まるで初夏のような陽気に誘われて、「田中一村」
の展覧会を見に行ってきた(うーん、あまりに定型的
な書き出し)。
「田中一村」という人は、所謂「孤高の芸術家」とい
言われる人で、最後は奄美大島で孤独に生涯を終えた。
団体には属さず、自らのために描き続けた画家で、そ
の奄美大島での作品が彼を死後評価させることとなっ
た。
よく、「伊藤若冲」との共通点を指摘されるので、個
人的にも一度本物を見てみたいと思っていたなのだが、
タイミングよく地元の美術館でやることになったので
ほいほいと出かけたわけだ。
諏訪湖畔を自転車で半周ほどのところにある「ハーモ
美術館」についた時は、すでに汗だくだく。
ここは、「素朴派」(ルソーを代表とする)中心の美
術館で、何故だか知らないが今回「一村展」をするこ
とになったのだ。
今ひとつ判りにくい自動ドアから入ったら、その割り
に中は暑かった(関係ないが)。
いきなり目に飛び込んでくるのは、これも何故だか知
らないが「ダリ」の時計が溶けかかっている彫刻。
そう言えば、二階には何故だか「マンレイ」の彫刻も
あった(ここだけ見ればダリからダダというつながり
か、なわけないな)。
これらは常設なので常にあるもの。
「素朴派」のコンセプトはどうなっているのだ、とい
う疑問はこの際不問。
「一村」の展示室は別室を使っていた。
これがまた本当に別室で、一旦外(二階)の廊下を通っ
ていかなくてはならないという判り辛いところで、案
の定迷っている人がいた。
一村の作品は、奄美の50才以降と以前ではまるっき
り違う。
以前のは南画的な、割にオーソドックスな作品で、一
村らしいというのはなんと言ってもそれ以降の奄美で
の作品群だ。
その時代のものは6点(?)ほどあった。
有名な「アカショウビン」(カワセミの仲間で、全身朱
色のいかにも南方系の鳥)も。
さて本物の一村であるが、まず気付くのは、そのモチーフ
に対する個性的な視線。
そこに、若冲との共通性を感じた。
動物や植物は一般的なモチーフであるが、それが昆虫
までいくと一般的ではなくなる。
若冲もそうだったが一村も、普通に接する昆虫を実に
細かく描いている。
主に蝶だったが、確認したところでは「アサギマダラ」
「イシガケチョウ」「ツマグロヒョウモン」が描いて
あった。
他には蛾の「シンジュサン」など。
この辺の個性的な視線は、個人的にも嬉しかったりす
るところ。
後一村の個性は、その洗練されたデザイン性か。
そのまま「エルメス」かなんかのスカーフとして使えそ
うな植物の装飾性は、かなりのレベルだ。
そのデザイン化された植物の中に、たとえば「アカショ
ウビン」のアカショウビンだけは陰影を持った立体で
配置する。
周りは、殆ど平面的な装飾的背景。
この表現スタイルは「クリムト」などに共通するもの
ではないか。
色彩は、南国的なはっきりした色。
バリなんかでよく目にする色彩感覚だが、こういう色
はその風土特有なものかと思われる。
そう言えば、「ゴーギャン」が絵は装飾的でなくては
ならないというようなことを言っていたが、その条件
にも一村の絵は当てはまる。
南国的色彩感覚と装飾性、確かにいろんな画家との共
通点を見出すことは出来る。
モチーフとか斬新なデザイン性など「若冲」との共通
点があることも分かったし、「クリムト」「ゴーギャ
ン」にも通じる点があることも分かったが、そういう
のは美術史家的視点で、「一村」の作品を見るのにな
んら重要なことではない。
「一村」は「一村」であるのだから、重要なことはた
だただ作品を見るということで、分析することではな
いのだ。