Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、最終50話“乱世ここに終わる!~後編” 2014年12月22日

2014-12-22 19:12:40 | 日記・エッセイ・コラム

内府殿から受け賜った筑前52万石に移る事となった黒田家は、新たに博多に近き地に、城を築き“福岡城”と名付けた、また、慶長7(1602)年11月、黒田家待望の跡継ぎが誕生した!長政「でかしたぞ、栄!」、栄が満面の笑みで答えた「ありがとう御座います!」、お福「これで黒田家の行く末も安泰で御座います!」、長政「母上、父上にお名付け頂きとう御座りますが!」、光『うっふふふ、すでに受け賜って居ります!』、光は三宝の上に置かれた命名書きを長政に差し出した、長政がそれを開くと“萬徳”と書かれてあった、光『おのこならば、萬徳とせよと!』、栄「萬徳!」、長政「良い名じゃ!」、光『萬徳の“萬”は殿の幼名、萬吉にちなんだものです!』、栄「父上の御幼名!」、光『黒田家が代々受け継いできたものを、この萬徳にも伝えていくことが、栄、そなたの役目です!』、はい!と栄が微笑んだ・・・

慶長8(1603)年2月、家康は、朝廷に仕える官職である“征夷大将軍”に任じられ、江戸に幕府を開いた・・・その頃、京のおねの屋敷に 如水が訪ねて、太閤の仏壇に手を合わせてたのち、おねと暫し語り合った、如水『徳川様が将軍に成られました!』、おね「うん、徳川殿は着々と手を打って居る、未だ豊臣の天下を夢見ているのは、淀殿、それに清正、正則くらいです!清正、正則は今になって、徳川殿に味方したことを悔やんで居る!」・・・清正「まさか、このまま徳川の天下に成ろうとは!」、正則「秀頼君だけは、何としても守らねば!」・・・如水『もはや、徳川の天下は盤石(ばんじゃく)!』、おね「淀殿も、目を覚ます手立ては無いものか?」、如水『大坂城に居る限り、あのお方の目が覚めることは御座いますまい!』、おね「まことに、頼りになるのは、城ではなく、人だと云うのに!」・・・

慶長9(1604)年正月、長政と善助が如水に呼ばれた、長政「父上、御用でしょうか?」、如水『長政、善助、伏見の屋敷までよう参った、入れ!』、長政と善助は如水と向かい合った、いつもの如水と違って弱弱しく語りかけた『長政、今日はお前に話しておきたいことがあるのじゃ、4年前、関ケ原の折、わしは九州で天下の夢を見た、だが、その夢は僅か一日で破れた、他ならぬお前の働きによってじゃ!』、父上!、『見事であった!お前は立派に黒田家を守った!あれで良かったのだ!長政!』、如水は這うように長政に近寄った、長政は大粒の涙を流していた、如水は長政の顔に右手を置いて言った『あの時お前はわしを越えた!』、長政は首を横に振った、『嬉しかったぞ!子に越えられると云うのは、悪いことではない!わしはなあ、もう死ぬであろう!』、長政「何をおっしゃいます!」、『あと二月(ふたつき)と言ったところじゃ!長政、家臣や民の声に、よくよく耳を傾けろ!そして信じろ!」、はい!・・・

如水『わしには善助が居た、わしと善助は心は何時も一つであった!』、大殿!、『長政、お前にも善助の様な者がいるはず!』、はい!、『善助、前へ、長政あれを!』、飾り棚に置かれた木箱を指さした、長政がそれを両手で持ち上げ運んだ、蓋を開けると、そこには如水が戦場でいつもかぶっていたいた赤合子の兜(かぶと)が出てきた、『善助、お主にこれを授ける!』、善助「いいえ!これは、これからも、大殿がかぶり続ける兜で御座います!」、『この兜はなあ、わしじゃ!わしの魂をお主に託す!』、善助の目から大粒の涙が溢れ出た、善助は泣きながら言った「いやいや、お別れなどしたくありません!」、如水は善助の両手をとってつづけた『お主には感謝して居るぞ!』、善助は泣き続けた 、如水が手でそっと、その涙を拭ってやった、『済まぬ、先に行く!』、善助も長政も涙が止まらなかった・・・

慶長9(1604)年3月20日、如水が臨終の床に就いていた、光、長政、善助、九郎右衛門、太兵衛、お福が見守っていた、如水はうわごとを言うように虫の息であった、如水『あっあっあっ、そろそろじゃ!』、太兵衛「大殿が逝ってしまわれたら、生きる良さが無くなってしまいます!」、如水が最後の力を振り絞って起き上がろうとした、長政と光が支えて、如水が起き上がった、『光!』、光は如水の手握って言った『ここに居りますよ!』、如水『一向に悔いが思い浮かばぬ!』、光『は~い!』、『光、お前が妻で良かった!』、官兵衛との数々の思い出が走馬灯のように、光の頭の中を駆け巡って来た、光『お側に居られて、わたくしは天下一の果報者で御座います!』、如水『皆、世話になった!』何も見えない闇の中で如水の意識は次第に薄れて行った、最後に声を絞るように言った『感謝する!』、九郎右衛門はグッと涙をこらえ何も言えなかった、そして官兵衛は前に首(こうべ)を垂れるように 息を引き取った!お前さん!大殿!大殿!父上!皆に看取られながら黒田官兵衛・如水シメオン59歳は天に召されていった・・・

