Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

天皇杯、G大阪vs山形つや姫! 201412月13日

2014-12-13 14:15:08 | 日記・エッセイ・コラム

最近は夕食後の徘徊から夕食前の徘徊に切り替えている、今朝は久しぶりに10時半頃、家を出て快晴の日岡山周辺の7.5kmをウオーキングしてきた、今年、神大医学部に入って、灘区に下宿している家内の姪の娘から、阪急六甲駅近くに在るDe Wafelhuis Winkel の、オランダ18世紀の定番の味 “ストロープ・ワッフル”を贈ってきてくれた、早速、昼食後、コーヒーを入れてから1個頂いた、大きなクッキーにキャラメルが挟まれた、バニラ、ゆず、オレンジ、抹茶、チョコ、イチゴ、栗味の中から、チョコ味を選んでほおばった!うめいのなんのって、ありゃ~~しねえ!(*´▽`*)じゅるり・・・

1月1日元旦恒例の天皇杯決勝戦“ガンバ大阪(長谷川健太監督)vsモンテデイオ山形(石崎信弘監督)”が、AFCアジアカップ2015オーストリア大会(2015年1月9日~1月31日)の日程が迫っているため、今日12月13日に前倒しされて日産スタジアムで2時4分にキックオフされた、あっ、トイレに行っている間に開始4分に宇佐美が先制のゴールを決めていた!早!あっ!22分にもパトリックに2点目をゴールされた!J1王者G大阪と、J2・6位でJ1昇格を決めているM山形との実力の差が如実に出るゲームになるのか?しかし、その後は山形も体制を建て直し、キーパー山岸もよく守って0-2のまま前半の40分が経過した!2分のアディシヨナルも無得点のまま、前半をカンバの2-0のリードでハーフタイムに入った!・・・

後半が3時からキックオフされた、あっ、17分に、つや姫のロメオ・フランクが味方のワンタッチしたボールを蹴り込んだ、シュ~~~ト!Goa~~~~!山形が1点を返して、その差を1-2の1点差にした!互いに譲らず後半もガンバの2-1のまま37分を経過した、あっ、38分、山形の山田の足がつり一時退場した、あっ!その直後の39分、山形の一人居なくなった一瞬のスキを突き、宇佐美貴史22歳がGoa~~~l!今日2点目を決めて、ガンバのリードを3-1の2点差に広げた!アディショナルが4分着いた、3時53分、試合終了のフォイッスルが吹かれた、これは、また、昨年はJ2で戦っていたとは信じられないガンバ大阪の3冠目のフォイッスとなった!☆・・・

イエローカードが一枚もない実に清々しい天皇杯決戦となった!J1リーグ優勝とナビスコ杯に続き、2014年を最高の形で終わったガンバ大阪のキャプテン・遠藤保仁(やすひと、34歳、鹿児島実業高)に天皇杯が渡った!これは前身の松下電器時代を入れると、ガンバ大阪の5年ぶり4度目の天皇杯獲得となった!よく健闘し準優勝天皇杯を獲ったモンテディオ山形イレブンも誇らしげであった!・・・

 

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軍師官兵衛、第49話“如水最後の勝負!~後編” 2014年12月9日

2014-12-09 09:44:49 | 日記・エッセイ・コラム

最近、愛犬のサクラが安らかに休める癒しの場所を発見した、それは家内がいつも居間でテレビを観る時、座るソファーの指定席に敷いている小型ホットマットの上である、そこにサクラを横に寝かせて毛布を掛けてやれば、気持ちよさそうに寝てしまう、今日もサクラがそこに休んでいる間に、小生の“間引き伐採計画”を一気に終了させてしまった、やれやれ、これで特に北東側の庭に植わっている、キウイフルーツ、ビックリグミ、プラム、ヤマモモ、一部のブルーベリーなどに、午前中の陽の光が当たるようになった、来年はキウイフルーツが食べられるかも!(*´▽`*)よかったよかった・・・

      

さて本題に入ろう・・・如水軍本隊は、高田城から徳川方・細川忠興(正室がガラシャ)の居城、杵築(きつき)城へ向かって南下していった、大友勢に攻撃を受け劣勢だった城代・松井康之軍を、すでに如水先発隊が援軍していた!如水軍本隊は、大友勢の総大将・大友義統(よしむね)の本陣、288mの城山に建つ立石城を攻撃せんがため更に南へ進軍した、そして実相寺(じっそうじ)山に本陣を構えた如水軍と、豊後の雄、大友軍が、豊後国速水の石垣原に集結した、慶長5(1600)年9月14日、両軍相まみえ、九州のの関ヶ原の戦いと呼ばれる“石垣原合戦”の火ぶたが切って落とされた!・・・

かかれ~~~!はなて~~~!はなて~~~!如水軍は豊後の西軍を次々と打ち破って行った!敵軍は百戦錬磨の如水軍に翻弄(ほんろう)され、なすすべもなく、崩れていった、ついに大友軍は武具を棄てて、湯之町別府のほど近くに在る立石城へ退散していった!太兵衛の3人串刺しの武勇伝はここでの出来事だった、如水『善助!太兵衛!ここはもう良い、先に杵築(きつき、木付)城へ廻れ!』、はっ!・・・如水軍の勢いを知り、大友義統は態勢を立て直すため、一時後退した、だが、両軍勢は再び石垣原で激突した!そこへ九郎右衛門率いる如水先発隊が杵築より合流し両軍相交え、七ツ石一帯で激戦となった!・・・

