『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』**神隠し考**<2019.冬季号 Vol.105>

2020年02月24日 | 北部水源池問題連絡会

神隠し考

北部水源池問題連絡会
林 和好

 昔聞いた話だから詳しいことは忘れてしまったが、神隠しは高度経済成長期の始まる前には各地でよく聞かれた話しらしい。

 富山県礪波郡東般若の散居村としても有名な在所で、ある日の午後、忽然と一人の若者が姿を消した。昭和2~3年頃の出来事らしい、丁度田植えも終わりかけた6月中旬頃であったそうだ。

 村は大騒ぎとなり、村中の人々が総出で鉦や太鼓を打ち鳴らし、山や川や野原をくまなく捜し回った。しかし、若者は見つからず、その内だれかれとはなしに天狗が連れ去ったのではないかという噂が立った。

 村外れの境界はいくつかに分かれており、その辺りは怪しみ恐れられていた。そこには昔から天狗が舞い降りるという大木があり、村の人たちはその大木に天狗が降りて来るのを何人も見ていた。夜、村人たちは提灯をかかげ大木を幾重にも取り囲み、かえせ、かえせと大声で叫びながら、天狗が下りてこないか見張ったそうだ。

 数日後、若者は信州の山奥で発見され、地元の警察に保護された。若者は天狗に引きずり回されたらしく着衣はボロボロ乱れ、全身傷だらけだったそうである。

 村から遥か遠く離れた信州の山奥まで幾つもの険しい山谷を越えて、数日で行けるのはやはり天狗の仕業に違いないと村人は思ったそうだ。

 神隠しは本当にあったのであろうか。民俗学辞典によると「人が突然行方不明になり、数日捜しても見当たらぬ場合、往々にして人々は神隠しにあったといった。ことに子供に多く、まれに大人の場合もあった」と記してある。

 大人が神隠しにあった記録は少ないらしい。「耳袋」には「神隠しというたぐいある事」というなかで、18~19才の大工の息子が神隠しにあった話しが、「現代民話考l」(松谷みよこ 編)には大人の神隠しの話しが収録されているが、文献として記録されている事例は極めて少ない。

 「近世神隠し考」(山本光正 著)には「家出の原因を神隠しとしたのではないか。家出人や欠落人や出奔人が無事帰村した場合、神隠しという救いの手段として用いられた。過去を水に流す方法 の一つだった訳である。」また「成人の神隠しについての記録は少ないが、これは実際起きた神隠しより、家出人の救いとして用いられた神隠しの方が多かったため、近世の記録や伝承として残 ることが少なかったのであろう」と 推察している。

  柳田国男の「遠野物語」に は「黄昏に女や子供の家の外に出て居る者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ」と書いてあるが、黄昏時に行方不明になることが多かったらしい。ある地方では、夕方のかくれんぼは戒められている所もあったと聞いたことがある。

 吉本隆明も共同体の枠組の強い時代の異種の共同体の男女間の交通のあり方、結びつきは「神隠し」や「物隠し」や「ひとさらい」の外に考えられないと語っている。

 内山節の著書「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」には昭和40年以降、キツネにだまされたという話が社会から発生しなくなった。魔物の住む場所、世界がなくなってしまったのか。天狗の物語と通ずるものがあるような気がする。

 小松和彦は「神隠し」の著書のなかで神隠しとは、要するに失踪時には、人隠しであると同時に、こちら側の現実隠しであり、帰村時には失踪期間中の体験隠しである。家族生活や学校生活、会社勤めに疲れきった私たちには、現代こそ実は「神隠し」のような社会装置、突然帰還した人を 以前と変わらぬように、自然と迎えてくれる、そうした思いを実現してくれる装置が必要ではな いかと述べている。

 話しを初めに戻そう。神隠しにあった若者は帰村し、どのように取り扱われたのか、残念ながらその顛末は知らない。その後聞いた話しでは、若者が失踪するその日の午前中、徴兵検査を受けたそうだ。また、その日の夕方、松本行きの貨物列車が高岡駅から出ていたそうだ。天狗の神隠しがそのことであったかも知れないという噂が一部に流れたとも聞いた。

 

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