Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

神武東征(とうせい)と建国記念日 2008年2月11日

2008-02-14 03:19:29 | 日記・エッセイ・コラム

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出雲朝廷を築き勢力を東に広げて行った天照大御神の兄弟でもある須佐之男命(すさのうのみこと)の子孫・大国主命(おおくにぬしのみこと)が作り上げた葦原中国(あしはらのなかつくに;出雲以東の国々)におもむき、15歳の時皇太子に即位した神日本(かんやまと)“磐余彦尊(いわれひこのみこと;後の神武天皇)”は兄の五瀬命(いつせのみこと)等を初めとする皇子達を集めて東征計画を練った・・・

彼が45歳の時船軍を率いて故郷・日向の国(現宮崎県)を船出した、豊の国(現大分県、豊後/豊前を経て、筑紫の国の宇佐の宮に留まりから東征を開始し、安芸の国(現広島県)を7年で・・・吉備の国(現岡山県)を8年で治めた、その後浪速の国を経て河内の国を進軍して生駒を超えて中津の国(現奈良県)に入ろうとしたとき、長髄彦(ながすねひこ)豪族の大軍に苦戦し一旦船に撤退し紀伊の国を経て熊野から上陸した・・・

衰退した東征軍を案じて天照大神は化身”幸運を導くヤタカラス”と“霊剣”を贈り熊野古道から中津の国へ入り再度、交戦して長髄彦を破って葦原中津の国の畿内(都)として畝傍(うねび)の地に“橿原の宮”を建立し大和王朝の礎(いしずえ)を築いた、そして紀元前660年1月1日(現在の新暦・グレゴリオ暦では2月11日)に初代神武天皇に即位しこの日を日本国の建国の日“紀元節”とした、天照大御神が治める高天原(たかまがはら)の天津神の国から→そこから天孫降臨(てんそんこうりん;天降り)した国津神ニニギの孫の神武天皇が治める都・大和王朝への東遷が完了したヽ(^。^)ノ

戦後紀元節は2月11日『建国記念日』として改められ日本国の建国を祝う大切な祝日となった☆☆(●^o^●)ばんざ~~い☆☆めでたしめでたし

今日2ヶ月ぶりに神崎郡へ抜ける高坂(こうさか)峠の近くに位置する多可郡奥荒田の山奥“松が井の水公園”まで出向き、播磨の名水十選のミネラルウオーターをたっぷり2か月分汲んで帰って来たが結構な雪が降り続きあたり一面真っ白に吹雪いていた、手はかじかみ汲み終るまで1時間“おしんの世界”を味わってきた・・・(-_-)zzz

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モニプラ「明日への遺言」企画~戦争とわたし 2008年2月9日

2008-02-10 03:49:53 | 日記・エッセイ・コラム

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先ほど藤田まこと扮する岡田資(たすく)中将が太平洋戦争末期1945(昭和20年)年3月12日名古屋無差別空襲に参戦し、撃墜され捕虜となった米軍パイロットを処刑した部下を守り抜き上官としての責任をかけてB級戦犯の法廷で戦い、戦争犯罪者として死刑の判決を受け彼の妻と家族に見守られ華々しく己の命を散らして行った3月1日公開感動の予告編を観た(・_・)

彼のように多くの帝国軍人達がA級(平和を脅かした被告)B級(戦争犯罪を先導命令した被告)C級(非人道的犯罪を犯した被告)戦争犯罪者として裁かれ刑に服した、1945年8月30日ダグラス・マッカーサ連合軍総司令官が厚木飛行場に降り立って以来戦勝国によってリストアップされた東条英機陸軍大将をはじめとする最終的には11万人にも及ぶ戦犯達が逮捕されて行った、米国・英国・ソ連・中華民国・フランス・オランダ・オーストラリア・ニュージランド・カナダ・インド・フィリピンの11カ国による“極東国際東京裁判”の軍事法廷が開かれた・・・

1946年5月3日より審議が始まり、各戦勝国から派遣された裁判官経験判事の多数決によって1948年5月3日より各戦犯対して判決が言い渡されていった、しかしその判決に至る過程に大きな不公平さの問題があった、日本側から提出された弁護資料は全て却下され、戦勝国から提出された検察の資料は伝聞だけの証拠不十分なものでも全て採用されていた、中華民国の判事は裁判官未経験判事であった、またソ連とフランス両判事はこの法廷での公用語“日本語と英語”に疎くほとんど理解皆無であったという人選不適格のお粗末なものであったといわれている・・・

