『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』俳句好きの俳句知らず**<2014.1. Vol.82>

2014年01月17日 | 藤井新造

俳句好きの俳句知らず

藤井新造

浜風に一喜一憂若き日々  江夏豊

 俳句の解釈は難しい。年末から今日まで二週間余り、毎晩、寝る前に「第17回;毎日俳句大賞」の句を読んでいた。又、この夏、尼崎在住で大のタイガースファンの俳人、木割大雄さんの句集「庵」を買ったのを読んだり、「新選俳句歳時記」(多田道太郎;著)の本をぺらぺらとめくりながら、音楽を聞き寝ついている。

 しかしあまり本を読み過ぎると、ついつい寝入りが遅くなり、翌朝睡眠不足になり困るので適当にきりあげている。

 俳句は作るのも、解釈するのも私にとっては困難な作業なので、近年は短歌、特に全国紙の短歌欄に眼を通し、気に入ったものをノートに記入している。家で購入している新聞で飽き足らず、図書館で、全国紙に載っているいいと思ったものを手帳に記入して帰る。これも近年少しづつさぼり、自分では老化現象と思っていないが、意外と加齢のせいかも知れない。

 短歌なら少しは理解できるが、俳句が難しいのは、俗に言われているように言葉が短すぎるからである。

 俳句大賞のこども部門には、次のような句がある。「南からつばめが運ぶ空の色」、これなど本人が「小学4年生になって理科の授業で、つばめのことを学習した。そんなとき、校内で巣を作ったつばめの親子を見て思いつきました。」と言っている。つばめが子育てのために南の国から日本にやってくるのを、いかにも見事に言い得ているのに感心する。私が小学校4年生の時は、終戦の年で物が何にもなく、食べもの事ばかりを考えて飢えない程度に生きていた。

 つばめが運んでくる「空の色」など想像することも出来なかった。それも「南から」なんて言葉は、今の社会での学校でこそ学べたと思う。時代の違い、それも平和な社会であるからこそ勉強できたのであろうと痛切に感じている。

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 つばめに関して私には、にがい想い出がある。亡くなった母親は、つばめがくる家は、この鳥が幸せを運んでくれると――本当にそう思っている――何時も私に語っていた。そのため毎年、巣づくりのためやってくるつばめのために、玄関の戸の上部のガラス部分の一角を、切りとり入りやすくしていた。

 そうであったが、何時しか私はすいすいと飛んでくるつばめを、どうしても手で握りしめたくなった。ある日、ほうきを持って家に入ってきた一羽のつばめを追いまわした。さして広くない家であったが、奥の4畳半の部屋へ閉じ込めることに成功した。つばめは天井板にはりつき、必死にあっちこっちへと逃げ、私も懸命に追いかけたが、つばめの逃げ方が早くとらえることができなかった。つばめはそれこそ命がけで逃げていた姿が未だに忘れられない。残酷なことをしたものだった。

 して本題に戻ろう。

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 こどもの部門の俳句大賞の続きである。次の句もわかりやすい。「あさがをがとなりの花としゃべってる」(本田彩来)「ゆうだちだかみなりさまのみずあそびだ」(沼田優子)「雨蛙葉っぱの上のおにごっこ」(高尾菜央)

 それに比べると一般の部はわかるようでいて難しい。大賞が「春潮に触れむばかりに着陸す」(鹿野登美子)の句である。大分空港に着陸する直前、飛行機は国東半島の上を西に向けてゆっくりと降りて行く。私も経験があるが、地上にいて春潮すれすれに機体が触れんばかりに急降下する模様を眺め、その一瞬をとらえて成功した句であろう。しかし、地上にあっても機内でも同じ経験はあるだろう。そのことが知り得ないのだ。どちらであってもいい句なのだろうが……。

 準大賞として、「白神の雪解の水を田に満たす」(岩田秀夫)「百歳の母の声聞く夜長かな(福西礼子)、の句は言葉通りの解釈でいいと思う。だが、<一般の部優秀賞><一般の部入選>の句も各々句としては、上位の句とそん色なくいい作品ではなかろうか。甲乙つけがたいと言いたいのだが、どうであろう。

 次に、各々の入賞者には高齢者が多いことが眼につく。例えば「稲架を組む夫婦に月の上がりけり」(山賀春江・90才)「手話の指さくらさくらを合唱す」(當摩八千代・84才)「八方にある漁火や夜の秋(平田幸子・95才)「万緑の中鍬の柄で立ち上がる(茂木妃流・87才)の人である。俳句ほど年齢差なく作れる文芸作品は他になかろう。

 何回も言うが俳句を作れない人間からするとその解釈は難しい。前記の木割大雄さんは、阪神タイガースのエースであった江夏豊と、甲子園球場周辺を吟行したことがあると、彼の本の中で書いている。その江夏に「すいすいとモーツアルトにみずすまし」の句がある。多田道太郎は「即興でモーツアルトのタクトを振り、即座に名句をものにする」人として、江夏を賞めている。しかし、理解できそうで、私はそう解釈できず困ってしまう。「浜風に一喜一憂若き日々」、これなどは野球を少し知っている人であれば、誰しも理解できよう。理解、解釈のできない俳句にぶつかると、俳句は難しいと思わざるを得ない。

 木割さんの本を、本人から直接買った時、この有名な俳人は本にサインをしながら私に、「俳句を作るのか」と問いかけてきた。私はすかさず「作ろうにも作れないんです」と答えるしかなかった。その晩、彼の句集とエッセイ『俺』を読み、俳句を創りはじめると一生の仕事になりそうな気がして、私にその才能がなかったことを幸いに思った。

 そしてこの一年間、何を思ったか『高浜虚子』(冨士正晴;著)を読みかけ、読みかけては中断している自分にあきれかえっている。まだ半分にも達していない。又、芦屋浜に建っている虚子記念館の前まで行って、何故だか入館しなかった。比較的近い所に居るのだから、今年は是非入館する予定である。そして、冨士正晴の『高浜虚子』の本を読みきりたいと思っている。

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