“あの頃”お茶の水散策の続きです。
お茶ノ水と言えば、私が高校~浪人時代には喫茶店がけっこうあったと記憶していたのですが、今はなんとその数の少ないこと。ほとんどの店の名前は忘れてしまったのですが、ハッキリ覚えているのは、駿河台出口の駅前交差点を渡ってまっすぐ駿台予備校方向に行った右側に「舟」という結構大きな喫茶店があったことです。しかしながら今は見当たらず。ビルに姿を変えてしまったのか、どこがその場所であったのかさえ分かりませんでした。
あとは、駿台予備校近くにあった「レモン」。確か画廊が経営しているお店だったと記憶しています。絵とか飾ってあって、芸術系学生の憩いの場的感じで高校生には敷居が高く浪人生には似つかわしくない、というムードで「大学生になったらおいで」と言われているような印象がありました。その場所に「レモン」はありましたが、「レモンビル」になっていてお店の「レモン」はイタリアン・レストランのようでした。なんかイメージ違うなとこれまた少々落胆でした。
「他には?」と駅からの道々、かなり入念に探してみたのですが、喫茶店そのものがほんどない。「えーっ?そんなバカな」ですよね。ガロの「学生街の喫茶店」じゃないですが(ふる~)、「♪学生でにぎやかなこの店の片隅で聞いていたボブ・ディラン・・・」といった感じのお店が、そこここにあったと記憶しているのですが、本当にないのです。その歌「♪あの頃の歌は聞こえない、人の姿も変わったよ、時は流れた~」と続くのですが、歌が聞こえないどころか店が跡形もないのです。どうしちゃったのでしょうか?歩くうちに、「確かこの辺に・・・」「確かここを曲がった奥に・・・」と店があったと思い当たる場所がいくつも出てきたのですが、皆そこには共通してある別の業態が店を構えていました。何だと思います?居酒屋です。しかもチェーンの。学生街は驚くほど居酒屋だらけになっていたのです。
昔は個人経営の居酒屋はポツポツあったものの、駅前の一等地とか学生でにぎわう通りとかにはあまりなかったと思うのです。そもそも、今から30年以上も前の話ですからチェーンの居酒屋と言うモノ自体がせいぜい「養老の滝」とかぐらいしかなかったようにも思います。それに居酒屋って、サラリーマンのオヤジが集う場所的印象でしたから、学生街にはあまりなかったんですよ、たぶん。学生街と言えば喫茶店が、マーケット的に見て一番商売になりそうな飲食だった訳で、超定番だったのです。ところが、喫茶はドトールに代表される安価のセルフカフェにまず圧迫され、その後はスタバに代表されるシアトルスタイルのおしゃれなセルフカフェの乱立とともに姿を消さざるをえなかったのでしょう。
そうなると外食系としてセルフカフェに勝てる業界はと言えば、利益率の高いアルコール系飲食である居酒屋、しかも資本力にモノを言わせ徹底したコストダウンをはかりつつ多店舗展開で拡大を続けるチェーン店であるわけで、90年代あたりから続々学生街の一等地に進出してきたという訳なのでしょう。昔は明治大学の学生もお茶ノ水では飲まなかったと思うんですよね。これは想像ですが、だいたい新宿とかに出ていたのではないかと・・・。今は学生の飲み屋も「安・近・短」?これだけ安居酒屋が乱立していれば、地元で飲んでるのかなと思います。
昔、駅前丸善書店並びに、三~四階建ぐらいの洋風の城を模した喫茶店がありました(名前は忘れました)。お茶の水界隈ではけっこう存在した名曲喫茶のひとつだったと記憶してます(たぶん)。実は今もこの目立つ建物はありまして、「1軒みっけ!」と思ったのですが、近くで見てみると各階にそれぞれ別の店が入った「居酒屋ビル」に中身を変えていたのです。あの建物のまま居酒屋チェーンの雑居ビル化ってどうなのよと、ちょっと寂しいですね。
お茶の水話、もう一丁ぐらいいけそうですね。
お茶ノ水と言えば、私が高校~浪人時代には喫茶店がけっこうあったと記憶していたのですが、今はなんとその数の少ないこと。ほとんどの店の名前は忘れてしまったのですが、ハッキリ覚えているのは、駿河台出口の駅前交差点を渡ってまっすぐ駿台予備校方向に行った右側に「舟」という結構大きな喫茶店があったことです。しかしながら今は見当たらず。ビルに姿を変えてしまったのか、どこがその場所であったのかさえ分かりませんでした。
あとは、駿台予備校近くにあった「レモン」。確か画廊が経営しているお店だったと記憶しています。絵とか飾ってあって、芸術系学生の憩いの場的感じで高校生には敷居が高く浪人生には似つかわしくない、というムードで「大学生になったらおいで」と言われているような印象がありました。その場所に「レモン」はありましたが、「レモンビル」になっていてお店の「レモン」はイタリアン・レストランのようでした。なんかイメージ違うなとこれまた少々落胆でした。
「他には?」と駅からの道々、かなり入念に探してみたのですが、喫茶店そのものがほんどない。「えーっ?そんなバカな」ですよね。ガロの「学生街の喫茶店」じゃないですが(ふる~)、「♪学生でにぎやかなこの店の片隅で聞いていたボブ・ディラン・・・」といった感じのお店が、そこここにあったと記憶しているのですが、本当にないのです。その歌「♪あの頃の歌は聞こえない、人の姿も変わったよ、時は流れた~」と続くのですが、歌が聞こえないどころか店が跡形もないのです。どうしちゃったのでしょうか?歩くうちに、「確かこの辺に・・・」「確かここを曲がった奥に・・・」と店があったと思い当たる場所がいくつも出てきたのですが、皆そこには共通してある別の業態が店を構えていました。何だと思います?居酒屋です。しかもチェーンの。学生街は驚くほど居酒屋だらけになっていたのです。
