扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

大和散策 #8 秘仏大元帥明王像、秋篠寺

2010年11月20日 | 仏閣・仏像・神社

秋篠寺へ向かう。

秋篠寺には3年前に一度来た。
この寺もまた古い。
宝亀7年(776)、光仁天皇の勅願により建立された。ただ以前にも私寺があったという。
本尊は薬師如来である。
奈良時代、最後の官寺であった秋篠寺は東西両塔を有する七堂伽藍を備えた大寺であった。
火災に遭いそれらは失われて、いまはない。
国宝の講堂は鎌倉時代の再建になる。

秋篠寺は一時、真言宗であった時代がある。
空海の弟子で唐に渡った小栗栖常暁は彼の地で太元御修法を学び、請来した。
この修法の本尊が八大明王の一尊、大元帥明王(たいげんみょうおう)である。
明王中の王という大元帥明王はひときわ外敵降伏の呪力強く、おいそれとは行われない最高機密となった。
平将門・藤原純友の乱をはじめ、朝廷が危機に陥るときこの修法が行われ実効はともかく朝廷を救った。
元寇の際にも行われている。
東寺で修法を行う際、秋篠寺の閼伽水の井戸を用いたとされる。

秘法中の秘法で朝廷により封じられた大元帥明王の尊像は数が少ない。

真言密教の寺以外にはない道理で東寺や醍醐寺、高野山に像や曼荼羅があるらしいが観た記憶がない。

今日は何といっても秘仏大元帥明王像を観に来たのである。

東門から行くと長塀に沿って南に折れ、ついで西に向かい林の中を行く。
この林の地面は分厚い苔に覆われる。
朝日が差し込み実に美しい。
唐招提寺にも同じような苔の林があるが奈良の苔は京とは大分違う。
京の苔が人の手で入念に手入れされている人工美のものとすれば奈良の苔は野趣溢れる野生の苔といえるかと思われる。

開場は9時からだが、少し前に拝観受付に着いた。
すでに10人ばかり並んで待っている。
苔の写真など撮っているうちに開き拝観料を払う。
並んでいた人はまず大元堂に向かい、秘仏をみる。
時間をずらすために講堂に行き、伎芸天をながめる。

伎芸天像は脱活乾漆造の頭部は天平のオリジナル、寄木造の体躯は鎌倉以降の補修になる。
ただ、眺めただけではバランスといい継ぎ目の自然さといいとてもハイブリッドにはみえない。
全高は2メートルほどで小高い須弥壇から見下ろしている。
堀辰雄氏が「東洋のミューズ」と呼んで讃美した。ミューズとはミュージック・ミュージアムの語源となったギリシアの女神である。
仏教の神としては、本家インドでは舞踊の神でもあるシヴァ・大自在天の髪の生え際から生まれた女神であるから芸事の神として崇められた。
顔はそう思ってみるとギリシア風にみえてくる。

本尊、薬師は日光・月光菩薩を脇侍とし十二神将を従える。
帝釈天があり(梵天は奈良博物館にある)、真言密教の王不動明王や五大力菩薩がある。
少し離れて須弥壇全体をみるとやはり伎芸天の存在感は圧倒的である。

さて、講堂で時間をつぶし気を落ち着かせて大元堂へ行く。
行列するほどではないが人の流れはつきない。
堂内は外陣は畳敷き、内陣は板敷きで当然、護摩壇を構える、奥に厨子があり、大元帥明王が鎮座する。

説明員の方が繰り返し由来や大元帥明王にまつわる話をしている。
秋篠寺の東には競輪場があるのだが関係者が戦いの神、大元帥明王への願掛けをするらしい。
軍の最高位、「元帥」の語源もこの明王からとのことであるが、中国では春秋時代から元帥の称号はあったからインドから中国にわたり中国で意としてのつながりで元帥をあてたとしても、語源とするにはどうかとも思う。
この明王はサンスクリットではアータヴァカといった。
野にあって子供を喰い殺す夜叉神であったのが大日如来の功徳で善神へ転じ、護法の神となった。
日本でいう荒ぶる神である。

間近でながめると今まで観た仏像の中でも第一級に怪異である。
仏像の印象はまず顔で決まる。
この像の顔は人間離れしている。勿論憤怒相なのだが五大明王でも仁王、金剛力士でも人間の顔をしている。
つまり人間が極限まで怒るとこうかという顔なのだが、この野の神は人間の顔をしていない。
野獣や爬虫類を人間の顔に近づけようやく人かというところまで止めたような顔である。
類例がない。
あえていえば仮面ライダーなどに出てくる怪人の顔である。

二眼は当初は彩色だったのかもしれないが色は失われ黒眼になっている。
玉眼であったならもう少し人間に近づくかもしれないがこれも怪異さの演出になる。
手足は太短く首は埋まる。
六臂には三鈷杵・宝剣・斧・五鈷杵など武具を掲げ、左の一手は忿怒印という人差し指を立てた印を結ぶ。
腕や脚には18匹の蛇が巻き付きうつろな目をしている。
これも怖い。
さすがに宮中が頼る絶大な法力を感じさせる。

太元御修法が秘され勅許なくして禁じられたのには力が強すぎるということに加え、念ずる者を殺してしまうということがあったらしい。
密教の護摩とは要するに念ずる神を自らに乗り移らせてその法力を借りるということに他ならない。
こんな怪異な神に乗り移られては命も危うかろう。

昨日対面した蔵王権現は確かに対話が可能であったと思われたがこの神は言語によるコミュニケーションは不可能なのかもしれない。
勿論、像とは人間の想像力の賜物であるから我々は仏師の想像力を通じて神と対話する訳である。
この像は鎌倉時代の作である。
現在伝わる国宝・重文クラスの像の中で最大級に怪異な神を造型した鎌倉仏師に脱帽である。

いいものを拝んだ。



Photo

雑木と苔の海

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大元堂



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