退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「描写の経済とアイリッシュの少女の無垢さあるいは『素敵な国』であるはずの北欧の暗さと重さ」について

2019-10-20 03:30:45 | Weblog
雨。夜になって止む。

今日も「漢詩の名作集」。

白居易、蘇東坡、王安石、杜牧らの作品を再び。
わずか数語の漢字で表せる「描写の経済」を思うことしきり。

この種のものにだいぶ「身体を浸した」せいか
返り点の付いた文をかなり読めるようになり。

繰り返すがなぜこうした「文化」が消え去ったのだろう。
あまりに惜しいことに思えるのだが如何。

たしか下巻もあるのでしばし愉しみは続くはず。
本書は本来買って手元に置いておくべきか。

しばし「お付き合い」は続く。

ジョー・ライト「ハンナ」(’11)を観る。

「世界」を知らないまま「エージェント」として元CIAの父親に仕込まれたハンナ。
アイルランド出身で当時17歳のシアーシャ・ローナンの清々しさが何とも。

百科事典とグリム童話のみで育てられた少女は
英語、ドイツ語、スペイン語、アラビア語を習得してもいて。

「文明」から隔てられた彼女はフィンランドでの生活を抜け出し。
いかにも怖いケイト・ブランシェット演じるマリッサ・ウィーグラーと対決すべく。

敢えて一度は捕まりそこから逃亡する途中に「フラメンコ」など。
キャンピングカーで旅する一家の娘ソフィーとのやりとりがなかなか。

「心臓をはずしちゃったわ」

トナカイであろうと人間であろうと彼女の言う台詞は同じ。
「描写の経済」をもう少し考えてくれればと思った次第。

引き続きポール・シュレットアウネ「チャイルドコール 呼声」(’11)を観る。

ノルウェー・ドイツ・スウェーデン合作というのがいかにもな雰囲気。
欧州の一部はなぜこうも「重くなる」のだろう。

父親の虐待から逃れたのは見るからに神経を犯されている母親ノーミ・ラパス。
息子アンデシュの安全に異様に気を遣い。

「チャイルドコール」を買って常にそれを確認したいと思うものの
「虐待されている子どもの声」が聞こえて。

「自発呼吸」が出来なくなった母親を持つヘルゲと関わり
しばし安らぎの時を手に入れるものの。

何が現実で何が妄想かの識別が曖昧になる描写ぶりにふむふむ。
わが国では「福祉の充実した素敵な場所」とされている国の映画の中身を是非。

スウェーデンといえば思い出すのはベルイマン。
その表現の「苛烈ぶり」はどこから生まれるのだろう。

少なくともかの国にはそうしたものを生み出す「土壌」があることは確か。
その詳細について知りたくなる次第。
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