ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

Zoo

2007年05月25日 | 映画


Zooと言って思い出すのは、ピーター.グリーナウェイ
の映画「Zoo」だが、あの映画の中で、動物が腐って
いく姿をフィルムに納めるシーンが何回か登場する。
低速カメラで、動物の死体が粉々になるまでを、記録フィ
ルムのように撮影するのだが、はっきり言って趣味が
良い世界ではない。
しかし、映画の中では重要な部分であり、全てのもの
は風化するという厳然たる事実を端的に表現していて、
決して見世物的映像にはなってなかった(と思う)。
しかし、もしこれを趣味として捉えたら、世間一般で
は、変態的悪趣味ということになるのだろう。

なんでこんなことを思い出したかというと、中国の動
物園のニュース映像を見たから。
最近、遊園地とかのキャラクター問題も含め、何かと
話題を提供してくれる中国だが、今回もまたまたやっ
てくれました。
日本で言えばサファリパークのような動物園だろう。
その中を、車で巡るのだが、虎のエリアで餌をやって
その迫力を眺めるという趣向なのだが、日本だと車に
肉を引っ掛けて間近に見られるようにするところだろ
うが(確か)、その動物園では一味違った。
いや、二味三味か。
やおらもう一台のトラックが登場して、無理やり積荷
を降ろす。
それが何と、生きた牛だったのだ。
生肉ではなく、生の牛を餌としてそのエリアに放り込
んで、虎が襲うのを見物するという趣向なのだ。
あまりにストレートだ。
当然牛は必死に逃げようとするのだが、周りは虎だら
け。
その後の展開は推して知るべし。

これを知った「動物愛護団体」は当然の如く抗議。
まあそうだろう。
ローマの闘技場のような世界が未だに存在している、
ってな感覚か。
悪趣味な世界、と批判するところだろうが、そもそも
動物園というものが見世物的空間であることを考える
と、より面白くするための仕掛けとしてそう考えるの
は別に不思議ではない。
生肉をぶら下げるのとの違いは、それほど大きいだろ
うか。
苦しんで死んでいく姿を楽しむという一点で、悪趣味
ではあろうが、そうなると闘牛との違いはどうなのだ
ろうかという疑問も浮上する。
歴史伝統の違いか?
どちらにしろ擬似自然の動物園という不自然な空間で
は、様々な矛盾した問題が付いて回るということだろ
う。

ところで昨日の画像だが、当初は「一村」をイメージ
して作ろうとしたのだが、結果は全然違い、それでは
と、昨日の画像を元に再び作ってみた。
しかし今度も、「一村」というよりは、むしろ「若冲」
のイメージに近いものとなってしまった(と自分では
思っているのだが)。

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