Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

接戦を征したのはどっち? 2014年6月29日

2014-06-29 15:50:54 | 日記・エッセイ・コラム

東尾理子バナー

インフォアブソ

小生、広島vsDeNA戦のNHKテレビ中継を忘れてYouTubeでDarlene ZschechとThe Gospel Train バンドの“Revealing Jesus 3 ”に陶酔していた!慌ててチャネル・オンするとイニングは7回表に入っていて、広島が4-5でリードされていた!何と野村が5回までに5失点して降板していた!ソーサーを継いだ林から会沢が二遊間を破るヒット性の当たりを放ったが、好捕されて1アウト、天谷の代打、堂林がフォークで空振りの三振に倒れて2アウト、菊池も空振りの三振に倒れ3アウトとなった!7回裏、広島も久本から今村にスイッチしてDeNAの攻撃を無得点に抑えた!・・・

8回表、あっ!代わったばかりの万谷から丸が右中間にソロを放ち!広島が5-5の同点に追いついた!エルドレッドとロサリオが凡退したあと田中がセカンドの右を破るヒットで出たが、梵がショートゴロに倒れ3アウト、8回裏、中田がマウンドに上がった、中東がレフトに入った、グリエルを歩かしたが後続を凡退させ、広島9回表の勝ち越しのチャンスに挑む!あっ!抑えの三上を捉え会沢の打球がグングン伸び左中間スタンドに飛び込んだ!広島が6-5で勝ち越した!次の堂林も復帰初安打となる2塁打を放った!菊池のセンターへのタイムリーで堂林が帰り広島のリードが7-5となった!・・・

更に丸もレフト線へ2塁打し猛打爆発だ!1アウトから、エルドレッドが敬遠され満塁となった、代打率3割の木村が見逃しの三振に、田中もセカンドゴロに倒れ3アウトとなった、9回裏、ここまで12セーブのミコライオが登板した、梶谷を空振りの三振に、代打・金城をショートゴロに、黒羽根をショートゴロに仕留めてゲームセット!広島が7-5でDeNAを破り、このカード2勝1敗に終えた!中田が4勝目を挙げ、ミコライオに13セーブ目が着いた!今日のヒーローは9回表に勝ち越しのソロを打った会沢だった!7月1日から広島は首位を行く巨人をズムスタに迎えて3連戦を戦う!Keet it up・・・

まんてん丸

第26話軍師官兵衛で“長政初陣”となった、元服して松壽から長政に名を改めた黒田長政は秀吉の毛利攻めに、父・官兵衛とともに加わった、『長政、武運を祈っています、思う存分戦ってくるがよい!』と身重の光は我が子を送り出した、秀吉の2万の大軍が備中と備前の国境の岡山城と沼城に分かれて入った、一足先に秀吉の養子・秀勝(信長の四男)が毛利攻めの初陣を済ませた、そのあと、小六とともに官兵衛は、毛利の国境を守るための拠点、備後・高松城に入り、城主・清水宗治に会い交渉の場を持った、「お主が織田方に着くならば、そなたは備中と備後の国主として向かい入れられる!」と上様からの書状を差し出した、しかし宗治はそれを引き裂いて辞退した!・・・

羽柴軍の強さを知る宗治は毛利のために捨て石となって、城を枕に討ち死にする覚悟は出来ていた!裏切りで得た二か国など、また裏切りによって失いましょう!と宗治の考えは一途であった!岡山城には松寿の剣術の友、寅之助改め加藤清正も、市松改め福島正則も秀吉の軍に加わっておった、長政は目付けの太兵衛に二人を紹介した、久しぶりに三人は槍の稽古にひと汗流した!一方、6万の織田軍が東に進軍し、甲斐の名門、武田氏を滅ぼした!諏訪の法華寺にある信長の本陣では、会議が開かれ、徳川家康には駿河が、河尻秀隆と穴山梅雪には甲斐の国が分かち与えられた!滝川には上野(こうずけ)一国と信濃二郡が与えられた、滝川は茶器“珠光の小茄子”を要求したが却下された、嫡男・信忠は諏訪に残って後始末を任された!・・・

信長の上洛を邪魔し15年間も信長に刃向かってきた六角義弼(ろっかく よしすけ)が、武田氏の菩提寺”恵林寺”に身を寄せていたところを捕らえられ、信長は首をはねよ ! と命じた、天正10年(1582)4月3日、朝廷に仏法を教える国師を務めてきた快川紹喜(かいせん じょうき)和尚が150人の僧侶とともに山門の2階に閉じ込められ、「心頭滅却すれば火も自ら涼し!」と唱えながら寺ごと焼き払われた!和尚から学問を教わった旧知の中にある光秀が異を唱えたが、信長は聞き入れなかった!信長という人物は何と罪深い悪人だろうか!このことは光秀と、関白・九条兼高と公家・吉田兼和を始めとする朝廷の強い怒りを買うことになった!・・・

利尻ヘアカラートリートメント

長政が秀吉の指示に従い岡山城に入った、そこには毛利攻めと言う戦の臭いがしていた、目付役の太兵衛にはプンプン匂っておった!その頃、官兵衛等は再度、高松城に宗治を訪れ、勝ち目のない無益な戦を避けるよう勧めた、「今が正に某(それがし)の命を使う時で御座います!毛利家のご恩に報いるためには、ただ死あるのみ!」、二つに裂いた織田の書状は小早川のもとに届けられていた!「それほどまでに毛利と我らは一体なのだ!官兵衛どの、次は戦場でお会いいたそう!」・・・

足守川を辿り官兵衛等は葦の茂みに覆われる沼ばかりの高松城の周辺を調べた!城に通ずるは一本道のみ!湿原の中にたたずむ高松城攻めの戦略を立てていった!その戦略はただ一つ!水攻めに行き着いた!まだ援軍を出そうともしない毛利の、あの狸坊主・安国寺も高松攻めをかぎつけ、和睦も考えてやって来た!一方、高松城周辺の7つの城のうち、日幡城主と加茂城主が官兵衛の誘いに応じてきた!冠山城から宮路山城へと周りから潰していき高松城を孤立させていく戦略を秀吉は承諾した!いよいよ長政本気の初陣が近づいて来た!・・・

姫路城の職隆と光、お福、お道、おゆうのもとに、お味方様出陣と長政初陣の知らせが入った!冠山城の戦いが長政の初陣となった!命を粗末にしてはならぬ!血気に走る長政は兜(かぶと)首を挙げたが、まだまだ危なっかしい!そんな時、安国寺恵瓊(えけい)に呼ばれた官兵衛に、毛利と羽柴が組んで天下を取らぬかと誘いがあった、しかし『村重をもそのようにたぶらかしたか?』と官兵衛はきっぱり断り!戦(いくさ)あるのみ!と恵瓊に伝えて追い返した!・・・

官兵衛と善助と九郎右衛門らは高松城周辺の精密なジオラマを作り上げた!秀吉らも加わり城周辺から水が逃げぬよう堤を作くり、川の流れを変え上流から水を城周辺に集めて水没させると言う“水攻め”一本の策が決まった!その頃、姫路で待つ光に男児第2子が誕生した!黒田家に14年目に生まれたその男児に熊乃助と名づけられた!雨が降ってきて高松城水攻めの普請工事が着々と出来上がって行った!(-_-)zzz・・・

サラヴィオ_抜け毛

ホワイティシモ

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