快晴。またまた日本晴れ。
「完訳 千夜一夜物語4」読了。
圧倒的に美しいふたりの男女はともに結婚を嫌うのだけれど。
各々の姿を見てそれが間違いだと気付き。
一層「燃え上がる」ための「困難」が用意され。
ラスト近くにはちょいとエロも含んで。
もっともそれはいかにもな男子目線だったり。
常に「誘惑するのは女子」だということになる次第。
繰り返すがこれは男子目線が「勝手に描いたかたち」であり。
「悪魔」なのは男子であることを忘れずに。
マル激を観る。
「インターネット化=隣の組織とつながること」が出来なかった結果と同時に。
「自らが属する組織の中での最適化」しか出来ないわが国のどうしようもなさよ。
当時製造業でのして来た中国に対して。
それとは違う価値を生み出すのではなく「同じ土俵」で戦うという間違いを犯し。
敢えての円安によって「製造系大企業の利益」を確保するなどという愚に至り。
それが現在までも続いているというのだからいやはや。
原材料の値上げには「買い控え」が正しく。
そうした「市場原理」を隠すような「弥縫策」が繰り返されて(特にガソリン)。
すでに外国人たちがわが国で働く「意味」は失われ。
「未曾有の高齢化」が生み出す「介護の必要性」には応えられるはずもなく。
結局は「放置される」しかないという最悪のシナリオが現実に近づきつつあるというのに。
円安によって打撃を受ける労働者たちを代表する政党がないこともあり。
この種の「現実」が伝えられなせいで。
若者たちはいたずらに「現状維持」を望む始末。
あらゆるデータは「わが国の没落ぶり」を示しているのだから。
そろそろ本気で「最高のエリート」を育てる環境を作り出さないとどうにも。
現在のわが国の購買力が1970年代初期のそれと同じなのを忘れずに。
そしてかつては「共同体」がカバーした貧しさへの手当てが今では出来ないことも。
「優秀な人材」の海外流出が止まらないのにも納得。
「こんな国」で苦労するより望ましい環境を手に入れた方がいいもの。
げにもかくやの「貧しさ」たるや。
もっとも「愛国心」を発揮するなら今こそこういう場所でと思うのだが如何。
サイモン・チャオ「シン・ランペイジ 巨獣大決戦」(’20)を観る。
オリジナルのタイトルは「クロコダイル・アイランド」。
いちおう巨大なクモも出て来はするけれど。
「現実のあまりのバカバカしさ」についついこの種の作品を。
かの国の「貪欲さ」はかつてはわが国にもあったもの。
「パクリ」など当たり前のこと。
それを見事に「換骨奪胎」まで「昇華」させられるのかが大事なだけで。
本作で気になるのは「父娘関係」。
まだそれを「美しく描きたい」模様。
どこまでも「見たいもの」しか見ない「オヤジ感覚」よ。
娘は父との関係をむしろ「無きもの」にしたいと思っているというのに。
なぜ特定の父親は好かれないのかと言えば。
「自らの価値観」のみを優先させるから。
要は娘であろうとなかろうと相手を「対等な人格」として見られないのが大問題で。
あらゆる場所で「男女関係の貧しさ」をあらためて。
「完訳 千夜一夜物語4」読了。
圧倒的に美しいふたりの男女はともに結婚を嫌うのだけれど。
各々の姿を見てそれが間違いだと気付き。
一層「燃え上がる」ための「困難」が用意され。
ラスト近くにはちょいとエロも含んで。
もっともそれはいかにもな男子目線だったり。
常に「誘惑するのは女子」だということになる次第。
繰り返すがこれは男子目線が「勝手に描いたかたち」であり。
「悪魔」なのは男子であることを忘れずに。
マル激を観る。
「インターネット化=隣の組織とつながること」が出来なかった結果と同時に。
「自らが属する組織の中での最適化」しか出来ないわが国のどうしようもなさよ。
当時製造業でのして来た中国に対して。
それとは違う価値を生み出すのではなく「同じ土俵」で戦うという間違いを犯し。
敢えての円安によって「製造系大企業の利益」を確保するなどという愚に至り。
それが現在までも続いているというのだからいやはや。
原材料の値上げには「買い控え」が正しく。
そうした「市場原理」を隠すような「弥縫策」が繰り返されて(特にガソリン)。
すでに外国人たちがわが国で働く「意味」は失われ。
「未曾有の高齢化」が生み出す「介護の必要性」には応えられるはずもなく。
結局は「放置される」しかないという最悪のシナリオが現実に近づきつつあるというのに。
円安によって打撃を受ける労働者たちを代表する政党がないこともあり。
この種の「現実」が伝えられなせいで。
若者たちはいたずらに「現状維持」を望む始末。
あらゆるデータは「わが国の没落ぶり」を示しているのだから。
そろそろ本気で「最高のエリート」を育てる環境を作り出さないとどうにも。
現在のわが国の購買力が1970年代初期のそれと同じなのを忘れずに。
そしてかつては「共同体」がカバーした貧しさへの手当てが今では出来ないことも。
「優秀な人材」の海外流出が止まらないのにも納得。
「こんな国」で苦労するより望ましい環境を手に入れた方がいいもの。
げにもかくやの「貧しさ」たるや。
もっとも「愛国心」を発揮するなら今こそこういう場所でと思うのだが如何。
サイモン・チャオ「シン・ランペイジ 巨獣大決戦」(’20)を観る。
オリジナルのタイトルは「クロコダイル・アイランド」。
いちおう巨大なクモも出て来はするけれど。
「現実のあまりのバカバカしさ」についついこの種の作品を。
かの国の「貪欲さ」はかつてはわが国にもあったもの。
「パクリ」など当たり前のこと。
それを見事に「換骨奪胎」まで「昇華」させられるのかが大事なだけで。
本作で気になるのは「父娘関係」。
まだそれを「美しく描きたい」模様。
どこまでも「見たいもの」しか見ない「オヤジ感覚」よ。
娘は父との関係をむしろ「無きもの」にしたいと思っているというのに。
なぜ特定の父親は好かれないのかと言えば。
「自らの価値観」のみを優先させるから。
要は娘であろうとなかろうと相手を「対等な人格」として見られないのが大問題で。
あらゆる場所で「男女関係の貧しさ」をあらためて。