Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

NHK・Eテレ特集“イーハトーヴ交響曲”~その2☆ 2013年2月8日

2013-02-08 10:12:09 | 日記・エッセイ・コラム

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躍動感に溢れた冨田勲の音楽はどのように生まれたのだろうか?・・・2012年の夏、冨田さんは長野・軽井沢の別荘にこもっていた、その時、イーハトーヴ交響曲という作品の構想を練り始めて1年が過ぎていた、その間、頭の中で作品のイメージを膨らませてきた、そして遂に全体の構想が固まり、ここで、その1音1音を丁寧に楽譜に書き留めていた、冨田氏はいつもオーケストラの譜面を手書きに認(したた)めて行くことにこだわっていた!?・・・

何でだろう?楽器一つ一つの音がそれぞれの位置で頭に入ってしまっているらしい?しかしその再現はハードで、「80歳になる年寄りがする仕事ではない!」と冨田さんはぼやいていた、そらそうだろう、7楽章もあるんだもん、机の棚には空(から)のスコア・シート(五線譜)が山積みされていた、幅1mmの五線譜の間隔は冨田さんの老眼には厳しかった!机の上には3,4種類ほどの老眼鏡が置かれていた!思わず「こういう仕事は、もうちょっと、恐らくこれが最後になるでしょう!」と彼の口から漏れた!・・・

80歳と言う高齢で挑む交響曲だが、冨田さんはこの人生の節目に敢(あえ)て宮沢賢治(1896~1933年)の世界を描こうと挑戦したのである、冨田さんが賢治の作品と出逢ったのは少年時代だった、“銀河鉄道の夜”や“注文の多い料理店”など幻想的な物語に強く魅(ひ)かれていた、賢治の宇宙と呼ばれる、その不思議な世界を音楽で表現することが、冨田さんの子供の頃からの夢であった!・・・

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「人間誰しも若い頃の記憶は、ずっう~~と残っているものでしょう!その若い頃に、宮沢賢治を読んだことが僕の蓄積になっていると思いますね!とにかく、ずぅ~~っと60年間以上も、かなり拘(こだわ)り続けてきたんで、やっぱりここで、そのこだわりを曲に仕上げてみたいと言う気持ちに強くなったんですよねぇ!でも、あれは何度も読みかえしても、現実から離れた宇宙である、なんか四次元のとんでもない世界へ、自分が持っていかれそうになった!」と冨田さん振り替える・・・

「どうしたら賢治の宇宙が持つ異次元の世界が表現できるのか!?」と冨田さんは悩み続けていた、そんな時、偶然テレビで観付けたのが、あの“初音ミク”であった!2012年8月27日の“イーハトーヴ交響曲”記者発表会の席でそのことを発表した、「今回のイーハトーヴなんですが、この宮沢賢治の作品を表現するには、何かエターテナーが絶対欲しいなと思っていたんです、それで誰に歌わせたらいいか?というと、これはね初音ミクさん以外いないんですね!」・・・

冨田さんはなおも続ける、「要するに、パソコンの中にしか居られない初音ミクのミクロの世界!初音ミクこそが賢治の異次元から来た人間と置き換えたようなものじゃないか!?との結論に行き着いた!」と冨田さんは明かした、初音ミクの不思議な存在感が冨田さんの心を掴んだのであった!インターネットの動画サイトで圧倒的な人気を集めている“歌うCGキャラクター~初音ミク!”、その正体は人工的に合成された歌声で歌うパソコン・ソフトだった!歌詞とメロディーを入力すれば誰でも簡単に歌わせることが出来るのである!・・・

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こうして一般の人が創った歌がインターネット上に公開され、中にはSEGAのCrypton Future Media .Inc. などがCD化したものも登場して、爆発的な人気を集めている、更には等身大のCGキャラクターをビームライト飛び交うスクリーンに映し出して、その歌声に合わせてバンドが演奏する熱気ムンムンでワイルドなライブ・コンサートまで行なわれている!そこに存在するかのように見えるのに実体はないバァーチャル・アイドル、それが初音ミクである!・・・

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80歳の冨田さんは年甲斐も無く、後楽園で行なわれた初音ミクのライブ・コンサートに押しかけた、それ以来、冨田さんはスッカリ、初音ミクの虜になっていった!賢治の宇宙を表現するには初音ミクが欠かせないと確信した冨田さんは、ミクを開発した会社“クリプトン・フューチャー・メディア”に出演を依頼した!そこは北海道札幌市にある、主にパソコンで音楽を製作するソフトの開発を手がける会社であった、初音ミクとオーケストラとのコラボなんぞはこれまで考えたことも無い新しい試みであった!・・・

「非常にありがたい話であったが、無理ではないだろうが、かなり難しい話ではあったのではなかろうか?」とクリプトン・フューチャー・メディア代表の伊藤博之氏はその時の印象を語った、「しかし、もし、それを実現することが出来たならば、電子音楽を含めた今後の音楽界の歴史の上で画期的出来事になるのではないか!?」と閃(ひらめ)き、伊藤代表は冨田さんの要望を承諾したと語ってくれた!・・・

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初音ミクの起用が決まると、冨田さんは早速、アシスタント漢那拓也氏の助けを借りて、尚美学園にある冨田勲 音響研究室で、ミクのために歌詞と作曲づくりに取り掛かった、♪ あたしは初音ミク、かりそめのボディ ♪ 、“かりそめ”と言う言葉を使ってミクの存在の怪しさを表現した、二十歳で作曲家デビューしてから60年、いつも新しい音の世界を切り開いてきた富田さんだった、ラジオやテレビの創世記にテーマ音楽を作曲し、“きょうの料理のテーマ(1957年)”など名曲を次々と世に送り出してきた!・・・

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そんな冨田さんに転機が訪れたのは37歳の時、当時最新の電子楽器“R.A.MOOG 911”のシンセサイザーに出逢った、これは音を1から合成し、新しい音色を生み出すことが出来る夢の楽器であった!この楽器を使ってDebussyの革命的なアルバム“月の光(Snowflakes are Dancing )”を1974年に発表した!誰もが知る名曲を誰も聴いたことのない音で描き出す新しい音楽芸術“トミタ・サウンド”を生み出すに至った!これがアメリカ・ビルボードのクラシック・チャートで、日本人として初めて1位を獲得した!・・・

そして、この作品は日本の作曲家にも大きな衝撃を与えた!その一人、この度の大河ドラマ『平清盛』を作曲した吉松隆氏もその一人であった、「冨田さんがその時代を切り開いて音楽界の歴史を作った、シンセサイザーを使ってエレクトニックスの音楽を世界に広めたパイオニアである、全く新しい最初に造ったものは、弾けるか弾けないかも分んないし、世の中に通用するか通用しないかも分らない、富田さんにとって相当な冒険だったに違いない!」と吉松氏は冨田さんを賞賛した!・・・

冨田さんは今も“モーグ・シンセサイザー”を大切に保管していた、電子音楽のパイオニアとして世界に認められた冨田さんには、当時シンセサイザーを使ってどうしても実現させたかったことがあった、それはシンセサイザーを上手く操って、人の音声を喋らしたかったという!当時は“バ行”の音しか出来なかったことが心残りになっていた、シンセサイザーに喋らすことは難しい!でも今回、初音ミクがこれに代わって歌ってくれることとなってくれて嬉しい!と話す冨田さんの顔には満足感が溢れる微笑みが満ちていた!・・・

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