退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『カッコよさ』の意味」について

2016-03-29 03:00:18 | Weblog
晴れ。あたたか。

昨日はマル激を2週分観たせいか寝てしまう。

月尾嘉男による「消えてなくなる国家の条件」にふむふむ。
飯田哲也の「再エネ話」はいつも複雑でTVでの紹介には向かないのが玉にキズ。

それにしても。

カーリングの世界選手権で銀メダル獲得のニュースなど。
スポーツで世界と戦える力の一部でも政治に注げないものか。

圧倒的な「センスのなさ」が支配して久しい分野を
そろそろどうにかしないとヤバいはずなのだけれど。

斎藤環「ヤンキー化する日本」を読む。

なるほど「非知性主義の大本」はここにあったのかという印象。
ヤンキーを生み出し続ける「システム」が「学校」であることも忘れずに。

彼ら彼女らは「言語の意味」がキライ。
「理屈を避ける」その態度も言語でしか表せない事実には鈍感な模様。

「やってみなければわからない」のはいいとして
その一点突破を図るより多少なりとも「戦略」を参考にするのが「基本」だろう。

小林美希「ルポ 産ませない社会」を読む。

「利潤追求」と「苛酷な労働環境」が「妊娠」を「おめでた」でなくす現実よ。
そこには産婦人科の「医療崩壊」も手伝っているらしい。

子育てを一方的に押し付けられる「母親の孤立」についてもっと敏感でありたいもの。
「夫婦で子育てをすること」を不可能にする「企業」のどうしようもなさもあり。

何度でも繰り返すが「昭和幻想」を本気で「幻想」だとわからないとダメ。
「スーパーウーマン」でなく「ごく普通の女性」が安心して子育てしつつ働けないと。

それぞれに「価値観」はあっていいのだとして
「好きに暮らせる自由」がないのは何とも息苦しいのみ。

あれこれあるものの結局は「われわれの質」が劣化していることが問題かも。
せめて子どもたちには「上を向いて歩こう」と言いたいところ。

もっともそれを「普通のこと」にするためには
いたずらに年齢を重ねた「子どもたち」がもっとしっかりしないといけないのだが。

いわば「恥じない背中」を見せること。
「カッコよさ」というものはおそらくそこでこそ生きるはず。
コメント
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