2012年11月23日金曜日祝日の本番まで4日前となった、初音ミクとオーケストラとの初めての音合わせがあった、システムの開発に携わってきたのは、ことぶき光氏がまとめる15人のエンジニア達だった、徹夜の作業が続けられ、この日の朝まで調整に追われていた、冨田さんも客席で立ち会った、『さあ、今日はオケと一緒でどうなるか?でも、いいよな、本人の初音ミクは上がるってことないから!』、ここまで漕ぎつけた富田さんの顔には余裕の笑みがこぼれていた!・・・
指揮者・大友直人氏の直ぐ前にキーボード奏者の篠田元一さんが陣取り、第3楽章“注文の多い料理店”の演奏が始まり、やがて、うしろのスクリーンに初音ミクが現われ、か細い声で歌い始めた、最初、ミクの声のボリュームが小さく、オケとボリュームのバランスが取れてなかったが、それはミクのボリュームを上げさえすれば問題にはならなかった、そしてミクのテンポが大きく変わる箇所にきた!・・・
「リタルダンド(テンポを遅くする)します!」と指揮者・大友氏が右手を差し出してキーボード奏者の篠田さんに指示した!すると、ミクのテンポが急激に遅くなり、オケとの呼吸がピッタリ合った!予想以上の出来だ!やった~~!『世界初だ!素晴らしい!こんなに合うとは思っていなかったです!もうちょっとバタバタするかと思ったが、ちゃんと合いました!』、きっと冨田さんは心の中でガッツポーズしていただろう!・・・
完璧なオケとミクとの音合わせが終わり、富田さんはキーボード奏者の篠田さんのもとに駆け寄りお礼を言った、『ありがとうございます!思わず手を叩いちゃったよ!本当にあなた達の徹夜の汗の結晶だった!ありがとう!』、「いやいやいや~~~!」ここまで脂汗かきながらやって来た篠田元一さんも照れ笑いをしながら、嬉しさがいっぱいほとばしり満足気だった!・・・
そして前回紹介したように、指揮者に合わせてミクのテンポが変化していく第3楽章“注文の多い料理店”の緊張の本番である最大の見せ場を無事乗り越えることが出来たのであった!そのまま第3楽章の演奏は進んでいき、ミクが、♪ あ~~~ぶらか、あぶらか、あぶら~~か!♪ と踊っていくと、♪ きゃぁ~~~!♪ 突然ティパニーと管弦楽器が鳴り響き曲調が急変した!そして交響曲はそのあと、ゆっくりと第4楽章“風の又三郎”へ入って行った!・・・
ごうごうごうごう~~~と混声コーラスが湧き起こった!う~~~!う~~~!♪ どんどこどこどこ、どんどこどこ・・・ ♪ とミクがあたりを見渡しながら歌う・・・
― 風の又三郎 ― 風の強い日にやって来た不思議な転校生、あだ名は風の又三郎、ある時、子どもたちは、みんなで又三郎をからかう、すると村には台風が来て、転校生は他の町へ去ってしまう!・・・ 冨田はここで、初音ミクに風の又三郎を演じさせたのだった!・・・
冨田さんがこの交響曲の作曲にあたって一番大切にしていたことはと言えば、少年時代に宮沢賢治の物語から感じた印象をそのまま音楽にすることだった、この日、冨田さんは曲に込めた思いを合唱に参加する“シンフォニーヒルズ少年少女合唱団”の子供達に伝えるために、その練習会場にやって来ていた、まず富田さんは子供達が歌う歌声を聴いてていた、小学校3年生の時に冨田さんは映画“風の又三郎”を観て、強い衝撃を受けた歌だった!・・・
子供達の歌声を聴き終わって『いいじゃないですか!非常に素晴らしい!』と褒めた、でも、この風の又三郎の第4楽章は、テンポをやっぱり、もう少し遅くして、ちょっと重くしたほうがいい!と注文をつけた、♪ どっどど、どど~~ど、どっどど、どど~~~ど!どど~~どどっど!・・・♪ の部分は何か遠くから、こう怖いものが近づいてくるものを伝えて欲しい!・・・
冨田さんは小学校3年生の昭和15年頃を思い出して語り始めた、『その頃はね、日本は世界と戦争をするという噂が段々広まってきて、丁度その頃に風の又三郎を観た、どっどど~~~と聴いた時、なんとも言えない怖さが印象に残っている!』と子供達に伝えた、冨田さんは愛知県岡崎市で少年時代を過ごした、9歳の時、太平洋戦争が開戦した、その戦争によって次々と命が失われ、米軍による無差別空爆に脅(おび)える日々を体験していた!・・・
更に終戦間際1945年1月には愛知県南西部を直下型の“三河大地震”が襲い!2000人以上が犠牲になった!しかし戦時下の報道管制のため、その被害は伝えられず、助けはほとんど来ず三河は見捨てられた!冨田さんは亡くなっていく人の姿をただ観ているしかなかった!救援物資は恐らくゼロであった!おまけに冬だから多くの負傷者は凍え死ぬしかなかった!そこへ持ってきて、岡崎、名古屋、豊橋は空襲で壊滅した!・・・
そうゆう暗い恐怖を体験している富田さんに希望の光を与えてくれたのが、宮沢賢治の“銀河鉄道の夜”だった、主人公のジバンニと親友のカンパネルラが銀河鉄道に乗って、宇宙を旅する幻想的な物語だった!ある日、冨田さんは“銀河鉄道の夜"ゆかりの地、岩手遠野市にある“めがね橋”を訪れていた、物語に描かれたキラキラと輝く宇宙は、重苦しい時代に読んだからこそ、賢治の物語には“強烈な光”があった!・・・
当時、冨田さんにとって蒸気機関車が唯一遠くまで連れて行ってくれるものだった!『それはレールが延びていく先が宇宙だろうが、地球だろうが、関係ないからね、やっぱり似たように、遠くの世界へ連れて行ってくれることには変わりなかった!それに対する思いというか、夢みたいものは小さい頃から持っていた!』と言う、強く印象に残ったのは、銀河鉄道がサウザンクロス“南十字星”に差し掛かる場面だった!・・・
亡くなった人達が列車を降り、祈りの歌と共に天国へ登っていく!ハレルヤ!『そこで、あれは死者を運ぶ列車だと言うことが分った!賛美歌を歌いながら皆んな上がって来るのが印象に残っていた!』と冨田さんは思い出す、なんと、銀河鉄道の夜を読んでから70年が経つ今になっても、冨田さんはそのことを忘れていなかった!・・・