中畑沢には、稲荷神社とお不動様という二つの社があります。このうち、お不動様は、不動明王を祀ったものなのでしょうが、不動明王に関係した像らしいものは見当たりませんでした。今年になって再びお不動様へ行ってみました。
お不動様へ行ったことは行ったのですが、破れかけた引き戸を見ると、とても開けてみる気にはなりません。開けたら最後、二度と戸が閉まらないような気がしたからです。代わりに、近くにあった石の祠に関心を持ちました。昨年も石の祠があったことに気が付いていたのですが、昨年は石の祠に対する予備知識が全くありませんでしたので、重要視していませんでした。ところが、その後、畑沢の数多い祠と対面しました。背中炙り峠の万年堂、上畑沢の山の神、同じく金華山、下畑沢の三峰神社等です。少しは見る目ができたと思えます。
この石の祠の屋根は、昔から姿そのままかと思います。実にしっりと作られています。ところが、その下にある部屋の部分は、コンクリート製の集水桝を利用しています。元々、この部分は木製だったのでしょうが、朽ちてしまったと思われます。そして、不思議なのは、祠の前にある穴の開いた石です。自然に石に穴が開いたものではなくて、人が意図的に開けたものです。何らかの御神体を意味している可能性があります。まだまだ未熟な私では謎を解くことができません。
しかし、祠の中を覗くことができました。以前はスビタレて、中を覗けませんでしたが、少しは慣れてきたようです。
中では、狐が何かをくわえて、ぞっとするような目つきでこちらを見ています。ああ、見るんじゃなかった。陶器で作られた10センチにもならない小さな置物です。「狐」ということは、この祠は稲荷神社ということになります。お不動様の前に稲荷神社も建っています。仏様も神様も、みーんな一緒です。まるで私の頭の中のようです。こういう、ごちゃごちゃなでいい加減な感じの世界は、大好きです。
そういえば、下畑沢の稲荷神社の前にも石(一部がコンクリート製)の祠がありました。
これが何を祀ったものかを確認する必要があります。今の私なら、この中も覗けるかもしれません。きっと昔の村人の生活が覗けるドラエモンの「どこでもドア」が隠されているでしょう。
ところで、話は大きく変わります。一月ほど前に有路S氏がつぎのような昔の話をしてくださいました。
子どものころ(今から80年以上も前、昭和初期)、七夕は子どもたちだけで泊まり込んだ。女の子は稲荷神社、男の子はお不動様(お不動様は、人家から遠く離れた沢の奥にあります。)で一晩を明かした。
とこれだけの話ですが、中々、含蓄があります。このころまでは、畑沢らに限らずどこでも庚申講が行われていました。庚申の日に大人が一件の家に集まり、一晩中、寝ないで夜を明かしました。また、観音講と言うものがあり、御婦人方が集まってお参りをしたそうです。子どもの七夕は、この大人の行事の真似事のようです。言い換えると、大人の世界の練習とでも言えるのではないでしょうか。この風習は少し形を変えて、私が小学校へ入る前ごろまでありました。そのころはお不動様などには行かずに、親しい友達の家に泊まっていたようです。当時、私はまだかわいい洟垂(はなた)れ小僧でしたので、アブラシコとして仲間外れにされていました。ですから行事の内容の記憶はおぼろげですが、アブラシコされた記憶だけは悔しい思い出として鮮明です。
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