扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

遊就館 #1 靖国神社とZERO

2007年06月05日 | 自動車・自動二輪など

ふと、日本の戦車が見たくなった。

昨年の秋、ドイツで第二次大戦時の戦車達を間近に見て触れて来た、その感覚を忘れぬうちに日本の戦車と比較してみようと思ったのだ。
そして東京靖国神社併設の「遊就館」に九七式中戦車があったことを思い出した。

今日は、昔の会社の先輩、N氏と一緒に行くことにする。
N氏は私以上に軍事マニアであり銃砲類に異様に詳しい。

九段下から靖国通の坂を登ると大鳥居の前に、狛犬かと思いきや北京獅子がいる。
お約束通りに左に雌(踏むのは子獅子)、右に雄(踏むのは鞠)。


左の雌獅子。よくみると背中にも子獅子


右の雄獅子

鳥居をくぐると大村益次郎像、この国民皆兵の祖の像の広報には代々木のドコモビルの先頭がちょうど見える。

平日の昼のことで人影はまばら。

「遊就館」は2回目であって前回は90年代の頃、花見ついでにだと思うがすっかり外装から変わっていた。
2002年に大改装されたそうだ。
エントランスの感じはほとんど博物館である。


ロビーはチケットを買わなくても見学でき、ここに零戦五二型を展示している。

同行のN氏は零戦は五二型がよいというのだが、私は二一型の方が好きだ。


面白いもので兵器もそれを創る国の国民性やらものの考え方を見事に反映する。
戦力としてではなく、人類の生み出した科学の集大成としての美しさが兵器にはあると私は考えており、その視点で考えたい。

兵器には航空機など「空モノ」、戦闘用車両などの「陸モノ」、艦艇などの「海モノ」がある。

好事家の間では、第二次大戦中の「日本の空モノ」は国際的にもそこそこの評価がある。
中でも零戦はその悲劇的な歴史と共に認知度も高い。
緒戦では連合軍の戦闘機を圧倒した零戦も大戦末期になるとほとんど特攻兵器と化してしまう。
そういう哀しさを背負った飛行機である。


入場券を自動販売機で買い、ゲートをくぐってエスカレータで二階に上がる。

展示はほぼ歴史をなぞって進んでいく。

遊就館のそもそもの発祥が「御祭神の遺徳を尊び、武具などを展示する施設」であるから軍事の歴史となる。
最初は太古~戦国・江戸時代、鎧兜、刀剣の類。
ここで面白いものを見つけた。
密教の法具、金剛杵を握った腕を兜の前立てに使った代物である。



説明によると名称を「黒漆塗執金剛杵形兜(くろうるしぬりしつこんごうしょなりかぶと)」というようで江戸時代初期のもの徳川伯爵家の奉納とある。
いかに法力がありそうな意匠ではある。
兜の前立ては他にも奇抜なものが豊富でおもしろい。

戦国をさらりとなぞると次から幕末に入る。
創設には山県有朋の肝いりがあり、基本的には薩長側の史観、尊皇攘夷である。
官軍の錦の御旗も展示されている。
次に日清戦争、日露戦争、日本の国威の最高値の頃である。

前回来たときとは展示物、趣向は相当に異なっている。
少なくとも単なる軍事博物館というよりは日本の近世を学べる歴史博物館といえるのではないか。

日露戦争はその後の軍人と国家のあり方に大きく影響を与える概念を産んだ。
「軍神」である。そしてこの辺りから展示も人間臭くなってくる。
時系列に、第一次大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と続いていく。

じっくり見れば2時間はかかろう。

さて、目当ての九七式中戦車は最終の展示室に艦爆彗星とともにあった。


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