日本無罪論を発表していたインド人法哲学の権威パール判事は1952年に来日して『日本を裁くならば連合軍も同等に裁かれるべである、連合軍を裁かないならば日本も裁かれるべきでない』とこの東京裁判の不公平性を世界に訴えた、1945年9月2日東京湾停泊の戦艦ミズーリ甲板上で日本全権大使として戦争犯罪人処罰を織り込んだポツダム宣言日本軍無条件降伏に調印した重光葵(しげみつまもる)外務大臣もA級戦犯として禁固7年の判決を受けてこの一連の動乱時代を日本の外交政治家としてその身を捧げた・・・

重光氏はのちに「私がモスクワで見た政治犯・軍事裁判と何ら違いのない民主刑であった」とこの東京裁判の公平性に欠ける実態を皮肉った・・・終戦眞近かに参戦して戦勝国に名乗り出て北方4島を我がもののように奪い取ったあのソ連を皮肉った・・・

1944年末から米軍に先導された連合軍は戦略爆撃機“B-29”の大編成を組んで北部九州を皮切りに東京→名古屋→大阪→神戸の主要都市から33もの地方都市の何十万もの及ぶ非交戦一般市民の命を奪った執拗な非人道無差別『日本本土大空襲』を1945年8月15日の終戦の日を迎えるまで毎日繰り返し繰り返し続けた!!

1945年3月26日から6月23に日にも及ぶ間米軍と日本軍の間で交わされた初めての地上戦と空爆によって当時内地人も含めて45万人の沖縄在民の1/4にあたる20万人もの御霊が露に消えた、その中には日本軍人による沖縄住民虐殺1000人と集団自決強要による犠牲者800人を含む許されぬ惨劇が起こっていたことを忘れてはならない・・・(T_T)アラス

原子爆弾核実験をするかのように29万人もの虫けらのように一般市民を被曝させ苦しめ今でも命を奪っていく1945年8月6日の広島原爆投下は・・・そして更に3日後8月9日の24万人もの非戦闘市民被爆を招いた長崎原爆投下の非人道的無差別爆撃の責任は誰が裁くのだろうか・・・ただパールハーバー攻撃のリベンジでは済まされないのではないのか・・・

排日運動激しきなりし時朝鮮慶州北道からほとんど無一文で命からがら引き揚げてきた小生の家族と伯父の家族が釜山⇔確か下関間に就航していた引き揚げ船“興安丸(7103トン、8000人収容可)で1945年6月頃ではなかっただろうか日本にたどり着いた、釜山港では甲板で従姉妹達と沈みかけた大型船を見詰めていた、間もなく当時4歳の小生は雑魚寝(ざこね)の船倉に降りて寝てしまったらしい・・・目覚めたのは神戸港からおやじの背中におんぶされ瓦礫(がれき)と化した神戸の街をJR神戸駅に向かっていた時だった・・・

郷里加古川の田舎に帰郷後も毎日のように『ゴォ~~~』とあのB-29の編成が頭上高く轟音を響かせ飛んでいく光景・・・八幡小学校の校庭に墜落した日本の小型戦闘機、村の中に放置された戦車・・・よく遊び場にしていた母里(もり)飛行場の滑走路と木造の管制塔・・・よく村のガキどもが潜り込んで遊んでいた真っ暗な村はずれ林の中にある防空壕・・・今でもハッキリ思い出される・・・

この「明日への遺言」に合わせて小生から今の若者に観てもらいたい映画がある、あの敗戦国日本が味わった屈辱を・・・日本のために耐えて耐えて戦った一人の日本人理髪店主が復員後、戦時中アメリカ兵捕虜を実際は怪我をさせただけだったにもかかわらず、殺害しようとしていたという冤罪でBC戦犯として死刑を言い渡され無念の死を遂げた悲劇を描いた・・・加藤哲太郎、手記原題「狂える戦犯死刑因の遺言」を映画化された1958年東宝製作フランキー堺主演『私は貝になりたい』を・・・2009年にはリメイク版が同じ東宝から公開される・・・

もう一度東京裁判の真実と戦争の愚かさと戦争犠牲者の悲痛な叫びに直面するために・・・

明日への遺言ブログキャンペーン実施中!!

