ハドソン・ベイ号とハドソン湾のホエールウオッチング(2)
川西自然教室 森 雄三
ベルーガホェールは和名をシロイルカと言い銀白色の体をした美しい中型のイルカで、チャーチル川では6月半ばから8月にかけて観察することができる。今日は6月22日でシーズンは始まったばかりであるが、なぜかお昼過ぎから猛烈に暑くなりクーラーはフル回転しているのに全く効かず、とても北の果ての町の実感がない。
翌朝早く爽快な気分で起床、散歩でもと外へ出たとたんに震え上がった。一晩の間に冬になっている。それでも日が上がるにつれて寒気がゆるんで来たのでツアーの事務所に出向くことにした。庭の片隅から巨大なパラボラアンテナが宇宙の彼方をにらんでいる。大陸国家カナダは通信手段が重要で、ましてここは自動車の入らない僻地となればなおさらであろう。窓からその電子お椀が見える部屋でチケットを貰う。午後の出発と聞いていたのに、夕方4時集合と記されている。随分遅い時間だと思ったが潮の加減がイルカの出没に関係するらしい。
今チャーチルは花の季節で、春・夏・秋が一度に到来している。予定外の時間のおかげで町外れの野や湖岸べりに咲き乱れる野草をゆっくり堪能する事ができたし、ハドソン湾側の岩だらけの海岸で1932年――私の生まれる3年前――の落書きも見つけた。そろそろ時間と宿の近くまで戻ってきたら、脇道から大通りに出てきた黄色いスクールバスが私達の前でクラクションを鳴らしながら止まった。おや、と思う。中は子供達でなく大人ばかり、ハドソン・ベイ号での顔見知りも見える。
先ほどの事務所の人が降りてきて乗れと合図したのでツアーバスと了解した。あちこちのホテルで参加者をピックアップしてきたのであった。しかしいささか気になる事がある。車体に表示された[スクールバス]とは、通学専用のバスをツアー用に転用しているのか、それともスクールバスなる名の会社があって商売にしているのか、一体どちらなのだろう?
ホエールウオッチングのコースは、まず船でチャーチル川の対岸に渡り、18世紀に建造されたプリンスオブウエールズ砦を見学する。万一の場合のポーラーベア、つまり北極熊の出現に備えてライフルを背負ったチーフガイド以下4人の案内係が付き、小さな岬の先端にあるる砦までお花畑の中を歩く。日が少し傾いてきたが暖かくなり気持ちが良い。石造りの砦は空から見ると星形をしていて、最上段の城壁の5メートルおき位に、直径が一抱え長さ3メートル位の青鋼製先込式カノン砲40門が据えつけられている。毛皮などハドソン湾の産物を巡っていさかいがあった時代、対フランス軍用として建造されたものであるがいざ戦端を開いたとなると一発も発射せずに降伏した、との事である。黒光りする大砲の列を眺めて、文字通り無用の長物とはこれなり、とその時思ったわけではない。ガイドの現場説明は例によってチンプンカンプンだから、貰ったパンフレットを後で懸命に読んでこの文章にしているのを白状しなければならない。
いよいよホエールウオッチングである。観測船シーノースⅡ号は、ボルボ製ディーゼルエンジン駆動の2基のジェットポンプで水を吐出して推進する。スクリューなど船体外部に可動部がないので、近寄ってくるシロイルカにも危険がない。船体中央には高い観測塔があって上からイルカの姿を探す。河口付近をあちらこちらと移動すること30分、風が冷たさを増して来る。突然、エンジンが停止した。右舷の彼方に発見したようだ。客がドッとそちらの方にと寄ったので船が右に傾いてしまう。もう8時前だが陽はまだ西の空に残っていてキラキラと金色に光る波間に、影が2つチラとはねた。エンジンがかかり、今度は静かに前進し再び停止する。見えた!真白な躰をくねらして一瞬波の上に現れたかと思うと次の瞬間には潜水している。1頭、2頭 ……3頭、4頭……。潮を吹き上げるのもいて、どうやら船の周囲を廻りながら段々近付いてくる様子である。甲板上のスーピカーからは水中聴音機が拾ったグェーとかギーとか鳴きかわす彼等の声が聞こえる。至近距離に来たのでズームレンズを望遠側にして写真を撮る。両目を開けたまま一方はファインダー他方はイルカが水面に現れた瞬間を追う。1枚、2枚……5枚、6枚 ……何回写してもボタンとシャッターのタイムラグのため顔が捉えられない。かくてはならじと首を出す位置を予想して何とか2、3枚撮った。が、後でプリントを見たらやはりダメであった。
観測船が帰途につくと彼等は同じスピードでついてきて、船体の下に潜り込んだり反対側に跳び出したりする。もう少し自分達と遊んで欲しいのだそうである。船が桟橋のそばまで来て、やっと離れ名残惜しげに泳ぎ去った。[ウオッチング]と名のるツアーであったが本当は、我々が彼等のお相手をさせられていただけなのかも知れない。