国分寺のそばの商店街にあった一位一刀彫の店に寄ってしばらく品定め。
ここは円空の彫刻を復刻した仏像などいろいろあった。
小さな仏を買って土産にする。
線路を渡って今日の宿、高山グリーンホテルに投宿。
夕食はホテルで飛騨牛の朴葉味噌焼き。
国分寺のそばの商店街にあった一位一刀彫の店に寄ってしばらく品定め。
ここは円空の彫刻を復刻した仏像などいろいろあった。
小さな仏を買って土産にする。
線路を渡って今日の宿、高山グリーンホテルに投宿。
夕食はホテルで飛騨牛の朴葉味噌焼き。
夕方になってきた。
飛騨国分寺はJR高山駅の近くにあって三重塔がどこからでもみえる。
飛騨国の国司は姉小路家が代々務めた。
藤原北家の氏流である。
守護は京極氏、その祖が京極高氏、佐々木道誉である。
京極氏の本家筋が六角氏こちらは近江を支配した。
15世紀初頭、姉小路家の内紛が発生、本家京極の軍勢や周辺諸国からの討伐を受けた。
この時、飛騨に駐屯した三木氏は姉小路家を乗っ取って飛騨の戦国大名に成長する。
秀吉の天下統一の使者として飛騨に入封したのが金森長近、彼が飛騨の再生に関わった。
国分寺は長近が三木氏を滅ぼした時に損傷、後に金森氏によって三重塔など再建されたという。
室町時代の本堂が平安期の薬師如来像と共に重文。
現在の三重塔は文政年間の再建、民間の資金で大工五千五百人工をかけたとある。
屋根はこけら葺を昭和53年に銅葺にした。
遠くから眺めてもいい姿だなあと思っていたが近くにきてもいい。
樹齢千三百年の大銀杏といいコンビである。
本堂の中も拝観させていただいた。
いい雰囲気の町は大概、いいシンボルを持っている。
高山市中心部を取材がてら散歩。
宮川を渡って東へ行くと高山別院。
創建は親鸞聖人の弟子に始まるといい天正年間に金森長近によって現在の寺領が寄進された。
高山は大火の多い地域でここも8回焼失しているらしい。
宮川の東側が旧城下町、伝統的な町並が残されている地区で観光の中心となっている。
市役所で聞いた話では欧米からの観光客が多いことが特徴のようでリピーターも多いという。
台湾や香港からの入り込みが増えているので今後はアジアからの受入体制が課題だという。
鍛冶橋に足長手長の銅像が建てられていた。
先日発行したウェブ2.0の本に続き、地方再生の本をシリーズ化しようという計画が始動した。
その取材でいくつかの街を取材に行くことにした。
今日明日とその最初、岐阜県高山市を取材する。
高山は名古屋から特急で行く。
愛知県民にとって高山は日帰圏の観光地、何度も行ったことがあるいい町であるが、ひとりでじっくり回ったことはない。
ちょっと下調べしただけでも高山は地域再生に成功している。
特に海外からの集客がうまくできていて欧州からの入り込みが安定していてそこにアジアからの入り込みが増えているという。
クルマで行っても電車で行っても同じことであるが高山は山深い。
交通の隔絶された隠国であり、日本の歴史を追っていてもなかなか登場しない。
律令制下では飛騨国として独立しており、この小さな盆地が中央直轄となったのは特産の木材と馬、良質な戦略資源を有しさらに「飛騨の匠」
という特殊技能集団が都で重宝された。
よって中央政府は飛騨をないがしろにせず古代から特別な存在においた。
馬も木材も外国産になってしまった今日では観光産業が基幹になっているのだ。
高山駅に着いて荷物をホテルに預けて市役所の観光課に取材。
状況とデータをもらった後、町歩きを始める。