日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「なでしこジャパン」に国民栄誉賞?

2011-07-26 | マーケティング
「なでしこジャパン」に国民栄誉賞が授与される見通しとか。「現在検討中」と枝野官房長官が会見で話していたようです。毎度思いますが、国民栄誉賞って実に不可解であいまいな賞ですよね。これまでの受賞者は、77年の創設時の第一号王貞治さんはじめ18人。文化人や芸能関係者は没後の授与が大半。一方のスポーツ選手は世界記録、国際大会優勝などを機に現役選手が大半です。でもその受賞者の顔ぶれを見るに、基準があいまいで本当に表彰する意味あるのと言った感じがしてしっくりこないです。

一応創設の福田赳夫内閣時に定められた授与基準は、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」としています。これはあくまで当時のホームラン世界記録を樹立した王選手に何がしかの賞を授与したいがためにこの賞を創設し、王選手への授与理由をそれらしく作文したものにすぎない訳で、至って抽象的な表現でもありあまり大した意味をなしているとは思えません。文化人、芸能人の部類で亡くなった直後に受賞した方々を見ても、渥美清がいて石原裕次郎がいない、長谷川町子がいるのに手塚治虫や赤塚不二夫がいない・・・などなど、選出基準がよく分からないなと思います。

この点はスポーツ選手に至ってはもっと顕著です。言い出すとキリがないので一例だけ上げておくなら、五輪金メダルの柔道の山下泰裕氏が受賞するなら2大会連続2種目金メダルの北島康介くんは実績・国民的盛り上がりから見ても完全受賞水準以上ではないかとも思われる、という基準の不明確さに集約されると言っていいでしょう。要するにその時々の内閣総理大臣の好みが大いに反映される賞であるということに違いない訳で、そのあたりが今回も「内閣の人気取り」と揶揄される所以であるのかもしれません。

それにしても、この賞に価値を感じないのはなぜ?理由は簡単です。そもそも国が表彰する対象に、既に金メダルや世界大会優勝と言う栄誉に輝いた人たちが中途半端に混じっているからです。彼らは改めて表彰するまでもなく、国際大会と言う最高峰の基準で明確に1位として表彰されている人たちです。国民栄誉賞は本来は表彰される機会のない世界記録樹立や記録に残らないけれども功績があったという人を、国の基準に照らして「あんたの記録や活躍はスゴイと国民が認めてますよ」という賞であるべきでしょう。それが、自治体が“おらが村のヒーロー”をたたえるのと同じ“他人基準”での表彰を国が時々しちゃっている訳で、賞の一貫性や存在価値を損なわせてしまうのです。

連続試合出場世界記録という地味な記録を評価された元広島カープ衣笠祥雄氏あたりは最も受賞にふさわしいと思いますし、日本人初の本格的大リーガーとして大旋風を巻き起こしその後の日本人大リーガーたちの活躍の礎を築いた野茂英雄氏あたりこそこの賞を授与すべき人であるのかもしれません。金メダルやワールドカップ優勝を後追いで表彰するなどと言う他人任せの授与基準を白状するような愚行は、かえって賞の価値を下げる以外の何物でもない訳で、文化人や芸能関係の受賞者や記録や功績を認められ受賞したスポーツ選手に対して失礼であるとも思えます。

そうやって考えると、ワールドカップ優勝の「なでしこジャパン」に国民栄誉賞は不要ですね。もう30年以上もやっているのですから、そのあたりのおかしさにはそろそろ気がついてもいいように思います。管内閣が分かってやっているのだとしたら、やはり政権の“人気取り”ということなんでしょうか。効果はほとんどないと思いますが。

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