退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「敢えて畏れたいこと」について

2016-03-02 02:08:16 | Weblog
晴れ。昼に風強く夜に冷える。

マーサ・C・ナスバウム&キャス・R・サンスティーン編
「クローン、是か非か」を途中まで読む。

本書に「キャス・R・サンスタイン」と書かれているのはスペルが「Sunstein」だから。
どうやらアメリカでは「サンスティーン」と発音する模様。

スティーヴン・ジェイ・グールドは「一卵性双生児=クローン」だと冷静に指摘。
リチャード・ドーキンスは「好奇心」から「賛成」。

アンドレア・ドウォーキンは「従順な女だけが生き残る」から反対。
同性愛者は「新しい家族ができる可能性」が増え「差別をなくせる」ので賛成など。

さまざまな角度からの意見にそれぞれふむふむ。
この種のことが「普通に」行われないわが国よ。

たとえば「臓器移植」のアンダーグラウンドの世界では人がすでに「商品」になっている以上
ヒト・クローンは確実にそのために使われるはず。

それにしても。

人の欲望の深さをあらためて思った次第。
おそらくクローンの存在そのものは善でも悪でもない。

個人的には「性悪説」を支持するのでヒト・クローンには反対。
「思い通り」をこれ以上はびこらせるとロクなことにならない気がする。

もちろん好奇心はあるけれどクローン技術を「制御」できるかと言えば無理だろう。
やめておいた方がいいのではないか。

「わかっちゃいるけどやめられない」というのが往々にしてわれわれの「現実」だったりする。
対象が何であれ笑ってすませることのできるあたりに留め置くのが「賢明」であるような。

「やらかした」ではすまない事態を恐れる気持ちが今のところは優勢。
「巨大な悲劇の共有」さえ時代とともに忘れ去られるのだから。
コメント
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