Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

2008別府大分毎日マラソン 2008年2月3日

2008-02-04 00:46:59 | 日記・エッセイ・コラム

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『この食事に逢えて健康ライフをゲッツ☆☆』  

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氷丘公民館での氷丘南混声コーラスの練習が終わった頃には雨もスッカリ上がっていた、帰宅すると家内は昼飯食いながら別大マラソンを観ていた、小生も書斎に楽譜の入った鞄と譜面台を片付けて直ぐ食卓に着きノートにメモしながら新人の登竜門といわれる別大マラソン観戦に集中した・・・

2人のケニアペースメイカーの後ろに5人ほどのアフリカ勢が引っ張る先頭集団はすでに6.8キロ附近を17人ぐらいの大きな集団を作って進んでいた、もちろんその中には野田道胤(みちたね、カネボウ)と水口紀幸(大塚製薬)の招待選手の他、初マラソン組である藤田敦之の愛(まな)弟子太田貴之(富士通)と地元大分高校から旭化成に入社し4年目の足立知弥(22歳)も外国有力選手に混じってキロ3′04″ぐらいのハイペースで快調に飛ばしていた(・_・)

なんと旭化成のベテラン・小島宗幸が黄色いゼッケンを付けペースメーカとして第2集団を引っ張っていた、9キロ辺りアテネパラリンピック金メダリストの全盲ランナー・高橋勇市(IT Frontier)さんが2°27′台の自己ベスト更新を目指して伴走者と共に走る姿が画面に流れた、彼は北京パラリンピック出場をすでに決めているそうである、小生も一度鉄人ハリマオ主催の100kmマラソンにて5キロ毎で交代してロープランナーと呼ばれる全盲ランナーの伴走した経験したことがある、第1集団から2週間前母国ケニアの内戦で兄さんを亡くしたヤティチが遅れ始めた、10キロ手前今回の大会放送局“OBS大分放送局まえを通過して行く・・・

10kmを30′29″で通過する、5~10kmのラップが15′11″と依然とハイペースである、レースは苦しくなった復路でも渡る大分川に架る舞鶴橋にかかっていく、ハーフ1°03′23″の自己ベストを持つ初マラソン組のひとり一般参加ゼッケン101の足立知弥の母校の大分高校が画面に紹介される、ここの書道部は日本一8連覇中を続けているらしい、今回この後輩書道部部員達が足立のためにデッカ~~イ大団幕『足立先輩頑張って』を書き上げ、その大団幕を折り返し附近に掲げて応援するとのことである、足立にとって強い追い風になること間違いない・・・

気温は少し上がって8.3℃湿度60%となる風邪も比較的穏やかである、もう一人の大分出身、この正月箱根駅伝総合8位の帝京大のアンカーを走った田部貴之が“箱根を走って別大を走る夢”に向かって30位グループの先頭を走る姿が流れる、やがて新しく生まれ変わったシーサイドコース・別大国道に差し掛かかりランナーのすぐ右手に伊予灘の海が広がる・・・

10~15kmのラップを15′21″で刻んで通過して行く、16人の先頭集団の中に留まる徳島に拠点を置く大塚製薬の水口紀幸(28歳)は自己ベスト2°14′26″から1秒記録を伸ばすことが出来ず伸び悩んでいる、彼のお師匠さんは1999年9月ベルリンマラソンで2°06′57″という驚異的な当時の日本最高記録を打ち立てたあの犬伏孝行コーチである、水口もこの大会で大幅に自己新更新を狙っている、スタート時青空が広がっていた空は太陽がスッポリ厚い雲に覆われた田ノ浦の固定点を1Gが過ぎていく・・・

標高928m高崎山が迫る麓を過ぎ20km地点を1°01′16″で通過し別府市街地へ向かう、15~20kmを15′26″と少しペースが落ちてきたようだ、21キロ附近でムアンギ(JALグランドサービス)が転倒して遅れて行く、14人に少し振るい落とされた先頭Gが中間点を1°04′46″で通過して行く・・・別府市に入り別府緑丘高校から西鉄ライオンズに入団して14年間の現役の間に276勝、防御率1.98の素晴らしい成績で1993年殿堂入りした“神様仏様稲尾様”の稲尾和久氏は昨年11月23日に70歳で落成式を待たずに死去されたが稲尾記念野球場が右手に見えてきた・・・

もう一人のペースメイカー森政辰巳(中国電気)がトップから320m遅れ8位あたりの木庭啓(旭化成→ヱスビー食品)だけを引っ張っていた、転倒したムアンギが追いつき15人になったG1はかつては電波塔と呼ばれた別府タワーが見守る中、別府国際観光港前の折り返し地点に向かう・・・