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観光地ナポリのゴミ危機 2008年2月6日

2008-02-07 00:32:12 | 日記・エッセイ・コラム

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確かテレ朝スパモニだったと記憶しているが、あるナポリの高校の学生達が市庁舎に詰めかけ、学校敷地周辺に山積みされた放置ゴミから出る異臭で勉強できないと市長に抗議する映像が流れていた(・_・)

そうなんです函館、香港と並んであの世界3大夜景を誇る観光の街“ナポリ”が、サンタルチア湾岸の町“ソレント”を眺め、目の前にナポリの海が広がり眩(まばゆ)い太陽と温暖な気候、陽気なイタ公の街、「ナポリを観ないで死ねない」とまで言われる風向明媚な南イタリアの街ナポリが、2000年前古代ローマ時代スッポリ麓のポンペイの町を埋め尽くし、登山電車のコマーシャルソングになったナポリ民謡「フニクリ・フニクラ」の“ベスビオ火山(標高1281m)”が直ぐそこにそびえる街ナポリがゴミの山に埋もれそうになっているらしい(+o+)えらいこっちゃ

我が氷丘南混声コーラスでは来る3月16日に控える定期演奏会で歌われる曲目の中に含まれている、イタリアホームソングメドレー“サンタ・ルチア”、“帰れソレント”、“オーソレミオ”の男性コーラス3曲を猛特訓中なので他人事ではない・・・

観光スポットの集まる市の中心部ではゴミ回収はなされ危機的状況は見られないものの、一歩街を外れると車道という車道には不法投棄されたゴミの山に溢(あふ)れ交通を遮断し異臭が立ち込め市民生活を脅かしている、市内ではあちこちで一部住民が暴徒化しゴミ回収箱や車に放火するなどして警官隊と衝突するなどして大変な事態になることもあるらしい・・・

そもそもナポリのあるカンパニア州にはごみ焼却場がない、加古川市にはグボタの“スーパーファイア・システム”が採用された、1日2炉あたり460tごみ焼却能力があり、その熱量で火力発電所並の500℃にまで上げられた蒸気をタービンに送り込み12500kwの売電能力の発電システムが併設された二酸化炭素・ダイオキシンフリーの立派なゴミ焼却施設クリーンセンターがある、その隣には旧のゴミ焼却施設が用途に合わせて今でも稼動している・・・

G8の国々の中でもナポリのような人口300万人の大都市がゴミ焼却場を1炉も持たない国はイタリアだけだそうである、な~~んでか??イタリアでは以前から地下政治犯罪組織“シシリアマフィア”と行政機関との癒着が横行している、そのナポリ・バージョンが“カモッラ・マフィア”である、カモッラはナポリ当局に賄賂を払いごみ収集・ゴミ移送・埋め立て事業を請け負って麻薬や賭博などの他に大きな資金源にしている、もしゴミ焼却施設が出来れば彼等の収入源が半減してしまうことを恐れている・・・

ナポリには現在までに5箇所のゴミ埋め立て処理場があるが全て満杯状態になり閉鎖されたらしい、今後はこの積もり積もった10万トンにも及ぶゴミを新しく埋め立て場を造って埋めるか、19の他州のゴミ処分場に移送しなければならない、どうやらカモッラは当局とのその請負契約交渉に折り合いが付かずゴミ収集作業を中止してしまい今回一連のゴミ麻痺に至っているらしい・・・

激減するナポリへの観光客!!プロディ首相はこの事態を『イタリアの恥』と重く受け止めて、14ものゴミ焼却施設を有するミラノ市のような都市にゴミ受け入れ要請を行った、そしていくつかの州がその協力を受理したが、受け入れ側の州の一部議員達が受け入れ拒否に廻り、地域住民達が道路や港湾施設を封鎖したりして、ゴミ移送車輌やゴミ貨物船の締め出し行動に出て小競り合い投石などの暴動に広がろうとしている、またイタリア政府はドイツなど国外にもゴミ受け入れを要請しているとか・・・

一刻も早く高温度ごみ焼却炉を建設すればこの問題は解決するのだが地域の利権が絡んで上手く行かないのはどこの国でも同じようだが、イタリアの場合は行政当局とマフィアとの癒着をまず一掃しなければならないようだ・・・

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2008別府大分毎日マラソン 2008年2月3日

2008-02-04 00:46:59 | 日記・エッセイ・コラム

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氷丘公民館での氷丘南混声コーラスの練習が終わった頃には雨もスッカリ上がっていた、帰宅すると家内は昼飯食いながら別大マラソンを観ていた、小生も書斎に楽譜の入った鞄と譜面台を片付けて直ぐ食卓に着きノートにメモしながら新人の登竜門といわれる別大マラソン観戦に集中した・・・