元和元年(1615)4月、如水の死から11年が経った、淀君が46歳、秀頼が長(ちょう)じて22歳になって、豊臣と徳川との戦さが大詰めを迎えていた、大坂夏の陣!乱世最後の合戦であった!1614年12月、大坂方のため真田幸村の軍(真田丸)が奮戦した大坂冬の陣で 、茶臼山と岡山に本陣を張った家康・秀忠率いる徳川軍に攻められ、大坂城は既に本丸を残して丸裸になっていた、淀「すでに金銀も使い果たし、堀もない!そなたたちに頼るしかない!何卒、あの、にっくき家康を討ち果たしておくれ!」、秀頼「皆の者、頼んだぞ!」、豊臣が頼りとするのは、大量の浪人であった、その中に、長政と対立し、出奔(しゅっぽん、逃亡して跡をくらますこと)した又兵衛の姿もあった、「後藤殿、どうやら最後の戦さとなりそうじゃな!」、うん!、「此度は黒田長政殿も出陣しているようじゃぞ!仲たがいして出奔したとは言え、かつては兄弟同然に育ったと聞いて居る、出来れば、黒田の軍勢とは戦わずに済めば良いのう!」、(確かに、黒田軍は冬の陣には参戦していなかった)・・・

多勢に無勢、戦況は明らかに徳川方の圧勝であった、又兵衛は敢え無く戦乱の藻屑(もくず)と消えた!、長政が一成の伝令を聞いた!、「殿!光明寺辺りで大坂方と激しい戦いになって居りましたが、敵は総崩れ!敵の大将は後藤又兵衛のように御座います!豊臣は城も無ければ兵の数も足りません、もはや、勝負あったかと!」、『そうか!』、・・・長政『父上、それがしが至らぬばかりに、又兵衛を死なせてしまいました!』、その五月八日、大坂城は最後の時を迎えた、如何で御座いました?、助命嘆願の儀は叶いませなんだ!申し訳御座いませぬ!、お方様!侍女たちは泣き叫んだ、淀「もう良い、わたくしは今まで、小谷城、北ノ庄城(福井城)と、二度の落城を味わいました、この大坂城だけは、決して落ちぬと思っていたが、浅はかじゃった!」、秀頼「母上!」、「向こうで太閤殿下が待って居られる!さらばじゃ!」、淀と秀頼は自害して果て、豊臣家は滅亡した!・・・

京・東山にある高台寺の高台院屋敷にて、 晩年、北政所(きたのまんどころ)と呼ばれた“おね”が、秀吉と共に過ごした大坂城の方角に手を合わせて、淀君と秀頼の冥福(死後の幸福)を祈っていた・・・天王寺口南方で本陣を構えていた家康が、炎上して落城する大坂城本丸を眺めながら呟いた『終わったか!如水、お主と約束した戦さ無き世が、ようやく始まるぞ!』・・・

如水の死後、出家した光殿は、名を照福院(しょうふくいん)と改め、浄土宗・円応寺(えんのうじ)に身を潜め、縁に座って庭の藤の花を眺めながら余生を送っていた、そこへ戦乱の世から解き放たれ福岡に戻った長政が、光を訪れた、「母上!」と呼びかけ長政が光の隣に座った、光『ようやく、終わりましたか?』、「はい、乱世が遂に終わりました!」、『あ~~~、永かったこと!』、「冷えて参りました、何かお召し物が要りましょう!誰か居らぬか?誰か、お~~~い!」長政がはけた・・・そこには、ゆったりと時が流れ引き水が流れていた、ふと、前方に目をやると、藤の花の下に亡き官兵衛が立っていた、そして笑顔で光を振り返った、『殿、よ~~く、生き抜かれましたなあ!』、寛永4年(1627)8月26日、筑前国福岡において、光は享年75で官兵衛の元へ召されていった!・・・完

筑前52万石の大名になった黒田家の本拠地・福岡は、重隆の父・高政が目薬屋として湖北・近江国伊香・黒田村から移って来て財を成した黒田家先祖のゆかりの地、備前福岡(現在の瀬戸市長船町福岡、吉井川の下流に広がる、JR赤穂線長船〈おさふね〉駅周辺)にちなんで如水が名づけた!福岡城は47もの櫓を配置し、如水にとって、集大成となった城だった、晩年、如水が暮らした御鷹屋敷(おたかやしき)にて、如水は、歌や茶を嗜(たしな)みながら 、妻・光と仲睦まじく過ごしていた、慶長9(1604)年3月20日、如水は滞在先の京・伏見の藩邸にて、59年の生涯を閉じた、如水の亡きがらは福岡藩主・黒田家の菩提寺・崇福寺(そうふくじ)に葬(ほうむ)られた、如水の墓石に刻まれているのは、波乱に満ちたその生涯が刻まれている!・・・

如水が詠んだ歌の中に、”おもひをく 言の葉なくて ついに行く 道はまよハし なるにまかせて ” がある、思い残すことなく乱世を生きた満足感が、その辞世(詩歌)から覗(うかが)える、毎年7月に行われる博多祇園山笠では如水が整えた街を、軍師官兵衛の山笠人形の神輿が駆け巡る!福岡の礎(いしずえ)を築いた黒田如水の街は、今も発展し続けているのである!一度、乗り鉄して備前福岡にも行ってみたいものだ・・・お・し・ま・い

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする