
「墓」はむしろ「心の中」にあると思うのだが如何。

「死んだ人とのお付き合い」が多いとそういう考えにもなるわけで。
「生きている人の都合」はめんどくさいのみ。

なるほど自分は「ほぼ死んでいる存在」なのだと思うことしきり。
少なくとも半分「彼岸」を生きているらしい。
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