2人のケニアペースメイカーの後ろに5人ほどのアフリカ勢が引っ張る先頭集団はすでに6.8キロ附近を17人ぐらいの大きな集団を作って進んでいた、もちろんその中には野田道胤(みちたね、カネボウ)と水口紀幸(大塚製薬)の招待選手の他、初マラソン組である藤田敦之の愛(まな)弟子太田貴之(富士通)と地元大分高校から旭化成に入社し4年目の足立知弥(22歳)も外国有力選手に混じってキロ3′04″ぐらいのハイペースで快調に飛ばしていた(・_・)

なんと旭化成のベテラン・小島宗幸が黄色いゼッケンを付けペースメーカとして第2集団を引っ張っていた、9キロ辺りアテネパラリンピック金メダリストの全盲ランナー・高橋勇市(IT Frontier)さんが2°27′台の自己ベスト更新を目指して伴走者と共に走る姿が画面に流れた、彼は北京パラリンピック出場をすでに決めているそうである、小生も一度鉄人ハリマオ主催の100kmマラソンにて5キロ毎で交代してロープランナーと呼ばれる全盲ランナーの伴走した経験したことがある、第1集団から2週間前母国ケニアの内戦で兄さんを亡くしたヤティチが遅れ始めた、10キロ手前今回の大会放送局“OBS大分放送局まえを通過して行く・・・

10kmを30′29″で通過する、5~10kmのラップが15′11″と依然とハイペースである、レースは苦しくなった復路でも渡る大分川に架る舞鶴橋にかかっていく、ハーフ1°03′23″の自己ベストを持つ初マラソン組のひとり一般参加ゼッケン101の足立知弥の母校の大分高校が画面に紹介される、ここの書道部は日本一8連覇中を続けているらしい、今回この後輩書道部部員達が足立のためにデッカ~~イ大団幕『足立先輩頑張って』を書き上げ、その大団幕を折り返し附近に掲げて応援するとのことである、足立にとって強い追い風になること間違いない・・・

気温は少し上がって8.3℃湿度60%となる風邪も比較的穏やかである、もう一人の大分出身、この正月箱根駅伝総合8位の帝京大のアンカーを走った田部貴之が“箱根を走って別大を走る夢”に向かって30位グループの先頭を走る姿が流れる、やがて新しく生まれ変わったシーサイドコース・別大国道に差し掛かかりランナーのすぐ右手に伊予灘の海が広がる・・・

10~15kmのラップを15′21″で刻んで通過して行く、16人の先頭集団の中に留まる徳島に拠点を置く大塚製薬の水口紀幸(28歳)は自己ベスト2°14′26″から1秒記録を伸ばすことが出来ず伸び悩んでいる、彼のお師匠さんは1999年9月ベルリンマラソンで2°06′57″という驚異的な当時の日本最高記録を打ち立てたあの犬伏孝行コーチである、水口もこの大会で大幅に自己新更新を狙っている、スタート時青空が広がっていた空は太陽がスッポリ厚い雲に覆われた田ノ浦の固定点を1Gが過ぎていく・・・

標高928m高崎山が迫る麓を過ぎ20km地点を1°01′16″で通過し別府市街地へ向かう、15~20kmを15′26″と少しペースが落ちてきたようだ、21キロ附近でムアンギ(JALグランドサービス)が転倒して遅れて行く、14人に少し振るい落とされた先頭Gが中間点を1°04′46″で通過して行く・・・別府市に入り別府緑丘高校から西鉄ライオンズに入団して14年間の現役の間に276勝、防御率1.98の素晴らしい成績で1993年殿堂入りした“神様仏様稲尾様”の稲尾和久氏は昨年11月23日に70歳で落成式を待たずに死去されたが稲尾記念野球場が右手に見えてきた・・・

もう一人のペースメイカー森政辰巳(中国電気)がトップから320m遅れ8位あたりの木庭啓(旭化成→ヱスビー食品)だけを引っ張っていた、転倒したムアンギが追いつき15人になったG1はかつては電波塔と呼ばれた別府タワーが見守る中、別府国際観光港前の折り返し地点に向かう・・・

25km地点を1°16′57″、20~25kmの5キロを15′40″と集団が自重しているのか更にペースが落ちる、“足立先輩頑ばれ”大団幕を掲げ大分高校の大応援団の声援をが飛び交う中1Gの足立が折り返していく、2人のペースメイカーが少しスパートをかけムタイを連れて前に飛び出すと集団は縦長にバラケ始める、足立と渡辺洋一(三菱重工長崎)も遅れまいと前に出る、27キロ附近太田と野田が少し遅れ気味になる、カビアが150mおくれ水口が200m遅れとなる・・・