九郎右衛門が吉弘を見付け叫んだ『吉弘統幸(むねゆき)殿!』、「おおっ!井上殿か!待っておったぞ!」、九郎右衛門は槍を携え馬を降りた、槍を地面に突き立て馬上の吉弘に言った『お主なら分かって居ろう、大友に勝ち目は無い!降伏なされよ!』、吉弘「さて、どうかのう!」、大友兵が数人、吉弘に助太刀しようとして、九郎右衛門に襲い掛かった、吉弘は槍をその間に投げ刺して「この統幸が相手じゃ!手出し無用!」と叫び馬を降り、左太ももに突き刺さっていた矢を引き抜いた、九郎右衛門『もう充分じゃ!命を無駄にしないでくれ!』、「なんの、相手にとって不足はない!尋常に勝負!」吉弘は剣を抜いた、『統幸殿!』、「参るぞ!」吉弘が五払いほどして斬りかかった、それをかわした九郎右衛門が剣を合わせて何とか凌いだが、じりじり吉弘の剣が九郎右衛門の首に迫ってくる!・・・

一寸のスキを見て、その剣を外した九郎右衛門の剣が吉弘の首に寸止めされた、『ここまでじゃ!』、暫しの静寂が辺りを包んだ、吉弘は覚悟を決め剣を落とした、そして首元に押し付けられた剣を手袋まま左手で掴んだ!剣を外そうとするが吉弘は力の限り掴んでいた!そして言った「九郎右衛門殿、お主の家の味噌汁、美味かった!あの1年は真に楽しかったぞ!」、九郎右衛門は泣いていた『統幸殿』、「お主に討たれるなら、悔いはない!」吉弘は首に当てられた剣を思いっきり押し当てて引いた!血がふき出した!次第に意識が薄れ、吉弘は九郎右衛門の腕の中で息絶えて行った!『統幸殿~~~!』九郎衛門は狂わんばかりに号泣していた!島津を討つため共に戦い、食客として親交を深めた九郎右衛門と大友の名将・吉弘統幸の死闘は壮絶だった!九郎右衛門に討たれたものの、武将の名に恥じない吉弘の最期は実に立派だった!敵将・吉弘の魂は吉弘神社となって祀られている・・・

その夜、 如水の本陣に戻った九郎右衛門は仲間たちに温かく迎えられ、如水はその武功を讃えた!善助「大友勢は未だ、戦う姿勢を崩して居りませぬが!吉弘が討たれたため、敵の志気は下がって居ります!」、太兵衛「逃げる者は後を絶ちませぬ!このまま攻め続ければ、容易く倒せましょう!」、如水『否、放って置いても、降伏するであろう!』、三銃士に向かって言った『わしは大友義統を許す!』、善助「さすれば、他の者も降伏しやすくなりますなあ!」・・・

翌日、海雲寺で頭を剃り落とし、出家の出で立ちで如水本陣に現れ、総大将・大友義統が降伏した!如水の勢いを止めようとした三成の策は、水泡に帰した!九郎右衛門が、統幸の死を悼み、義統の胸倉を掴んで言った「吉弘殿如き忠臣の諫みを聞き入れていれば、この様な事にはならなかった~~~!」、善助は隊を前にしていった「皆の者、勝どきじゃ!勝どきを挙げる!」、おおお~~~!、太兵衛「次も勝~~~つ!」、おおおおお~~~!!如水が音頭を獲った、えい!えい!おおおおお~~~!!如水恐るべし!噂は次第に広がり、西軍一色に染まっていた九州は土台から揺れ始めた!・・・

中津城の留守を守る光殿は縫物をしながら如水らの無事なる帰還を待っていた、そこへ長政の妻・栄が現われ来て伝えた「石垣原(いしがきばる)にて、御父上が、大勝利で御座います!」、お方様~~!、光『勝ちましたか!?あっははは~~~!』そしてゼウス?仏壇?に手を合わせた、お福「お方様が大殿と夫婦(めおと)に成られて30と3年、朝夕のご機嫌伺いを一度たりとも欠かさなかった故、御仏もご加護下さるのです!」、栄「三十三年!?おなごの戦さも大変で御座いますね!」、おっほほほ~~~!・・・

お福「それにしても、大殿も、もう良いお年!浪人や百姓まで集めて、戦さに出られぬとも!」、栄「左様で御座います、わたくしも心配で御座います!母上は何故、お止めに成らぬのですか?」、光『わたしとて、行って欲しくないと思ったことは、幾度となくあります!されど、全ては黒田のため、家臣、領民を守るため!生き残るための戦さだったのです!しかし、此度は違います、ようやく、お心のまま、思うが儘の生涯を得られて、今や水を得た魚!いいえ、お名前の通り、ご自身が水の流れの様に、自在になされて居るのです!』、栄「水の流れでは、誰にも止められませぬ!」、真に!、光『は~~い!うつふふふふふ~~~!』・・・

その頃、家康は東軍が集結する美濃・赤坂に兵を進めていた、家康『黒田殿、お主の凋落の事を聞いて居るぞ!見事じゃ!』、長政「有難きお言葉!小早川様に加え、吉川様もすでに、我が方の味方となって居ります!」、正則「内府様、敵は大垣城で籠城の構え!一気に攻め落としまするか?」、家康『わしは手薄な三成の居城・佐和山を攻めようと思う!』、忠勝「佐和山を攻める構えを見せれば、敵はそれを防ごうと、兵を動かす!」、正則「野戦に持ち込むわけですな?」、直政「野戦で殿に叶う者は居りませぬ!」・・・

