高山に来たからには本来、高山城に登るべきであるが雪の季節にはなかなか難しい。
代わりに高山陣屋を見物。
高山城を持つ高山藩3万8千石は金森長近の後6代続いた。
頼時の代で幕府に出仕、側用人となるが失脚して元禄5年(1692)出羽上山に転封、元禄10年に美濃郡上に同じ石高で戻ってきた。金森家の後は高山藩領は天領となり高山城は廃城、金森家の下屋敷を代官の陣屋として使用した。
幕藩体制期の居城や陣屋は明治維新で破却されるケースが多く、その後官庁などに転用されたため残るものが少ない。
高山陣屋もまた郡代役所として使用されたりもしたが江戸期の建物が良好に残っている数少ないケースとなった。
中を歩いてみると豪雪地帯の割に今でも使用するに問題ないほど丁寧に保存されている。
民度の高い町とはこういう細部にまで目が行き届いているものなのかもしれない。
そして神代以来引き継いだ大工の町の誇りもまたそれに寄与しているのは間違いなかろう。
山岡鉄舟は少年期を高山郡代となった父と共に高山で過ごし、教養や剣の道の基礎を培った。
陽が暮れて高山取材も終了、久しぶりに高山に来てまたいいものをみた。