退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「失われた『正義』とかすかな『接触』」について

2016-03-27 01:56:46 | Weblog
晴れ。おだやか。

小林よしのり「保守も知らない靖国神社」を読む。

先の戦争の後で失われた「正義」について。
左右の主義に関係なく「事実」を知れと。

「時代の空気」によって左右が別れるということ。
「中庸」を指摘する著者のスタンスは見事。

気を付けたいのは「当然」を指摘し続けてそれが受け入れられないと
「過激」になりがちなこと。

「意味」をきちんとたどる作業をしている著者には感服。
とりあえず「まともな人」であることは確か。

もっともそれは主張をそのまま受け入れることではなく。
そのあたりの「バランス感覚」が重要だと言っておく。

今宵はやや遅れて老舗バーへ。

マスターに借りたDVD5本を返して。
いつもより遅い時間に行ったので「満喫」するまでには至らず。

またまたまた映画の話になり。

「あなたの年齢でどうしてそんな映画を知ってるの」と聞かれ
「学生時代の蓄積です」と答える。

当時あった映画館の名前など確認しつつ。
地元では故若松孝二が始めた「シネマ・スコーレ」を忘れずに。

繰り返すが「ゆきゆきて、神軍」(’87)の上映会のあとの飲み会で一度だけ実物を見たことがあり。
「みんな遊んでるな」と彼が言った記憶がある。

確か河合塾の有名講師牧野がいて
取り巻きの若い女子が「牧ちゃん」などと甘えていたような。

ただ彼の昔の作品はほぼ観たことがない不勉強で。
「われに撃つ用意あり」(’90)のしたたかさにふむふむと思ったくらい。

あとは大島渚「愛のコリーダ」(’76)で藤竜也をキャスティングできた時に
「若ちゃん、勝ったよ」と監督に言わしめたというエピソードを覚えているのみ。

いやはや。

世界はいつも広すぎる。
コメント
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