扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

地域再生取材 高山#9 高山陣屋

2008年03月11日 | 城・城址・古戦場

高山に来たからには本来、高山城に登るべきであるが雪の季節にはなかなか難しい。

代わりに高山陣屋を見物。

高山城を持つ高山藩3万8千石は金森長近の後6代続いた。

頼時の代で幕府に出仕、側用人となるが失脚して元禄5年(1692)出羽上山に転封、元禄10年に美濃郡上に同じ石高で戻ってきた。金森家の後は高山藩領は天領となり高山城は廃城、金森家の下屋敷を代官の陣屋として使用した。

幕藩体制期の居城や陣屋は明治維新で破却されるケースが多く、その後官庁などに転用されたため残るものが少ない。

高山陣屋もまた郡代役所として使用されたりもしたが江戸期の建物が良好に残っている数少ないケースとなった。

中を歩いてみると豪雪地帯の割に今でも使用するに問題ないほど丁寧に保存されている。

民度の高い町とはこういう細部にまで目が行き届いているものなのかもしれない。

そして神代以来引き継いだ大工の町の誇りもまたそれに寄与しているのは間違いなかろう。

山岡鉄舟は少年期を高山郡代となった父と共に高山で過ごし、教養や剣の道の基礎を培った。

 

陽が暮れて高山取材も終了、久しぶりに高山に来てまたいいものをみた。

 


地域再生取材 高山#8 三町伝統的建造物群保存地区

2008年03月11日 | 街道・史跡

桜山八幡宮から高山陣屋の方に歩き古い町並を散策。

江戸時代の町家街、武家屋敷は全国的にあるところにはあるもので珍しいものでもないが、高山は一帯の景観がよく統一されている。

江戸時代の面影を崩すような無粋なものを極力みえにくくしてところ、市民と行政の努力の跡がうかがえる。

観光スポットとして充分成果をあげているようだ。

 

 


地域再生取材 高山#7 桜山日光館

2008年03月11日 | 取材・旅行記

屋台会館の参道を挟んだ反対側に桜山日光館。

ここに東照宮の精密模型が展示されている。

模型が造られたのは大正時代、当代の左甚五郎と称された長谷川喜十郎ら33人が15年掛けて製作したという。

実物の10分の1で陽明門他の建物の他、燈籠など細かいところまで再現している。

模型というよりディオラマといった方がいいだろう。

戦後しばらくアメリカ全土を巡回公開したという。

 

実際にながめてみると想像を超える超絶な技巧である。

小さな人間になって実際に日光を参詣している気分になる。

全体の照明が落とされてうまくライトアップされているので細部にも陰影が付き荘厳さをかもしだしている。

「三猿」など名物は鏡を使ったりしてうまくみせていたりもしており全てにおいて感心した。

模型づくりが好きな身としてはレベルの差に放心状態である。

 

 


地域再生取材 高山#6 桜山八幡宮

2008年03月11日 | 仏閣・仏像・神社

二日目の高山見物は桜山八幡宮から。

高山駅から北東の方角にあり山を背負っている。

参道の鳥居から堂々としたもので社殿も立派。

創建は仁徳天皇の御代といい、飛騨の凶賊を討つために派遣された征討将軍が桜山にて応神天皇の霊に戦勝祈願を行ったのが始まりという。

そこから時代がずっと下がって元和9年(1623)、金森重頼によって社殿が再興された。

飛騨国府は高山の盆地のひとつ北、古川にあったとされている。

飛騨国の一国支配はたぶん豊臣政権下だと思われ、その時、高山の鬼門にあたる方角にあった桜山八幡を鬼門封じに活用したのではないかと思う。

この点でも高山の始まりは金森家治世からと考えてよさそうだ。

 

桜山八幡宮の例大祭が「高山祭」、高山で最も有名なイベントである。

恥ずかしながらまだ見たことがない。

高山祭で使われる屋台を展示しているのが屋台会館、そしてもうひとつこの神社の隠れた至宝が日光東照宮の精密ミニチュア模型である。

御祭神に参詣した後、屋台会館を見物。

さすがに飛騨の匠の本場、本気で造った芸術品である。