一方、宇喜多秀家が、大垣城の三成に、家康が佐和山を攻める構えを見せて居ると伝えた、三成『それはまずい!佐和山を獲られでもしたら、我等は大坂との間を絶たれる!』、行長「総大将の輝元様は何をして居る!輝元様の軍勢が居れば、幾らでも手を打てたと云うのに!」、三成『輝元様は出て来ぬ!』、秀家「何故じゃ?」、『大坂に居る増田長盛に謀反の噂があると云うのじゃ!それ故、秀頼君をお守りするために、出て来られぬと!』、行長「味方が、この様にバラバラでは勝負にならん!」、三成『いや、皆、様子を覗っておるのだ!我等のの優勢を知れば、こちらになびく!かくなる上は、この大垣を棄て、ここ関ヶ原まで陣を移そう!』地図上を指さした、秀家「関ヶ原にて野戦か!?」、行長「それしか、あるまい!直に支度じゃ!」、三成『わしは味方を引き締めに廻る!』・・・

毛利が陣を張る美濃・南宮山(なんぐうざん)の吉川(きっかわ)本陣に、三成が夜訪れ、吉川広家と恵瓊らに会った、「雨の中、大儀で御座るな!」、『吉川様、明日は是非、毛利勢に先鋒をお願いしたい!』、輝元「毛利は宇喜多と同じく、大老じゃ!何故、大将でなく先鋒じゃ!?」、広家様!と恵瓊が諌めた、「気に入らん!明日は当方、勝手に戦さをする!」と広家は言い捨て、恵瓊を一人残して去って行った、『恵瓊殿、如何なって居る!?』、「広家様は未だに、お主に味方したことを納得して居られぬのじゃ!」、『何をいまさら!』三成が激怒した、「いよいよ決戦じゃと云うのに、何と言う様じゃ!」豊臣政権の五奉行の一人、長束正家も愚痴をこぼした!、恵瓊「必ずわしが説き伏せる!」、三成『総大将は毛利輝元様であろうが!?もしこの戦さに敗れれば、毛利は家康に滅ぼされるのであるぞ!』、「分かって居る!それは、わし等も同じことじゃ!」恵瓊も怒った・・・

関ヶ原近くにある松尾山 (まつおやま)小早川秀秋の本陣にも、三成がやって来て、付きまとわれて頼みごとをされ、迷惑がられた、『明日、小早川様には後ざさえをお願いしたい、のろしの合図で、徳川本陣を突いて頂きたい!』、なかなか帰らぬと観て秀秋が嘯(うそぶ)いた「うむ、承知した!」と、三成は軽くあしらわれた、『ではこれにて!』頼りにならんと見たか、三成は去って行った、秀秋の家臣等が「三成も必死じゃのう!」と蔑(さげす)んだでいた・・・その帰り、雨の中、もう頼るところもなくなった三成は、如水の言葉を思い出していた “だが、止めておかれるが良い!徳川殿は既にお見通しで御座る!お見通しで御座る!”、三成は己を奮い立たせるよう言った『必ず勝つ!わしが勝たねば、豊臣は亡びる!』・・・

鷲峰山・高台寺ではおねと、マグダレナがお傍に着き、釈迦如来像と秀吉の位牌に向かって、祈りを唱えていた、『黒田長政、福島正則、小早川秀秋、皆、幼き頃より、我が子として育ててきた、謂わば兄弟!何故憎みあい、殺しあわねばならぬのか!?お前様、子供たちをどうか、助けて下さい!守ってやって下さい!お前様!』・・・9月15日早朝、東西両軍、およそ20万の軍勢が、関ヶ原に集結した!敵はおよそ八万、家康は桃配山(ももくばりやま)に陣を敷いていた、三成『八万か、勝てる(こちとら十万でえ)!』、家康『霧が深くて、敵が見えぬ!敵はいかほどじゃ?』、はっ!敵の数およそ十万で御座います!、家康『十万!?(数の上では負けとる)』、殿!黒田の物見がお目通り願って居ります!『黒田?通せ!』、はっ!・・・

黒田二十四騎の一人で近江国神崎出の毛屋主水(けや もんど)が現れた「毛屋主水に御座います、主(あるじ)・長政の命により、この目で確(しか)と見た敵情をお伝え致します!敵の数二万!多くて三万に御座います!」、家康『二万から三万とな?先程十万と聞いたぞ!?充分と違うではないか?』、毛屋「敵は見た目は多くは御座いますが、戦う気があるのは、石田、宇喜多、小西、大谷ぐらい、後は数に入らぬゆえ、多くて三万と申し上げた次第!」、『ふふふふふ、さすがは黒田の家臣、良くぞ見て取った!褒美じゃ!』家康は盆の饅頭を2個鷲掴みにして毛屋に贈った、「有難き幸せ!」毛屋は一口かぶってから、その場を去って行った、『二、三万の敵など、一捻りじゃ!』家康が見通した!・・・

