一時は絶望した人吉のうなぎを堪能して気が抜けた。
今日は半日かけて鹿児島に戻ればいい。
どういうルートで行くかうな丼を食いながら考えていた。
残りの日程は鹿児島に一泊。
霧島市国分に一泊。
島津家の歴史を学ぶには都城に行くべきであろうが、この足で行けばちょっと強行軍。
霧島温泉に寄る一手もある。
結局、武家屋敷をいろいろみたついでとして蒲生麓を見物することにした。
来た道を南下して大口を抜け川内加治木線を左折して下っていくとおもむろに蒲生の町に出る。
蒲生名物は八幡神社の日本一のクスノキである。
武家屋敷の駐車場が隣にあったので駐車。
観光案内所があったので情報収集。
鹿児島の観光案内所は他地域と比べると抜群にレベルが高い。
置いてある資料もそうだしスタッフの人も親切である。
蒲生は司馬さん一行も立ち寄り八幡神社と武家屋敷、蒲生城を散策している。
ガイドのお若い女性にいろいろ聞いてみる。
この時悩んでいたのが「摩崖梵字」をみるか否か。
蒲生城(竜ヶ城)の城山には崖の石に梵字を刻んだ謎の遺跡がある。
「街道をゆく」で一行の須田画伯が地元の人に摩崖梵字の存在を聞いてハイになり、辛抱たまらず城山を登っていく様子が愉快だった。
城には行くとして梵字をみるかどうか、ガイドさんに意見を聞いてみた。
よくある話で他県人がおもしろがってやってくるスポットでも地元の人はあまり知らない。摩崖梵字も同様でお姉さんも行ったことがないという。
行った人の話として「必ず靴がグチャグチャになる」らしい。
つまりいつもぬかるんで足元が危ないということである。
梵字をみるには城跡に行くのとは別の登り口から行くとのことでまあやめておくのがいいだろう。
城跡は公園になっていてクルマで行けばすぐと聞いて安心しつつ八幡神社に参詣。
名高い大クスノキに驚く。
続いて武家屋敷跡を散策。
イヌマキの生け垣が美しい。
蒲生麓は関ケ原から退却してきた島津義弘が徳川との決戦に備えて整備したことが起源。
元々は宇佐八幡宮から派遣された八幡神社の神官が国衆となって蒲生氏として自立。
渋谷五族と連携して島津家に対抗した。
長陣の籠城戦の末に落城した。
蒲生衆は街道をゆくの中で詳しくふれられており、幕末維新期に士族が会社を興し利益を青年育成に使ったという。
この会社が太平洋戦争の敗戦により進駐してきた米軍に抵抗するため決起するとの噂を呼んで米軍が武装した斥候を送ったという話が出てくる。
蒲生の中心に位置するため入来院や知覧の麓のような風情は薄いが町の人々が歴史を大切にしていることは伝わってくる。
麓の役所、御仮屋は姶良市役所の支所になっていて門が残る。
時刻は16:30、まだ陽が高く蒲生城址に行ってみることにする。
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