『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』**終戦直後に建設された黒川小学校保存について**≪2022.夏季号 Vol.113≫

2022年08月25日 | 川西自然教室

終戦直後に建設された黒川小学校保存について

田中 廉

 川西市黒川地区は「日本一の里山」と呼ばれ、今もコナラ、クヌギなどの落葉樹主体の山々が連なり、春はエドヒガンザクラ、ヤマザクラ、少し遅れてカスミザクラが咲き、5月には薄緑、緑、黄茶など新緑で一斉に山が笑い出し、秋には黄、茶、赤茶、赤色と多彩な色に染まり、冬には葉を落とし静かに春を待ちます。

 田畑の少ない山間部ですが教育熱心な土地柄で、1873年(明治6年)明治政府が全国に小学校を建設した時、黒川地区には建設の計画はありませんでしたが、黒川、国崎、横路の住民の運動でお寺の一部を借り、教師1名、生徒16名で小学校が開設されました。その後1904年(明治37年)に現在では兵庫県で最古の木造校舎である北校舎が建設され、学童疎開などで生徒数が増えた結果(生徒数109名) 1946年(昭和21年)に南校舎が建てられました。北校舎は入母屋屋根のある風格のある建物ですが、南校舎は敗戦後すぐに建てられたので簡素な作りです。戦後すぐの最盛期でも児童数109名の小さな小学校です。黒川の山裾の南斜面に同じような大きさの小さな校舎が上下に並んで建っています。しかし児童数の減少により1977年(昭和52年)に休校となり、黒川公民館として使用されていました。戦後76年間南北の校舎はオシドリ夫婦のように仲良く静かに年を重ねました。

 ところが今年(2022年・令和4年)3月に廃校が決まり、「旧黒川小学校の南北の校舎、および運動場に建設予定の黒川里山センタ-(仮称)の施設運営に指定管理者制度を導入し民間委託し、2022年(令和4年)度に事業者を募集する。南校舎は事業者の提案次第では解体も視野に入れる」と新聞報道されました。オシドリは2羽いてこそ絵になるのに、校舎のうち地味で華やかさの少ない南校舎(メス)が取り壊しの危機に陥りました。

 私たち川西自然教室は、例会、植物観察会などで黒川にはよく出かけ、黒川の一部で里山の整備も毎月行っています。数年前までは、春休みに合わせ黒川小学校の運動場で「野草を食べる会」も行っていました。なじみのある建物がなくなることに危機を覚え、いろいろと調べると、残すに値する建物だと確信するに至り、市議会に保存のための請願を行いましたが、継続審議となりました。それで、署名活動を開始し9月の議会に再度提出する予定です。

A 建物そのものの重要性

 専門家は「全国各地に点在する木造校舎は、明治から戦前のものが主流であり、戦後の木造校舎は極めて稀であり、希少価値があります」(円坐設計)と述べています。戦後、中学校新設もあり大量の木造校舎が建設されますが、1959年(昭和34年)、日本建築学会が「木造建築禁止」を決議し、その後25年間大型木造建築は建設されず、鉄筋コンクリ-ト校舎に次々と建替えられてゆきました。戦後、木造校舎が建てられたのは戦後初期の14年間と、規制が緩和された1985年(昭和60年)以降です。今では戦後初期の木造校舎は全国的にも数が少なく非常に貴重なものです。特に昭和20年(1945年)代前半に建てられたものは、いろいろ調べましたが極めて少なく、現在の黒川小学校南校舎はほぼ建築時のままと言われており、その歴史的価値は高いと思います。旧黒川小学校は2009年(平成21年)に兵庫県の「景観形成重要建築物」に指定されており、一体として保存されることにより、明治から昭和にかけての日本の山村地域での教育・文化の歴史を肌身で学ぶことができます。

B 戦後教育の象徴として

 南校舎は1946年(昭和21年)敗戦後国民が失意と困窮のどん底にある中で、子どもに教育をということで、何よりも優先して建設された校舎です。そこには、国や郷土の再建のためには未来を担う子供たちの教育が大切だという、先人たちの祈るような熱意がひしひしと伝わってきます。建物があってこそ、そこで遊び、学んでいた子供たちのことをより豊かに想像でき、今日の豊かな日本を築く原動力を育んできた戦後の教育・文化の大切さと、その変遷をより深く理解することができるのではないでしょうか。

 「米100俵」という言葉があります。「長岡藩は幕末、徳川側につき徹底抗戦をしますが敗れ、長岡は焼け野原になります。「国が興る(おこる)のも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ。」と教育第一主義を唱え、三根山藩からの救援米百俵をもとに、国漢学校を設立し、多くの人材を育て上げた」という話です。終戦直後の「米100俵」を象徴するのが旧黒川小学校です。

C 費用について

 老朽化が進み耐震工事など維持管理に費用が掛かることは理解しています。しかし、「旧黒川小学校保存のふるさと納税」や、「クラウドファンディング」等、多くの人達から資金を集める方法はあります。また、「登録有形文化財」(現在1万件ほどが登録されている、敷居の低い制度)ですが、これに指定された場合耐震工事などの費用の一部が国から補助されます。


D 観光の拠点として

 黒川は「日本一の里山」でありながら、すぐ近くまで公共交通のアクセス(能勢電、国道、県道)が確保されており、大阪からも移動1時間圏内に入るなど、他地域にはない有利さを持っています。豊かな自然の中、明治・昭和の教育文化を象徴する「旧黒川小学校」は、自然を体験する「黒川里山センタ-」と共に黒川の将来に大きな役割を果たすでしょう。

 一度潰してしまえば、もう元には戻すことはできません。将来の川西のために、ぜひ、旧黒川小学校を残しましょう。

追伸:2012年(平成24年)、江戸初期建設で大阪市で一番古いといわれ、府指定文化財の十三の渡辺邸(敷地2500㎡)が、相続税が払えないとの理由で解体され土地売却に至りました。大阪府は買取に5億円かかるとのことで買取を断念したとのこと。金がないとのことで安易に文化財を破壊すべきでないと思い、今回の行動に至りました。

【投稿日 2022.8.11.】

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