霧立ち込める関ヶ原の丸山に陣を構えた長政は、出陣を前にした軍の志気高めた『よいか!戦さが始まれば、我等が狙うは三成の首のみじゃ!それ以外は目もくれるな!』、はぁ~~~!!・・・その頃、中津城では光、栄、お福らが長政軍の武運を祈っていた・・・一方豊後では、勢いに乗った 如水軍が更に進軍を重ねていた、善助「大殿、間もなくで御座います!」、如水『よいか!一気に蹴散らす!』、太兵衛「黒田の旗を挙げよお!」、おっ~~~!、九郎右衛門「貝を吹け~~~!鐘をならせ~~~!」、おおお~~~!、・・・おっ!なんじゃ?なんじゃ?、お食事中の敵は、それらの音に慌てふためいた、藤巴と永楽通宝があしらわれた軍旗が立ち並び、如水軍が直ぐそこに現れた!かかけれ~~~!、わわわわわぁ~~~!!・・・九州全土を!そして天下を狙う如水の軍勢は、破竹の勢いで進軍を続けた!・・・

 

 

 

 

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軍師官兵衛、第49話“如水最後の勝負!~前編” 2014年12月7日

2014-12-07 20:11:39 | 日記・エッセイ・コラム

今日、2015北京世界陸上(8月22~30日)選考会を兼ねる第68回福岡国際マラソンが、マラソン日和の中、開催された、30kmから抜け出したバトウチル(モンゴル、NTN)、マカウ(ケニア)、アセファ(エチオピア)、3人の先頭争いとなった、歴代4位となるベストタイム2°03′38″を有するパトリック・マカウが平和台にトップ2°08′21″で戻り優勝した☆アセファが2°08′48″で2位に、バトウチルが2°08′50″で3位に入った、日本人トップで代表を確実にしたのは、34kmから第2集団から飛び出し、4位2°09′06″でゴールした藤原正和(33歳、西脇工、中央大、Honda)だった☆!5位2°09′59″で足立知弥(28歳、旭化成)がつづいた!ロンドン五輪6位、モスクワ世界陸上5位の中本健太郎(32歳、安川電機)は期待に沿えず12位2°12′01″に終わった!・・・

慶長5(1600)年9月、日本を二分する大戦さが始まろうとしていた、東軍の家康に対して、西軍の三成は如水の動きを封じるため、宗麟の嫡男・大友吉統(よしむね)を九州・豊後に送り込んだ!島津を叩いた秀吉の九州平定の折、府内城を居城とする大友家は秀吉の傘下に下っていた、豊前・中津城では、黒田軍が虎視眈々と天下を狙って気勢を上げていた!運命の時が刻一刻と迫っていた!・・・

戦さに備えるため大わらわの中津の如水軍に、長政軍に着く又兵衛が、家康が江戸城を出て、西に向かって出陣したと書状で知らしてきた、 如水は思った以上に徳川の進軍が早いと悟った、九郎右衛門「三成は如何に出ましょう?」、如水『三成には奥の手がある!』、善助「秀頼君の御出陣?」・・・案の定、大坂城では三成が幼い秀頼をこの大戦さに巻き込むことを企んで居った、しかし淀君が大反対に出た「成りませぬ!秀頼はまだ八つ、出陣などもってのほかじゃ!戦場で万が一のことがあったら如何する?豊臣が滅びてしまうではないか!それこそ家康の思う壺じゃ!」・・・

三成『その様な事にはなりませぬ!秀頼君が徳川討伐のために出陣となれば、味方の志気は格段に上がりまする!徳川に組した豊臣恩顧の大名達も、我が方に馳せ参じるは必定!』、淀「成らぬと言ったら成らぬ!そなたが大坂に戻ったからには、何も心配要らぬのではないか?それとも、幼い秀頼に頼らねばならぬほど窮して居るのか?」、三成『いいえ、我等の勝ちに間違いはありませぬ!』、淀「ならば、わざわざ秀頼を担ぎ出さなくても良かろう!?」、三成『はい、それがしの短慮で御座いました、お許し下さい!』、淀「分かればそれで良い!三成、勝利を信じて居るぞ!」、はっ!・・・

その頃、美濃赤坂に陣を構える長政のもとに、小早川秀秋の家老・平岡頼勝が密かに訪れていた、橋渡しをしたのは、おねであった、長政『政所様のご書状は読んだ、小早川様は徳川にお味方するのは間違い無いのだな!?』、平岡「はい、黒田と小早川は、先代・如水様と隆景様の頃より、所縁(ゆかり)深き間柄、更に万事、黒田様を頼れとの、北政所様のお言葉とあれば、他に道は御座いません!」、又兵衛「ならば、何故、徳川様がお守りしていた伏見城攻めに加われた?」、平岡「あれは偶々(たまたま)京に居合わせ、行きがかり上、致し方なかったので御座います!」、長政『分かった、徳川様には既に、中納言様に御心は伝えてある、小早川様には、京の近くに二か国の所領をお約束するとの事で御座る!』、平岡「二か国!かたじけのう御座います!」・・・

