『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』原爆の日に思う**<2003.9. Vol.25>

2006年01月09日 | 砂場 徹

原爆の日に思う

代表世話人 砂場 徹

 8月の初め、久しぶりに原爆展を見た。一面の火の海の中、焼けただれた皮膚をぶら下げてさまよう人々の群れ。水を求めて川原に折り重なる死者。天を睨み手を突き上げた黒こげの死体。コンクリートの壁に今も残る光線を浴びた人影。放射能が次代の肉体を破壊した姿などなど。思わず顔をそむけたくなるヒロシマ・ナガサキの被爆の惨状に、昔はじめてこれを見たときと変わらぬ強い衝撃だった。

 原爆展の会場に人かげはまばらだった。入り口と会場内に一人づつ座っている関係者らしき男性の顔色をそっとうかがってしまった。端然と座っておられた。頭が下がった「申しわけない」と。

 いま、ヒロシマ・ナガサキの「空洞化」がいわれている。「被爆国日本」「世界で唯一最初の被爆国」といわれ、原水爆反対の声はいまや世界中に広がっている。なのになぜ日本でこうなるのか。このおそろしい絵と写真を見れば一人残らず「原水爆に反対」するにちがいないのにと思いつつ、私のこころのつかえは下りなかった。

 私が最初に被爆の実情を絵と写真で見たのはそれより前のことで、講和条約締結前後、労働組合が展示会を取り組んだときだ。当時は小学校や公会堂が会場を提供してくれた。それから半世紀を経たいま、人のまばらな寂しい会場で、青年時代の身のふるえるような衝撃と、しかし広い会場に人があふれて嬉しかったことなどを思いだし、しばし思い出にひたった。私が軍隊・捕虜から解放されて帰国した1950年頃は、「朝鮮戦争を支持するかしないか」「単独講和か全面講和か」をめぐって、新生日本は二つの見解に分かれて大論争を展開していた。論争は、日本政府の「朝鮮戦争支持」「アメリカとの単独講」という決定で決着した。労働組合の二つの潮流は当初は朝鮮戦争支持と反対に割れたが、途中から統一して朝鮮戦争に反対した。講和問題では二つに割れた。この選択は日本の今日の対外政治姿勢の基礎を形作った。論争の重要な舞台となった労働組合運動はこのときの分岐のまま組織的にも分裂の歴史を歩んだ。労働組合が運動の中核を担っていた原水爆禁止運動も「原水禁」と「原水協」の二つの組織に分裂し、今日に至っている。これは不幸なことだ。だが、双方とも「原水爆反対」の闘いの旗を掲げつづけていることの意義は大きい。たしかに人々の関心が薄らいでいるのかもしれない。年に一度のイベント化してしまったという批判もあたっているだろう。とりわけ日常の苦しみとつながらない、という声は厳しい指摘だと思う。そのうえでだが、私は原水爆禁上の声が上がらない理由の一つに現在は世界のどこかで戦争が起こっているということがあると思う。私の青年時代、原爆展をやった頃は日本中で世界で「戦争反対」の声が満ち満ちていた。大戦が終わって世界の人々は新しい平和と友好の社会をめざして希望に燃えていた。人々は原爆の惨禍が愚かな戦争の結末であることをよく知っていた。今日はどうだろう。アメリカ国民の大半はいまも「原爆投下は日本に戦争継続をあきらめさせた。日本国民を救った正義の行為であった」という政府見解を支持している。「悪魔の殺人兵器」が戦争の抑止力になるというのだ。日本にもこの勢力が存在する。それに最近アメリカは核兵器という言葉を大量破壊兵器と言い換えて、核兵器の特性をあいまいにしている。また冷戦体制が終焉した今日、かえって世界のどこかで戦争が勃発し、無辜の人々が殺されている。この状態は常に大国の核の脅しに支えられている。戦争がなければ原爆(核兵器)が使われることもないのだ。ヒロシマ・ナガサキが空洞化しているとするなら、それは核兵器の存在になれっこになってしまっている状態が蔓延しつつあることではないか。あらゆる戦争を平和の声で抑止できなければ、核兵器の危機は常に存在する。

 いま、朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」と略す)が核開発をすすめる可能性について表明し、波紋を広げている。核兵器の所有にはもちろん反対だ、だが通常兵器で圧倒的な強さを誇る大国が核兵器所有を許されて、その大国が核拡散防止ということで小国の核保有を許さないというのは理屈が通らないのではないか。まして「ならずもの国家」と名指されたイラクの国家体制が、国際的反対を無視したアメリカの武力で蹂躙された現実を目にして、同じく「ならずもの国家」と名指された「北朝鮮」が核開発でこれに対抗しようとするのを非難する権利はどこにもない。アメリカの一国主義、力の政策の抑止こそ必要なのだ。根本的には地球上から核兵器を無くしてしまえばよいのだ。大国が率先して核兵器廃絶を実行すべきである。

 この日、原爆展の会場へ向かう直前、連れあいが頭からビチャぬれのまま飛び込んできた。笑っているような、怒っているような奇妙な顔付をしている。そして「フッフッフッ、、、、蝉のオシッコ、ゲラゲラ、、、、、」よくよく聞いてみると近所のおしゃべり仲間と木陰で涼んでいると、顔にピチャピチャとなにかが降りかかり、涼しくてとても気持がよい。

 「気持ちええなあー、なにやろこれ」「あんた、なにゆうてんのん、それ蝉のオシッコやないの」「ゲー、あわわわ」家へ逃げて帰り、シャワーを浴びて私のところに来たというわけだ。街の子だった私たちは二人とも蝉のオシッコを知らなかった。この歳になっても知らないことがたくさんあることだろう。ところでヒロシマ・ナガサキのあの日の蝉は子孫を残せたのだろうか。蝉のオシッコと原爆はどうしても同居できない。この平和がうわべだけでないように願いつつ。

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