25km地点を1°16′57″、20~25kmの5キロを15′40″と集団が自重しているのか更にペースが落ちる、“足立先輩頑ばれ”大団幕を掲げ大分高校の大応援団の声援をが飛び交う中1Gの足立が折り返していく、2人のペースメイカーが少しスパートをかけムタイを連れて前に飛び出すと集団は縦長にバラケ始める、足立と渡辺洋一(三菱重工長崎)も遅れまいと前に出る、27キロ附近太田と野田が少し遅れ気味になる、カビアが150mおくれ水口が200m遅れとなる・・・

足立と竹安(中電工)と渡辺がキスリ、ウエストコット、ムワンギの6人の2Gがペースメイカーと先頭を走るムタイを追っかける、30kmを1°32′21″で通過、25~30kmのラップが15′24″と上がっている、ここでペースメイカーがお役ごめんとなる、水口がずるずる置かれていき16位まで下がる、2°09′27″の自己ベストを持つムタイが2Gを200m差をあけ独走態勢を固めていく、キスリ(モロッコ)が少し遅れ気味になって32kmを過ぎていく・・・

この日並行して開催された別大ウォークの参加者達が沿道に立ち応援に廻る、水口が完全に失速してリタイアが時間の問題となる、野田も立ち止まり屈伸してまた走り始める、ぐんぐんペースを上げてきた木庭が34キロ附近で野口をかわし前を追う、35kmを1°48′10″で通過した2Gから渡辺とムワンギが脱落していく、安川電機のキャプテン坂本友和が粘って10位ぐいまで上がってくる・・・

あっ!ムタイの足取りがふらつきおかしくなった、ケニアの内乱で都市部での練習が出来なくなり練習不足がたたったか??ムタイと2Gに200mあった差が少しずつ詰まっていく、するとすかさず余力を温存していた足立が単独2位に躍り出てムタイに迫っていく、あと5キロ附近で昨年5000と10000mの自己ベストを更新した竹安が2Gから離脱して行く・・・

36キロを過ぎて太田の脚が停まり初マラソンの地獄を観ることになった、トップのムタイのペースがキロ3′30″と更に落ちていく、あと4キロ足立がムタイに100m差まで迫る、38キロ過ぎあたりで足立がムタイに並び39キロでムタイはたまらず失速してズルズル後に下がっていく、ムタイをかわしウエストコット(オーストラリア)が2位に、一旦遅れたキスリが息を吹き返しムタイを追い抜いて3位に上がって来た・・・

キスリはウエストコットをも捉えて2位に上がる、大分市営陸上競技場が見えてきた、足立は舞鶴橋を渡りきり左折してあとゴールまで700mの大分川沿いを競技場に向かって歩を進める、足立から300m遅れてキスリが舞鶴橋を左折してやって来た、日本マラソン界の“光る星”の誕生が真近かになってきた、足立は右折して取り付け道へ進みスタジアムに入りトラックの人となる・・・

第4コーナーを廻りバックストレートをスパークして素晴らしいスプリントだ、2°11′58″でゴール☆☆待ちに待った男子マラソン界のニューヒーローの誕生である☆☆地元大分で初マラソン初優勝に輝いた☆☆2位キスリが1°08″差2°13′07″でゴールする☆月桂樹を頂きインタビューに答える足立は謙虚だった、『勝てると思っていなかった、無心で走ったレースだった、30kmペースメイカーがいなくなって自分を抑えて慎重にレースを進めた、初マラソンに勝てたのは運がよかっただけで2度目のマラソンに向けて更に練習を積んで行きたい☆』と立派な受け答えのあと『応援に来てくれてありがとうございました』応援に駆けつけてくれていたスタンドの家族に手を振った(@^^)/~~~

3位にウエストコットが→4位に竹安が→5位にムワンギが→6位に渡辺が→野田が終盤粘って7位でゴールした、8位に後半追い上げた木庭が→9位で坂本が続いてゴールする・・・垂れた2本の鼻水を拭い取る気力も失ったムタイは何処かに消えてしまった・・・今回の大会は足立知弥という男子マラソン界の新星が誕生した実りあるものに終わった、また旭化成の復活に繋がればと願うのは宗猛監督だけでなく小生を含む多くの旭化成ファンも感じただろうヽ(^。^)ノばんざ~~~い

日本には古くから天照大神の弟スサノウの命(みこと)のお妃(きさき)であるとされる福徳の女神“歳徳神(としとくじん)”がおわします方位“恵方”の方角に向かって万ごとをなせば吉を呼ぶとされている慣わしがある、関西では2000年ごろから立春(2月4日)の前日節分の日(2月3日)に恵方に向かって太巻きづしを丸かじりする習慣が根付いたとされている、

ちなみに恵方は西暦の1の位の数字によって方角が決まる、今年は200‘8’年ということで1・3・6・8の丙(へい)の方と相成り165度の方角“南南東”となるらしい、我が家の夕食はもちろん恵方巻きこと太巻きを南南東向いて食した(^^ゞ・・・

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