扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

地域再生取材 高松・松山#10 坂の上の雲ミュージアム

2008年03月20日 | 取材・旅行記

市街地を歩いてから坂の上の雲ミュージアムを訪問。

 

このミュージアムは昨2007年4月に開館した新しい施設。

司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」を主題としたミュージアムである。

NHKで同名の長編ドラマが来年末から放映されることで注目されている。

建物は安藤忠雄設計の鉄筋コンクリート造りの地上4階、地下1階、上から見ると三角形をしている。

松山城の城山を背負った地にあって大通りから入ってすぐなのでアクセスは容易。

 

入口に帝国海軍の制服のような意匠の人がいて呼び止められた。

どうやらボランティアで秋山兄弟など日露戦争時の解説をやっているらしい。

 

エントランスから各階へ緩いスロープを上っていく動線、一面に新聞に連載された紙面が並べられていて壮観この上ない。

展示は日露戦争時の史料を淡々と紹介するものであるが、地元出身の秋山兄弟を顕彰したい気分がどうしてもにじみ出ている。

近代の戦争を扱う展示は軍国主義の解釈と表裏一体となる定めがある。

小説「坂の上の雲」は勝利礼賛の物語というよりは西洋に遅れた明治日本がいかに亡国を免れたかを緻密かつ丁寧に解説した物語である。

世間でも司馬さんの作品の中で「坂の上の雲」はひときわ愛読者が多く経営者層には圧倒的な人気がある。

私は中学生の頃、司馬さんの作品を猛烈に読み、歴史をみる基礎を養った。

司馬さんが1996年に急逝されると新作が世に出ることがなくなり、また新たな史料が発見されたりすることで作品の背景に新解釈が加えられ続けることになる。

司馬さんは歴史学者ではなく創作家である。

にもかかわらず作品を歴史資料ととらえがちな風潮があることは大いなる誤解であろう。

 

司馬さんは「坂の上の雲」という作品を映像化することに葛藤があったという。

日露戦争が明治日本にとって大勝利だったというとらえ方は昭和の戦争がボロ負けに終わったことから、過去の栄光ととらえたがる風潮がある。

司馬さんはおそらく自身の作品がひとり歩きして、日露戦争賛美につながることを恐れたのであろう。

 

ミュージアムの展示などみても、また入口で明治の軍人賛美を盛大にやっていた人と話をしてみても、戦争を単独で扱うミュージアムの存在意義はあるのだろうか、はなはだ疑問である。

 

 

 


地域再生取材 高松・松山#9 松山へ

2008年03月20日 | 取材・旅行記

取材三日目は松山市へ移動。

松山市とその周辺地域は観光資源という点では恵まれている。

現存天守を持つ松山城、道後温泉があり、文学の町として夏目漱石や正岡子規といったビッグネームのブランドを活用できる。

しかしこと観光客の入り込みという点では大きな悩みを抱えている。

交通の便がよくなると観光客は迅速に移動することができる。

すると松山に来訪した観光客は主要スポットを足早にみた後に他のエリアに移動してしまう。

観光産業は滞在時間を延ばすことが命題、宿泊や食事、お土産などでカネを地元に落としてもらうためには街に滞在するべき魅力を再発見してもらわねばならない。

 

最初は松山市内のIT化状況を見て回ることは取材の目的の一つ。

商店街に大型ディスプレイを設置して電子広告を流したりIT化された情報端末を設置する試みがなされている。

IT化と観光は親和性が高いようで高くない一面がある。

カギは観光客自身のITリテラシーではないか。