昔は個人経営の居酒屋はポツポツあったものの、駅前の一等地とか学生でにぎわう通りとかにはあまりなかったと思うのです。そもそも、今から30年以上も前の話ですからチェーンの居酒屋と言うモノ自体がせいぜい「養老の滝」とかぐらいしかなかったようにも思います。それに居酒屋って、サラリーマンのオヤジが集う場所的印象でしたから、学生街にはあまりなかったんですよ、たぶん。学生街と言えば喫茶店が、マーケット的に見て一番商売になりそうな飲食だった訳で、超定番だったのです。ところが、喫茶はドトールに代表される安価のセルフカフェにまず圧迫され、その後はスタバに代表されるシアトルスタイルのおしゃれなセルフカフェの乱立とともに姿を消さざるをえなかったのでしょう。
そうなると外食系としてセルフカフェに勝てる業界はと言えば、利益率の高いアルコール系飲食である居酒屋、しかも資本力にモノを言わせ徹底したコストダウンをはかりつつ多店舗展開で拡大を続けるチェーン店であるわけで、90年代あたりから続々学生街の一等地に進出してきたという訳なのでしょう。昔は明治大学の学生もお茶ノ水では飲まなかったと思うんですよね。これは想像ですが、だいたい新宿とかに出ていたのではないかと・・・。今は学生の飲み屋も「安・近・短」?これだけ安居酒屋が乱立していれば、地元で飲んでるのかなと思います。
昔、駅前丸善書店並びに、三~四階建ぐらいの洋風の城を模した喫茶店がありました(名前は忘れました)。お茶の水界隈ではけっこう存在した名曲喫茶のひとつだったと記憶してます(たぶん)。実は今もこの目立つ建物はありまして、「1軒みっけ!」と思ったのですが、近くで見てみると各階にそれぞれ別の店が入った「居酒屋ビル」に中身を変えていたのです。あの建物のまま居酒屋チェーンの雑居ビル化ってどうなのよと、ちょっと寂しいですね。
お茶の水話、もう一丁ぐらいいけそうですね。
実は『御茶ノ水 舟』で検索をしていてヒットいたしました。
私が最後に御茶ノ水を訪れたのは、カザルスホールが閉館する時でした。
その時は『舟』は確かにまだ営業していて、懐かしさのあまり入店してカプチーノの飲みました。
レモンは行きたかったのに、思い出が多すぎて…怖くて行けませんでした。
御茶ノ水の交差点の傍にあった名曲喫茶は2軒あって、1つが『田園』、もう一つが『丘』という名前でした。
大きな洋館風の建物は『田園』の方だった筈です。
当時('70~'73頃)私は大学生で、駿台予備校に通学中の浪人生だった彼と、レモンで待ち合わせをしていました。
画材屋の方は『画翠』という名前で、当時は珍しく同じ店舗に喫茶はを併設していました。
御茶ノ水のスクランブル交差点の途中で、もしかしたら一度くらいすれ違っていたかもしれませんね。
懐かしい、大切な思い出は、御茶ノ水の風景と共に、いつまでも色褪せずに残っています。
あの同じ古き良きお茶の水界隈にいらしたのですね。共通の思い出シーンをお持ちの方に読んでいただけて本当にうれしいです。
あの頃のお茶の水は他にはない学生街の風情がそこここに漂っていて、本当に魅力的な街でしたよね。
私は中学時代から毎週学校帰りにお茶の水には“お茶ブラ”しにいっていましたし、浪人時代も含めてずいぶんお世話になりました。
名曲喫茶は確かに「田園」でした。本当に懐かしい。
貴重なお話、本当にありがおうございました。
私も「名曲喫茶 丘」からこちらにおじゃましました。
私は`73~75を上野の高校ですごし、当時はOBの方たちの大学が御茶ノ水に多く、サークルのOB会といえば御茶ノ水でした。高校生の私も参加させてもらい、ちょっとおとなになったようなときめきを覚えています。
集合が「丘」「田園」「ウィーン」で長いこと語り合ったことでした。学園紛争を間近でみて、高校も改革していった先輩型の話を熱心にきいていたものです。
今も時々仕事関係で歩くとほんとに変わってしまい寂しい限りです。
やはり、大学が移転したのが転機なのでしょうね。
娘たちをみると集まりは、喫茶店でなく居酒屋ですから、大学生の考え方も変わったのだと思います。
昔のことを思い出すのは歳のせいかと・・・
今日も日本橋の三越で、昭和の写真展なるものを見て感慨にふけっていたところでした。
すいません、コメントに気がつくのが遅くなりました。
あの頃のお茶の水って、本当に学生街というイメージ一色の街でしたね。ガロのうたじゃありませんが、学生街と喫茶店は切っても切れない関係にありました。
今の喫茶店って、ほとんどがスタバやドトールなど、ただコーヒーを飲んで小さなテーブルを前に時間を費やすだけの空間ですから、なんとも寂しいですよね。
あの時代のよさをまた感じさせてくれる店が増えてくれないものか、密かに祈っています。
特に舟は、値段も高めで、中には流行の先端をいくような、綺麗な女子がたくさんいて、さすが東京って感じでしたね。あの外から見える店内、そして、外食や当時のスカイラインGTとか止めてあり、とにかく輝いてる喫茶店でした。
懐かしい、あと大好きなので錦華公園。