日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

お茶ノ水古今物語~村田クンと行った店の「今」は・・・

2010-08-13 | マーケティング
お茶ノ水ネタの最後は、村田クン時代の思い出と「今」を・・・。

村田クンと過ごした中学3年生昭和49年はと言えばファーストフードが出店攻勢を強め始めた頃で、昭和45年に銀座三越に出店したマクドナルドの後を追うように、各種ファーストフードが進出を始めていたのです(“ネコドナルド”の噂が出始めたのもこの頃ですね)。お茶ノ水は学生街としてファーストフード・ビジネスにとっては格好のターゲット・エリアでした。私は村田クンに連れられて初めて入った2つのファーストフード店をよ~く覚えています。

そのひとつがロッテリア。マクドナルドのライバル・チェーンとして、まさにマーケティングで言うところの“チャレンジャー企業”として真っ向勝負を挑んでいたのでした。ロッテリアでの彼のおススメは「イタリアンホット」。カリカリのトースト的なパン生地の間にハムかサラミのチョイスに加えてチーズや野菜をはさんだ、ピザ風味のメニューでした。彼は「ハンバーガーなんてのは味覚音痴のアメちゃんの食べもんだからな、決してうまくないよ。最近じゃネコ肉とか言われているし、マクドナルドの米国産メニューよりも日本人が考えたメニューの方が断然うまい。味ではロッテリアのイタリアンホットの圧勝だな」と断言してました。事実うまかったです。当時としては結構感動したのを覚えています。

彼が教えてくれたファーストフードのもうひとつはミスター・ドーナッツでした。「アメリカ人はドーナッツを朝から食うんだぜ。だからあんなブクブクになっちまうんだけどな。アメリカにもあるメニューなのか日本のオリジナルなのか知らないけど、フレンチクルーラは最高にうまい。俺たちが知っているドーナッツとは全然ちがうんだぜ」と言ってすすめられ、食べてみました。確かにそれまで食べたことのないドーナッツには小さく感動しました(でもなぜかその日は胃もたれした感じがして、家に帰ってから気持ち悪くなり熱も出て翌日は学校を休んだ記憶があります。冬だったので風邪をひいて体調悪かったのかもしれません)。イタリアホットもフレンチクルーラも、今でもしっかり現役のメニューのようですから、彼の食のマーケティング・センスはけっこう大したものだったのだと思います。

当時ロッテリアは駿河台通りの駅近くの道の左側に、ミスタードーナッツは少し坂を下った道の右側にあったと記憶してます。今ロッテリアは場所が移って交差点の駿台予備校側にありました。ミスタードーナッツは見当たらず。マーケティング戦略として学生街を狙った2つのファーストフードでしたが、ロッテリアは店舗をさらなる一等地に移し通算30年ですから成功だったのでしょう。かたやミスドは…。ドーナッツは甘いので女性が中心ですから、当時女子学生が比較的少ない明大生や実質男子校的な駿台予備校生ターゲットではマーケット的にやや厳しかったのかもしれません。

その他、彼とよく歩いた思い出のお茶の水としては、何と言っても丸善です。今も同じ場所に同じように天井の低い建物で存在しました。これは嬉しかったです。もちろん売り場が昔通りの印象と言う訳にはいかないですが、でもなんとなく雰囲気はあの頃のままという昔風の本屋さんの佇まいでした。それに引き換え残念だったのは、丸善の建物の2階にあった輸入レコード店ディスクユニオンの「今」です。ディスクユニオン自体はマニアックな品揃えで当時よりもかなり発展して、お茶の水だけでも3か所ぐらいに分散して頑張っているのですが、個人的には丸善の2階の“あの場所”にないとどうもピンとこないのです。当時は丸善の向かって右側外付け階段で2階に上がったところが入口でした。

階段は今もありました。ただ2階は現在使われていないのか、階段の登り口に鎖がかけられていました。階段すら登ることが許されないこの光景には、村田クンとの思い出が封印されてしまったことの象徴であるかのように思えて、少しばかりの寂しい思いを胸にお茶ノ水を後にしたのでした。

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