退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「昨日のあれこれと今日も大して変わらないこと」について

2021-12-31 01:57:20 | Weblog
晴れ。着ぶくれで寒さをやり過ごす。

昨日はまた身体に従う。
年末だからという意味もない理由も付けて。

台所の換気扇の油汚れを取ったり階段を雑巾がけしたり。
買い物に付き合ったり。

結局本を読まずに終わる。
たまにはいいのかもと思いつつ。

マイケル・ドハティ「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」(’19)を観る。

相変わらずハリウッドの「ゴジラの造形」は今ひとつ。
「モスラのテーマ」の作曲が古関裕而なのを迂闊にも忘れていて。

「マッドサイエンティスト」が「子どもを失った母親」だという設定が「新しい」のか。
「人類が地球にとっての害虫」だという「環境テロリスト」で。

「巨大生物との共存」を望んだ芹沢博士の渡辺謙は「さよなら古き友よ」と言って去る。
本来ならここにもっと段階を踏んだ「感情のカタルシス」があってもいいのだけれど。

「娘が母親を否定する」あたりをどう解釈するのかがポイントだったり。
チャン・ツィーが「神話」からヒントを得る描写にふむふむ。

モスラの「鱗粉」がゴジラに力を与えたり。
「家族の再結合」というドラマは正直つまらなく。

引き続きウィリアム・キーリー「情無用の街」(’48)を観る。

リチャード・ウィドマークの姿が観たくて。
もっとも本作はFBIの「宣伝」のよう。

冒頭にかの長官エドガー・ケイシーの言葉が出るのだからいやはや。
原題は「The Street with No Name」で「名前のない街」。

「赤狩り」の時代だからそういうことになる模様。
「Gメン」(’35)の「コピー」のような。

監督も同じだし。
残念ながらあまり魅力をそそられず。

以上が昨日のあれこれ。
今日はというと。

「柄谷行人蓮實重彦全対話」を半分くらい読む。

当時彼らの本をいろいろ読んだことを思い出し。
「知的に誠実であること=倫理」だということでよさそう。

今では「知的」どころか「倫理」はどこへやらといった趣きで。
「30年=一世代」が過ぎると「現実」も大きく変わることをあらためて。

今日も部屋に掃除機をかけたり風呂を洗ったりなど。
普段は「どうでもいいこと」に案外熱中する自分を確認。

要は「その気になるかどうか」がポイント。
もちろんなかなかそうはならないのが「基本」で。

「具体的な作業」は「無心」になれるから案外重要。
多寡の知れた「頭の中」で立ち止まるより余程マシなことは確か。
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