-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

久しぶりに背炙り峠を越えました。

2015-06-13 17:43:56 | 近況報告

 6月12日(日)の午後に常盤公民館で「野辺沢城の発掘調査説明会」がありましたので、峠を越えて畑沢へ向かいました。去年の11月に通ってから久しぶりの峠越えでした。既に今年は何度も畑沢へ出かけましたが、峠が5月29日まで通行止めでしたので、残念なことは、山が一番美しく見える新緑の時期を逃してしまったことです。

 国道13号線を北上して、林崎で中沢方面へ出て道玄に入りました。今年は道路の脇が黄色く染まっています。黄色はキバナニガナのようですが、いつものように種名は確信がありません。ちょっとそのような気がしただけです。とにかく沢山咲いていました。休耕田全面に拡がっていました。昨年まではこのようなことはなかった気がします。

 

 いよいよ峠へ道になると、入口にゲートがあります。ついこの間まで私をシャットアウトしていたものです。この日はしっかり開いていました。

 峠道を進むと、そこも花が沢山咲いていました。ハルジオンかヒメジョンのどちらかです。見分け方が分かりませんが、二つの名前を言えば、必ずどちらかに該当します。どちらにしても帰化植物だそうです。古道があるこの場所には似つかわしくないのですが、世の移り変わりでしょうがありません。花にピントが合っていませんが、このカメラの限界です。腕の未熟さは直ぐにカメラのせいにします。

 

 「中沢の棚田ビューポイント」の直ぐ下の所です。今年、路肩を工事したようです。しかし、ほぼ5月いっぱいも閉鎖するほどの工事にも見えません。しかも法尻を木杭で抑えていますが、本当に大丈夫でしょうか。木杭はやがて朽ちて脆くなってしまいます。

 畑沢へ入ると、ヤマボウシの花の最盛期でした。この時期には他の花が少ないので、山が白くなっている所には、ヤマボウシが見つかります。

 説明会が終わってから、再び延沢から畑沢を通って峠に登りました。畑沢に向う時に水を掻いて掃除をした湧き水が、満杯になっていました。最近は水の出が悪くなってポツンポツン程度でしたが、嬉しいことに今年は水の出が良くなり、チョロチョロ程度に改善されました。

 


 ところで、「野辺沢城発掘調査説明会」は、お城山最上部を発掘した時のものでした。樹木を切り倒し表土を剥いで調べたそうです。城跡は岩盤だそうです。岩盤を削って曲輪を造成したそうですから、私の御先祖様もさぞやこき使われたのではないかと同情しています。きっと私のように、侍に対して文句たらたら言いながら作業していたのでしょう。その御先祖様の恨みが今の私を作りました。威張っている人間を見ると蹴飛ばしたくなります。「私の先祖は武士だ」と誇らしげにお話される方によくお目にかかりますが、私は不思議に思います。武士は殺戮集団です。自分の手柄を誇示するために、殺した相手の首を切り取って上司に見せます。野蛮なこと限りなしです。しかも、首を自宅に持ち帰って、より大物らしく見えるようにお歯黒などの化粧を施していたというのですから、サイコパスそのものです。いくら戦国時代と言う特殊な状況の中でも、普通の人間にはできません。私の先祖が武士でなくてよかったと思います。

 調査方法は、まるで縄文遺跡の発掘と同じです。その結果、掘立式建物の柱の跡、書院式建物の礎石、和釘、中国渡来の磁気、唐津焼の陶器、火縄銃の飾り金具、火縄銃の弾丸、砥石など出土しました。私が期待した「銀山で産出した金の塊」はありませんでした。畑沢では金の塊が出たのに、残念です。六沢へ抜ける「穴」も見つかりませんでした。

 説明会の出席者は、殆ど延沢城を守る会のメンバーでした。説明会が行われることを知らないために、参加したいのに参加できなかった人が大勢いらしたようです。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 野辺沢(延沢)城の発掘調査... | トップ | 背炙り峠の春蘭が消えました。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

近況報告」カテゴリの最新記事