日本人にとって「山」と言えば富士山である。
私はなぜか富士山に登ることを拒否されている。いつもいつも、富士山へ行く日は天気が悪い。大雨が降り、深い霧が立ち込め、一歩も寄せつけないのである。
そんな私だが、実は富士山登頂は何度も果たしている。
言っていることに矛盾がある?いいえ、とんでもない。ウソはついておりません。
江戸時代の富士講という、富士信仰の一つとして江戸ではやったころ、各地で作らせた山がある。元々あった塚や古墳を利用したり、小山を作って富士山の溶岩を並べたりと、山自体はいろいろであるが、富士山が見えるところにつくるというのは共通していた。目下は、高層の建物が多く、私もいくつか登頂しているが富士山が見える富士塚は皆無と言ってよいだろう。
現在富士塚は、区などの重文に指定されているところが多く、また、保存のために登頂できないところがほとんどである。中にはいつでも登ることができる富士山もある。神社の一角にあるので、春は桜、秋は紅葉を楽しみながらの登山が楽しめる。
富士山の山開きの日にお祭りをして、近隣住民に登頂を許すところもある。
都内の富士塚一覧表によると、120もの富士山が確認されている。
江戸八百八講と言われていたが、関東に現存しているのは300ぐらいという。
富士塚は、螺旋を描くように登っていくと、一合目、二合目の碑が置いてある。塚にもよるが、祠や、碑が所狭しと置いてあり、山頂に近づくころには、一汗かくことも。
富士山自体の信仰は、今尚細々とではあるが続いている。日本人の大好きな山がなぜ今も、信仰と結びついていないのかは、大変疑問であるが、それには富士山とその周辺が、単純に観光地として発展を遂げたことに理由があると思う。
富士山があまりにも日本人にとって身近であったために、神や信仰に結び付けなくても、富士山界隈の町が廃れることはなかったのである。
そして、それは富士信仰が栄えない理由ともなった。
私たちが海外に出て、戻ってきた時に見る富士の山。旅先で遠くに見える富士の山。いつでも「あ!富士山だ」と言ってしまう、日本人のお山。
江戸幕府は富士信仰を良しとしなかった。もし、時の権力者が富士信仰に熱い人であったら、日本も、いや関東では、富士信仰の信者であることが当たり前の世の中があったかもしれない。[a]
富士は日本一の山♪地球散歩も頂点へ登っていかれますように!
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実際には行くことがままならぬ富士のミニチュアを造り、そこに登って富士山への思いをさらに募らせる。
非常にユニークですね。
庭にピラミッド塚でも造ってみようかな(笑)!
そうだ、その「Cool Japan」に出演していた8人くらい(?)の外国人、ほぼ全員が富士登山経験者だったんです。これには驚きました。
私たちがエジプトに行くとシナイ山に登ってしまうように、日本好きな外国人も富士山に興味を持つのでしょうかね。
ぜひ庭にピラミッドを!
その節は登らせてください(笑)
それこそ、長い大陸を過ぎて、日本海へ抜け、
しばらくすると雲海に泰然と現れる富士山を見ては
「ああ~日本へ帰ってきた~(TT)」と涙してました(笑)
登山は苦手、だけれど…
いつか、そんな苦手意識を乗り越えて、登れたらいいなって思っています^^
私もいつの日かせめて五合目までは行って見たいと思っています。