-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢へわざわざ越中富山から薬売りが来ていました。

2017-11-03 16:58:49 | 思い出

 私は古い薬箱を小物入れとして活用しています。私の子どものころに使っていた薬箱ですから、あれからもう半世紀以上の月日が流れました。その薬箱を掃除していましたら、虫食いだらけの紙が入っていました。ボロボロの状態でしたので、優しく拡げ、ついでに油汚れをメチルアルコールで洗ってみました。何とも古めかしい図柄の熱さましのチラシのようなものでした。書かれている文字も古い旧漢字です。最新剤の剤が「劑」、発汗解熱の発が「發」のさらに変形したもの、妙薬の薬が「藥」になっています。謹製の謹も旧漢字が使われていますが、パソコンでさえ知らない形のようです。しかも横書きは右から読みます。

 


 薬箱にも当時の薬の宣伝マークが貼られています。「仙武丹」、「胃痛 トンプク ユイツ」、「頭痛 歯痛 ノーヂ」の文字が見えます。本当はもっといろんなものが貼ってあったような気がしますが、薬箱を小物入れに転用した際、多くを剥がしてしまったようです。剥がすだけでなく塩素系の漂白剤を使ってしまった気がします。とんでもないことをしてしまいました。仙武丹の人物が黒焦げになってしまいました。

 

 

 それではと妻の実家にある古い薬箱を出したところ、少し違いました。ムヒがありました。畑沢でもムヒを使っていたので私の薬箱にも貼られていたはずですが、きっと剥がしてしまったのでしょう。

 


 当時、薬屋さんが来るのを楽しみにしていました。必ず子どものお土産を持ってきてくれたからです。紙風船です。薬屋さんは全戸を廻りましたので、どの子どもも紙風船を持って集まり、ポンポンと手で弾ませていました。我ながら可愛いかっただろうなあと思いますが、いかがでしょうか。

 薬屋さんは、バイクの荷台に二段重ねの柳行李(やなぎごおり)を載せてやってきたような気がします。遠く富山県から来るわけですから、長期間、家族から離れた生活です。広範囲の家々を廻るので、柳行李二つだけで直ぐに不足するはずです。何処かに薬を大量に置いておく中継基地があったことでしょう。薬屋さんは、畑沢を廻る時には我が家に泊まりました。夕食を一緒に食べると、いろんな話をしてくれたようで、父はそれを楽しみにしていました。我が家は御先祖様の時代から好奇心が旺盛だったと聞いています。私もその傾向が強く、幾つになって人から教えてもらうことが大好きです。

 薬屋さんの薬にはいろいろとお世話になりました。私は虫刺されにはムヒ、傷口には赤チンを塗りました。その後に傷口にメンタムとかオロナイン軟膏を塗りたくりました。囲炉裏の煙で目が痛いと言っては大人の真似をして、参天製薬のロートを目に垂らし、何だか分からないのに仁丹をいたずらして飲んでいましたので、まるで薬物乱用みたいなものです。とにかく薬が好きだったようです。両親が愛用していたのは、トクホンという筋肉痛用などの貼り薬です。膝とか肩に頻繁に貼っていたようです。当然、私も真似をして貼っていましたが、私には無駄だったと思います。


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