長政が長浜の母と慕うおねが、京の東山にある出家先の鷲峰山・高台寺で、釈迦如来に手を合わせてぽつっと漏らした『他に手が無かったのです、如何か、首尾よく行きますよう!お前様、しかと見守ってくだされ!お前様、お前様!』・・・しかし、小早川の凋落(ちょうらく、自分のものに抱き込む)に動いていたのは 長政だけではなかった、近江・高宮の小早川の陣に秀秋を訪れたのは石田三成本人であった『小早川様、お喜びくだされ、家康を討った暁には、秀頼君が15になるまで、貴方様に関白とお成り頂ます!』と家老・平岡頼勝の前で言った、「このわしが関白!?」、『はい!、関白ともなれば、朝廷と公家衆とのお付き合いで、何かと物入りでしょう、その為、今の筑前に代わる播磨一国をも、小早川様のご所領と定めます!』、播磨?それは!?、『御家老、平岡殿にも近江において10万石、加えて黄金300枚を遣わしましょう!』、秀秋も頼勝もいささか迷惑気味で困り果てた・・・

この頃、三成は、美濃の守護大名・土岐(とき)一族が1535年に創建した大垣城を本拠地にしていた、近江・高宮から戻った三成に家臣らが訊ねた「小早川様は如何であった?」、『思った通り、敵の凋落にはまって居った!』、やはりそうか!、『所詮は利で動く輩(やから)、飛び切りの利で釣ったら、目の色を変えて居ったわ!これで繋ぎ止められたであろう!』、そうか、吉報じゃ、早速に軍備を!小西行長と宇喜多秀家がはけたあと西軍の首脳の一人、大谷吉継が三成に忠告した「信用してはならんぞ、お主はいつも己の知略に頼み過ぎじゃ!」、三成『分かって居る!』・・・

その頃、豊前・中津城では軍議が開かれていた、一通の書状に目を通していた如水がそれを善助に手をしながら言った『よし、これで全てか?』、「はっ!、九州すべての大・小名ことごとくに送り付け、黒田に着かねば亡びるのみと揺さぶります!」、『黒田の強さを見せつけてやれば、脅しではないことが分かろう!』、善助「今は、従わぬ者は、いずれは我が軍門に降り、さすれば、更に仲間が増え、益々勢いを増す!」、九郎右衛門「たちまち2万3万と膨れ上がりましょう!正に、兵が兵を呼ぶと云う軍略!」、若き5人の伝令達に書状を渡しながら 如水が言った『やることは分かって居ろう!』、はっ!、『良いなあ!暴れて来い!』、は~~~っ!!、『さあ、我等も行くとしょう!』、大殿のお出ましじゃ~~~!!おおお~~~!!・・・

如水は、鍛えし大軍を前にして、出陣式に臨んだ『これより始めるは九州全土を平らげる戦さじゃ!まずは豊後!豊後は元々、大友の領国であった、だが宗麟の嫡男・大友義統(よしむね)はかつて朝鮮にて、敵を見る前に逃げ出し、豊後を召し上げられた臆病ものじゃ!』、ははははは~~~!大きな笑い声が起こった、『その臆病者が、わしの首を獲りに来ると云う!敵が例え何万騎で来ようと、百に一つも負けることはない!』、おおおおおお~~~!!『我が行く手を邪魔する大友を退治し、豊後を討ち捨てろ!その勢いに乗じて九州全土を、この我が手に収める!』、おっおおおおお~~~!!行くぞ~~~~!!おおおおお~~~!!・・・

慶長5(1600)年9月9日、御神輿舞台に担がれて如水は遂に出陣し、九州制覇に乗り出した!如水はまず、西軍に着いた豊後・高田城を囲んだ、太兵衛が陣頭指揮を執った「扉を破れ~~~!」、簡単に扉は壊され如水軍は城内へなだれ込んだ!敵軍は慌てふためき立った、善助と九郎右衛門は無駄な戦さを避けるよう降伏を促した、やがて如水の本陣へ、太兵衛がやって来て 「高田城より豊後・府内2代藩主・竹中重義殿及び、その重臣・不破三太夫がお目通りを願って居ります!」と伝えた、如水『やっと来よったか、通せ!』、はっ!・・・

竹中重義「城主、竹中重利の嫡男、重義に御座います!」、不破「家老、不破三太夫に御座います!」、如水『三成に着くとは、竹中殿もしくじったのう!亡き半兵衛殿の従兄とは思えぬ浅はかさじゃ!だが、今からでも遅くはない、このわしに着けば、本領は安堵して進ぜ様!』、重義「有難きお言葉、黒田様にお味方仕(つかまつ)る!」、善助「我等はこれより、石田方の国東・富来(とみく)城を攻めまする、直ちに兵を挙げまするよう!」、不破「否、直ぐにと申されましても、しばしの御猶予を!まだ支度が出来て居りませぬ!」、如水は怒って卓上を叩いた『直ぐに兵を出せぬと云うか?その様な、敵か味方か分からぬような者を、わしは討ち捨てにはしておかぬ!今からお主たちの城を攻める!』と言って善助に促した、善助「馬を曳け~~~!」、はあっ~~~!、不破は恐れおののき叫んだ「出しまする!今直ぐに兵を出しまする!お待ちくださいませ!」重義と不破は兵を出すため急いだ、如水『さあ、先へ進むぞ!』・・・ 

