ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

特待生

2007年05月04日 | Weblog
高校野球界を激震させている(らしい)問題だが、正
直なところ、何を今更と思う。
前からずっと続いていることに関して、ここに来て一
気に問題化したのは何故なのか、そちらの方が知りた
い。
そもそも、高校野球がこれほど特権化され、純粋幻想
によって支えられ、高野連という権威団体が支配する
という、その構造そのものがおかしいんだから、高校
野球に興味の無い人間からすると、これを機に、高野
連廃止、甲子園大会廃止になってくれても全然かまわ
ない。

もう一つ重要な役者を忘れていた。
マスコミだ。
この場合、朝日新聞と毎日か。
自分達の販促、つまり金儲けのために、甲子園大会を頂
点とする高校野球というのを作り上げた。
「汗と涙の物語」(純粋幻想の第一歩)という、大衆
の心をぐっとつかむ仕掛けも用意し、甲子園大会は特
別なものであるいう特権化にも成功。
高校生のスポーツの頂点のような扱いをしたおかげで、
一般の人間も、本来ならどのスポーツも対等であるは
ずなのに、高校野球だけ特別扱いするようになった。
毎年毎年、その時期になると大きく紙面を割けば、素
朴な人はそう思ってしまう。
その基本的な構造は、今でも世界バレーとか世界陸上
などでも充分生きている、というか、エスカレートし
ている。

権威が出来、特権化されると、利権構造が生まれる。
日本人の野球好き(本当にそうなのか)も背景にあり、
選手の商品的価値は増してくる。
親も欲を出し、業者も協力、選手(生徒)は犠牲者と
は絶対言わない、自分達の成功はプロでかせぐことな
どということは当然意識しているのだから、親、業者、
選手(生徒)、それに高野連の、四位一体の癒着は強
固なものとなる。
マスコミ、学校もからむから六位一体か。
全体を支えているのはファンだから、七位一体だ。
まあ兎に角、金になるわけだから、いろんな問題が起
こるのは不可避だ。

特待生という制度は、例えばスポーツ以外の勉強が出
来る生徒に対しても適用されているのなら、スポーツ
だけ廃止というのもおかしい。
秀でた才能に対しての制度だったら、たとえスポーツ
馬鹿であろうが、その才能は才能なのだから特別待遇
はあっても良いのかな、ということだが、素朴な人々
を感動させるのは間違いなく、勉強ができる人ではな
く、スポーツ選手だ。
そういう点を評価するなら、スポーツこそ特別待遇す
るべきだという考えがより正当性を持つことになる。
しかし、これって完全に独裁国家の為政者が、素朴な
国民を素朴なままにするために使う、常套手段ではな
いか。
国力とか考えたならば、スポーツなんかより、研究者
(勉強が出来る生徒)の方を特別待遇(投資)すべき
だと思うが、政治家は人気優先だから美味しいところ
を利用するだけで、多分表では何もしない。
それに、経済原理が全てに優先するから、スポーツが
金になる限り、この構造は不変だ。
今回も、どうせ何も変わらず、痛みの無いところで決
着するのだろうが、「夏の甲子園は」本当鬱陶しい。
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