日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

阪神コンテンツリンク社は、BBL福岡の「閉店」を教訓として活かせ!

2009-05-09 | マーケティング
ゴールデンウィーク期間中に、ビルボード・ライブから一通の封書が届きました。中身は「ビルボード・ライブ福岡閉店のお知らせ」でした。

「ビルボード・ライブ福岡」は、同東京、大阪と同じ系列店として、2年前の07年9月に福岡一の繁華街天神にオープンしました。オープニング・アクトは、東京、大阪と同様ジャズ・ロックの超大物スティーリー・ダン。キャパ300の東京のハコでのライブ体験さえ“一生モノ”と大感激だった訳ですが、福岡はさらにその半分のサイズの“小箱”なので、当時は本当にうらやましく思ったものです。それが、2周年を待たずしての「閉店」に驚きを隠せないというのが偽らざるところです。

「福岡」はもともとジャズ系のライブハウス「ブルーノート福岡」を、ジャンルを広げてリニューアル・オープンしたハコでした(大阪も同様です)。旧ブルーノートは開店以来15年間も地元のファンに支持され、固定ファンをつかんできた老舗だったのです。それが、リニューアル後2年もたずに「閉店」ですから、不景気の煽りはあったにせよマーケット分析上あるいは戦略上の大きな誤りがあったと言わざるを得ないと思います。

まず福岡という土地柄ですが、もともと甲斐バンドやチューリップを輩出した伝説のライブハウス「照和」が栄えたように、ライブに対する受け入れ土壌は十分にあったように思います。では問題は音楽ジャンル?実際のところを調べてみると、東京、大阪で呼んだポピュラー系のアーティストが福岡はパスするケースが多く、結果的に以前と同様のジャズ系と日本人アーティストがメインでの運営で、実は看板は変えたものの旧ブルーノート時代と大差ない音楽ジャンルでの運営ではあったようです。

ではなぜ、15年続いたブルーノートがビルボードになった途端に終焉を迎えたのかです。確かに景気の影響はあるでしょうが、旧ブルーノートとて90年代後半の金融不況を経験している訳でそれだけが理由とは言いにくいと思います。私は最大の問題点は、ブランド変更に伴うイメージ戦略の失敗にあったのではないかと考えています。

「ビルボード」はそもそもアメリカの音楽雑誌であり、「ビルボード・ライブ」は「ブルーノート」のような本場のライブハウス名ではなく、本国には存在しないハコなのです。すなわちそれまでの「ブルーノート=ジャズの一流ライブハウス」のイメージが、ライブとは直結しない「ビルボード=米国産ポピュラー音楽」のイメージに移行した訳です。ところが、フタを開けてみたら、ポピュラー系外タレは福岡まで来ないケースが多く、結果旧来のジャズ系プログラムと日本人アーティストが多くなることで、客から見た印象が「洋楽?ジャズ?日本人アーティスト?」といった具合にイメージがとっちらかってしまった…、そんな失敗の構図に思えるのです。

「福岡」が洋楽系外タレをあまり呼べなかった理由は、地域性での集客力とそもそものハコのサイズからくる採算性の問題でしょう。また、ジャズ系のアーティストよりも洋楽系のアーティストの方が、一般的なライブ規模の違いからギャラが高額であった点も「福岡」には辛かったのではないかと思います。この点は、当初のハコの戦略的コンセプトづくりを考える上で、かなり詰が甘かったと言わざるを得ないと思うのです。

こうやって考えると、景気の影響は認めつつも、出店に際しての運営企業の戦略的誤りが、今回の失敗の大きな原因であったと推定することが可能な訳です。運営企業は阪神コンテンツリンク。電鉄会社の社長ご子息の道楽ビジネスと陰口を叩かれた企業です。新たなビジネスに失敗はつきものですが、言われるとおりに“道楽”で終わらせないためには、今回の失敗の原因を単なる景気悪化に帰するのでなく、中身を十分に分析して、残された東京、大阪のハコをこの先も長く続く「音楽の殿堂」に育て上げるべく努力をして欲しいと思います。

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