同じ頃、豊後・浜脇浦、大友の陣では、豊後への帰還を果たした豊後22代当主・大友義統(よしむね)の元へ、かつての家臣たちが続々と集まっていた、老兵、宗像鎮続(むなかた しげつぐ)もその中の一人だった「お懐かしゅう御座います!豊後の地を取り上げられてから6年、この日を夢見て参りました!黒田など、一揉みに揉みつぶしてご覧に居れまする!」、義続「うん、頼むぞお!はははははっ~~~!統幸、なんじゃ、嬉しゅうないのか?」、吉弘統幸(よしひろ むねゆき)は1587年の九州平定の折、秀吉の傘下になり黒田24騎士とは同じ釜の飯を食った武将であった、統幸「それがし、黒田との戦いは避けるよう、幾度となく殿をお諫め申し上げた!如水殿からも、石田に味方するのを止めよと、懇切丁寧な書状を頂いて居ります!殿、今からでも遅くはありません、何卒、御考え直し下さいませ!」・・・

宗像「吉弘殿ともあろう者が、大友家再興の好機に、命を惜しまれるか!はあ!?」、義統「お主は以前、黒田の食客となって居ったそうだな?情が移ったか、統幸!」、統幸「大友家は400年、この地を治めてきた名門!されど、このままでは、行く末が心配でなりませぬ!」、義統「如水など、恐れるに足らぬわ!見よ、まだまだ兵は増える!負ける気がせぬは!はっははは~~~!」、殿!殿!殿!お久しゅう御座います!大友軍は東軍に着いた立石城から、来付城を包囲して如水への反撃に出た!木付城攻撃の知らせは、その日の夜に豊後本陣の如水にもたらされた!・・・

善助「して、大友の数は?」、3千から4千まで膨れ上がって居ります!名立たるものも、続々馳せ参じて居ります!田原紹忍(たわら じょうにん)、宗像鎮続(しげつぐ)、吉弘統幸!、如水『吉弘が着いておるか!?』、九郎右衛門「厄介なことに成りましたな!」、太兵衛「以前、黒田の食客であった吉弘で御座りますねえ!」、善助「あの豪傑が加わったか!」、如水『あの吉弘が着いているとなると、一刻の猶予もならぬ!九郎右衛門、3千で良いな?』、はっ!、『わしは背後を突かれぬよう、国東の富来と安岐の二城を抑えておく!九郎右衛門、大友を止めて来い!』、心得まして御座いまする!・・・

一方その頃、東軍の総大将・家康は、尾張国・春日井の清須城まで陣を進めていた、井伊直政が、如水が9月9日に、九州で兵を挙げたことを家康に伝えた、九州にて石田方を次々と滅ぼす積りと長政の書状に認(したた)められていた、「如水さまも我等の味方とあれば、三成もさぞや肝をつぶすでしょう!」、家康『如水め、誰のために働いておるのやら、分かったものではないぞ!』、はぁっ?、『油断の成らぬ男じゃ!この騒ぎに乗じて、何をしでかすやら?』、直政「まさか、天下を狙っていると!?」、『長政がこちらに居る限り、当面、敵に回る恐れはあるまいな!』・・・

美濃・赤坂の長政の陣には、家康の使者として、直政が長政を訪ねていた、「数日中には、我が殿も、到着されます、凋落は如何に!」、長政『心配無用で御座る!吉川広家には毛利の本領安堵を約束して居りますゆえ!毛利が我等に敵対することは御座いませぬ!』、直政「小早川秀秋は如何じゃ?」、長政『あのお方は、どうも煮え切らない、しかし、小早川の陣中に我が家臣・大久保猪之助を送り込ませ、常に見張りをさせて居りますゆえ、まずはご安堵くだされ!』、直政「さすがは黒田様、抜かりは在りませぬなあ!我が殿も喜ばれるでしょう!頼みましたぞ!」、と言い残して、直政らは帰って行った・・・

一成「殿の凋落で、石田方はバラバラ!既に勝負はついているのでは?」、長政『油断するな!凋落の手を伸ばしておるのは、敵も同じだ!』、又兵衛「殿!」、『何だ?』、「九州で大殿が兵を挙げられましたが、これを如何、見とられますか?」、一成「九州の石田方を攻め、我等をお助け下さる御積りでは?」、又兵衛「わしはそうは思わぬ!」、一成「では、何故?」、又兵衛「大殿は天下を狙っておいでなのでは?」、天下を!?、長政『それ以上申すな、又兵衛!その様な事、外に漏れれば、あらぬ疑いを招く!黒田の当主はわしじゃ!父上が如何動こうが、黒田は徳川に賭けたのだ!』、はっ!、はっ!・・・つづく

 

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軍師官兵衛、第48話“天下動乱!~後編” 2014年12月1日

2014-12-01 15:35:26 | 日記・エッセイ・コラム

予報通り西日本には大陸から寒冷前線が南下してきて、等圧線が狭まり冬型の天気図となった、朝方まで大雨が降り、強風がガタガタ吹き荒れる不安定な天気になっている!これでは、はやぶさ2号の打ち上げが3日まで延期されるのも無理はない!3日当日には適度な風で晴れてくれれば良いのだが・・・

大坂城では、毛利輝元を総大将に、恵瓊を軍師に据えた西軍が、京、大坂周辺の東軍への攻撃を始めていた、輝元「大悪人、徳川家康をしかと成敗してご覧に居れまする!」、まだ7,8歳の秀頼が黙っていたので淀君が「秀頼殿!」と促した、「はい、毛利殿、万事よろしく頼むぞ!今日はこれを授ける!」、侍従の者が三宝に載せられてきた恩賞のお品書きを授けた、輝元「有難き幸せ!」・・・