足立と竹安(中電工)と渡辺がキスリ、ウエストコット、ムワンギの6人の2Gがペースメイカーと先頭を走るムタイを追っかける、30kmを1°32′21″で通過、25~30kmのラップが15′24″と上がっている、ここでペースメイカーがお役ごめんとなる、水口がずるずる置かれていき16位まで下がる、2°09′27″の自己ベストを持つムタイが2Gを200m差をあけ独走態勢を固めていく、キスリ(モロッコ)が少し遅れ気味になって32kmを過ぎていく・・・

この日並行して開催された別大ウォークの参加者達が沿道に立ち応援に廻る、水口が完全に失速してリタイアが時間の問題となる、野田も立ち止まり屈伸してまた走り始める、ぐんぐんペースを上げてきた木庭が34キロ附近で野口をかわし前を追う、35kmを1°48′10″で通過した2Gから渡辺とムワンギが脱落していく、安川電機のキャプテン坂本友和が粘って10位ぐいまで上がってくる・・・

あっ!ムタイの足取りがふらつきおかしくなった、ケニアの内乱で都市部での練習が出来なくなり練習不足がたたったか??ムタイと2Gに200mあった差が少しずつ詰まっていく、するとすかさず余力を温存していた足立が単独2位に躍り出てムタイに迫っていく、あと5キロ附近で昨年5000と10000mの自己ベストを更新した竹安が2Gから離脱して行く・・・

36キロを過ぎて太田の脚が停まり初マラソンの地獄を観ることになった、トップのムタイのペースがキロ3′30″と更に落ちていく、あと4キロ足立がムタイに100m差まで迫る、38キロ過ぎあたりで足立がムタイに並び39キロでムタイはたまらず失速してズルズル後に下がっていく、ムタイをかわしウエストコット(オーストラリア)が2位に、一旦遅れたキスリが息を吹き返しムタイを追い抜いて3位に上がって来た・・・

キスリはウエストコットをも捉えて2位に上がる、大分市営陸上競技場が見えてきた、足立は舞鶴橋を渡りきり左折してあとゴールまで700mの大分川沿いを競技場に向かって歩を進める、足立から300m遅れてキスリが舞鶴橋を左折してやって来た、日本マラソン界の“光る星”の誕生が真近かになってきた、足立は右折して取り付け道へ進みスタジアムに入りトラックの人となる・・・

第4コーナーを廻りバックストレートをスパークして素晴らしいスプリントだ、2°11′58″でゴール☆☆待ちに待った男子マラソン界のニューヒーローの誕生である☆☆地元大分で初マラソン初優勝に輝いた☆☆2位キスリが1°08″差2°13′07″でゴールする☆月桂樹を頂きインタビューに答える足立は謙虚だった、『勝てると思っていなかった、無心で走ったレースだった、30kmペースメイカーがいなくなって自分を抑えて慎重にレースを進めた、初マラソンに勝てたのは運がよかっただけで2度目のマラソンに向けて更に練習を積んで行きたい☆』と立派な受け答えのあと『応援に来てくれてありがとうございました』応援に駆けつけてくれていたスタンドの家族に手を振った(@^^)/~~~

3位にウエストコットが→4位に竹安が→5位にムワンギが→6位に渡辺が→野田が終盤粘って7位でゴールした、8位に後半追い上げた木庭が→9位で坂本が続いてゴールする・・・垂れた2本の鼻水を拭い取る気力も失ったムタイは何処かに消えてしまった・・・今回の大会は足立知弥という男子マラソン界の新星が誕生した実りあるものに終わった、また旭化成の復活に繋がればと願うのは宗猛監督だけでなく小生を含む多くの旭化成ファンも感じただろうヽ(^。^)ノばんざ~~~い

日本には古くから天照大神の弟スサノウの命(みこと)のお妃(きさき)であるとされる福徳の女神“歳徳神(としとくじん)”がおわします方位“恵方”の方角に向かって万ごとをなせば吉を呼ぶとされている慣わしがある、関西では2000年ごろから立春(2月4日)の前日節分の日(2月3日)に恵方に向かって太巻きづしを丸かじりする習慣が根付いたとされている、

ちなみに恵方は西暦の1の位の数字によって方角が決まる、今年は200‘8’年ということで1・3・6・8の丙(へい)の方と相成り165度の方角“南南東”となるらしい、我が家の夕食はもちろん恵方巻きこと太巻きを南南東向いて食した(^^ゞ・・・

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