上杉景勝討伐に向かう家康、長政等の東軍は下野(しもつけ)の国まで兵を進めていた、宇都宮に陣を構えた長政に、次の様な知らせが一成から入った、「石田の挙兵を受け、上杉討伐に加わっていた諸将を集め、明日、小山にて軍議が開かれることに成りました!」、『分かった!』、「それに先立ち、徳川様が殿にお会いしたいとの事で御座います!」、『直ぐに参る!』、ははっ!、暫く考えていたが長政は一成を呼び止めて命じた『緒用がある故、のち程、必ず参上すると返事せよ!』、ははっ!、又兵衛「殿、緒用とは?」、『寄り道じゃ!』と言い捨て小山の家康本陣へ出向いて行った・・・

黒田様がご到着されました!、通せ!、家康はイワシの日干しを当てに飯をかき込んで居った、長政『遅くなり、申し訳ございませぬ!福島正則らの陣に寄って居りました!』、何故また!、『福島殿は大の三成嫌いとはゆえ、豊臣の縁者(母が秀吉の叔母)!此度は、三成どもは秀頼君を主君として奉じて居ります!それ故、福島殿の動きが気になって居りました!心変わりするのではないかと!』、して?、『決して豊臣に弓を引くわけではありませぬ、秀頼君をお守りするために御座います!正則様は、内府様にお味方すると明言されました!』、間違い御座らぬか?、『随分、迷って居られましたが、もはや心変わりはありませぬ!』、ふふふふ~~~!と家康が笑った、周りも笑った・・・

笑っていた榊原が口を開いた「あっ、否、実は評定(評決)に先だって、黒田様をお呼びしたのは、正にそのことをお頼みしたかったからで御座る!」、直政「我等も福島様の動きが気になって居りました!福島様と付き合いの古い黒田様なら、説き伏せて下さるのではないかと、思って居りましたが!」、忠勝「手間が省けた!はっははは~~~!」、家康が長政に近づき、初めてもの言うた「(養女・栄の)婿殿、ようやってくれた!さすがは如水殿の倅、知略は親譲りか!?」、『有難きお言葉!』、家康「のちのちも頼りにして居るぞ!」、はっ!・・・

慶長5(1600)年7月25日、上杉討伐に加わった大名達が集まり、下野・小山にて軍議が開かれた、家康『御一同、わざわざ大儀で御座る!』、直政「大坂で石田三成が挙兵致しました、昨年、奉行を追われた遺恨を晴らさんと謀反を起こしたものの、敵には毛利、宇喜多の大老二人が頓死して居ります!」、家康『此度の一件、三成とその一派の陰謀であることは明白!されど、敵は秀頼君の御ためと称して居る、また諸将の妻子が人質とされて居る!遠慮はいり申さぬ!三成に組したいと思われる方は、此れより速やかに陣を払い、大坂に戻るが良い!決して停め立ては致さん!』・・・

少し座がざわめいた、その時、正則が立ち上がって訴えた「何を仰せられるか!今更、三成に味方するなど、在りえぬ!秀頼君への忠義には一点の曇りも御座らぬりが!この正則、神妙を惜しまず、内府様にお味方いたす所存!」、長政『それがしも同様に御座る!三成殿は秀頼君の名を方便に使って居る汚き男じゃ!妻子を人質に取るなど卑怯千万!断じて許しては成らぬ!』、おおお~~~!、『天下のため、三成とその一派を倒すのみ!』、おおお~~~!、そうじゃ~~~!、家康『ならば、このまま西へ取って返し、逆賊・三成を討ち果たす!異存は御座らんな?』、おっおおおおお~~~!!・・・ 

大坂城でも三成に味方する一派が恵瓊が中心になって軍議を開いて居った、恵瓊「上杉討伐の諸将は、ほぼ全てが家康に味方すると、こちらに引き返して来るそうじゃ!」、三成『太閤殿下に取り立てられた御恩も忘れ居って!』、長盛「人質を獲ったことが、裏目となったか!?」、三成『だが、この大坂から西は味方で固めた!我等の優勢に変わりはない!』、恵瓊「気がかりな事がある!」、三成『何で御座ろう?』、恵瓊「黒田如水じゃ!」、行長「今、黒田の軍勢は長政と伴に在る、幾ら如水となれども、兵が無ければ何も出来まい!」、恵瓊「否、それが如水を慕って、百姓、町人までもが集まり1万近くにも成っているらしい!」、1万!、放って置けぬ!、三成『あっははは~~~!何という男だ!だが、手は考えてある!』・・・

三成は、かつて豊後を支配していた大友吉統(よしむね、宗麟の嫡男)を大坂城へ呼び出した、大友「恐れながら、本領を召し上げられたそれがしに、再び豊後をお与え下されるとのお約束!弼濃い(ひつこい)ようですが、間違い御座らぬか?」、輝元「相違ない!軍資金と武具を十分に遣わす!」、三成『黒田如水を倒した暁には、豊後はお主のもの!』、大友「有難き幸せ!豊後にて400年続く我が大友の旗を掲げれば、たちまち数千もの兵が集まりましょう!」、長盛「敵は武名高き黒田如水!くれぐれも油断召されぬよう!」、大友「分かって居ります、お任せ下され!如水殿には気の毒で御座るが、大友再興のため、転んでもらおう!」・・・

その頃、如水は一人縁に座り、かがり火に照らされながら、豊富な水量が流れ落ちる滝を連想しながら瞑想にふけっていた、『上善は水の如し!水は善く万物を利して争わず!衆人の悪(にく)む所におる!故に道に畿(ちか)し!』、紀元前600年、周の時代に生きた哲学者・老子が説いた教えだった、そこへ黒田三銃士がやって来た、善助「大殿、お呼びてしょうか?」、如水『ようやく兵も整いつつあるゆえ、改めて、お主たちに話しておく!わしの天下取りの策じゃ!』、如水等は、ローソクの灯りがともる軍議用テーブルに移った・・・

『此度の大戦さ、決着が着くまで、暫く時を要するであろう、そこが狙い目じゃ!徳川と三成が争っている間に、我等は力を蓄える、まずは九州、ここはほぼ、三成の味方ばかり!』、如水の後をオーバーラップしながら太兵衛が続けた「三成の味方ばかり、これらをことごとく、たいらげ、九州一円を黒田のものにする!」、善助「さすれば、味方は益々増え、今の数倍にはなろう!その兵を率いて、一気に中国へ攻め入る!」、九郎右衛門「毛利は大坂に出兵し領国はがら空き!更に進めば、我等が故郷の播磨!」、如水は的を得た3人の推理に引き込まれ感心して聞き入った、太兵衛「ここまで進めば京・大坂は目前!我等の手勢は更に膨れ上がって居りましょう!この数、およそ10万!」・・・

善助「そこです!最後の大勝負、家康と三成、勝ち残り、疲弊しきっている方へ、決戦を挑む!これが大殿の策!」、太兵衛「兵糧は既に買い集め、長陣となっても尽きることはありません!」、九郎右衛門「物見を各地に潜ませ、大名、小名、地侍、全てを把握して居ります、此度、我等をお近くに留め置いたのは、大殿の天下取りのため!」、善助「我等は30年間の長きに渡り、大殿に仕え、見続けて参ったのです!」、太兵衛「大殿のお考えなど、寝ていても分かりまする!」、失言なんじゃ、太兵衛!あっははは~~~!如水は三銃士に感服し頭を深々と下げた、善助「大殿!」・・・

如水『わしは良き宝に恵まれた、善助!九郎右衛門!太兵衛!得難き宝が三つもじゃ!お主たちのお蔭で、ここまで生きながらえ、軍師として、重用されることが出来た!わしはなあ、お主たちと共に、天下を狙う!黒田の礎(いしずえ)となったお主たちは、天下の礎となりえるかどうか、見てみたい!そして、天下と云う器が、わしに相応しいのかどうか、試してみたい!』、皆泣いていた!小生も貰い泣きした!善助が拳を叩いて、立ち上がって言った「我等、黒田武士!大殿の天下が見とう御座います!」、太兵衛「やりましょうぞ!大殿の天下獲り!」、九郎右衛門「して!黒田勢は徳川に着いて居りますが、如何なさる御積りで!?」、如水『わし等は老兵じゃ、強(したた)かに動くまで!長政達は、わし等に従わざるを得なくなる!それに、わしは長政を信じて居る!』・・・

長政の軍が三成等を討つため西へ進んでいった、東西両陣営の鍵を握る人物が京の高台寺を訪れていた、それは小早川秀秋である、家老の平岡頼勝をお伴にしていた、高台院と改め出家したおねには、杉原家定と云う兄が居た、その兄の五男・秀秋が後に小早川隆景の養子となって小早川家を継いだ、秀秋「されど、このままでは石田方と見なされてしまいますゆえ、果たしてこれで良いのかどうか?」、おね改め高台院は呆れて言った『ふ~~ん、相変わらず、煮え切らない男じゃのう!子供の頃から少しも変わらぬ!秀秋、お前はどちらに着きたいのです?』、「それは勝つ方に!」、『ハッキリなさい!!領主と成るものは、こうと決めた道を、真っ直ぐ進むのじゃ!そうでなければ、家臣は従わぬ!』、「それは分かって居りますが、伯母上、如何したら良いのでしょうか?」、『わたくしが最も信用している者に、書状を出します、その者に相談なさい!ただし!最後に決めるのは、お前ですよ!ですよ!』、はい!・・・

高台院が書状を書いた相手は長政だった、本陣で長政はニタニタしながら目を通していた、一成 「政所様は何と?」、『小早川秀秋殿がわしに相談があると!?』、小早川様が?、もしや?、『こちらに寝返りしたいのであろう!天がこのわしに味方して居るぞ!』・・・家康は江戸に戻り、のんびりと鷹に餌をやりながら、出陣の期を覗っていた、そこへ伝令がやって来て「殿、美濃の井伊様からの書状に御座います!」、『うん、読め!』、はっ!今のところ、豊臣恩顧の大名の離反はありませぬ、味方は志気も高く、殿の御出陣をお願い奉(たてまつ)る!とのことで御座います!、家康『せっせと書状を書いた甲斐があったか!ふふ、そろそろ、わしも出陣するか、仕度をせえ!』、ははっ!・・・

大友吉統が数日中にも、大坂を出る構えで、続々と武具・兵糧を船に積んで居るとの情報が中津城にも届いていた、如水『来るとすれば、大友の旧領である豊後の大分の辺りであろう!』、九郎右衛門「味方する者が大勢出るに違いありません!」、『仕度を致せ!大友の勢いが大きくなるうちに、叩き潰す!』、はっ!、日本史上最大の合戦がいよいよ始まろうとしていた!・・・

 

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