Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

太子岩を捜し求めて加古川大堰記念公園界隈を巡る 2011年11月4日

2011-11-04 11:26:04 | 日記・エッセイ・コラム

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ここ加古川では11月に入っても25℃を越える夏日が続いている、いつまでこの異常気象はつづくのだろうか?家内が10月17日に加古川医療センターに入院してから早、18日目を迎えた、それ以来、小生、炊事洗濯家事に、そして郷土研究?に大奮闘する日々を送ってきている、炊事洗濯もスッカリ板につき主婦気取りである、今ではリュックを背負って歩いて病院に行くようになった・・・

最初は病院帰りに石守のマックスバリューに寄って、お惣菜ものを買ったり、野菜をどっさり買って炒めもの作ったりしていたが、そんな慣れない事をしても、大量に野菜の入れすぎになり、焦げかけたらミルクぶっ掛けたり、ワインをぶっ掛け蓋をして蒸し煮にする、何時もぐちやぐちゃの煮込み料理になってしまうのが落ちである、息子等に勧めても『ええわ!』が返って来るだけ、味はいいのだが見た目が悪いだけ!今では慣れない料理などめんどくさいことをしなくても、食事を充分美味しく食べるこつを覚えた☆・・・

ご飯は小生と長男、次男の3人分五合を炊いとけば2食はいける、納豆、卵かけ、味付け海苔やレトルトものも良いが、塩辛だのキムチだの昆布の佃煮だの魚の缶詰めだの、極めつけは“ふり掛け物”を買って置けはご飯が何杯でも食べれる☆野菜は洗ってトマトやキュウリは切って、レタスなど葉ものは適当にちぎってドレッシングかけて食べればいい、味噌汁も冷凍真空パックした具つきインスタントもので充分である・・・

雑穀畑<script type="text/javascript"></script>

一度、義姉が鶏のモモ肉を焼いたものと高野豆腐とちくわの炊いたのを料理してくれたと言うので、貰いに行った、久しぶりの家庭料理にありつけ、旨かったのなんのってありゃ~~しない!☆バナナは今んとこ買えたして欠かさない様にしている、ミカンは義姉と義兄からのもらった物がもう少し残っている、我が家の柿は今年不作の裏年で余り実らなかった、また毎年、野鳥達の餌さになるのが常ではあるが、多少の収穫はあった☆糖分の多い果物の摂取は要注意で!毎日、ミカンか柿一個とバナナ1本ぐらいで充分である・・・

洗濯物は朝干せば3時すぎには乾いている、3時半頃に取り入れ、たたんで行く、しかし雨の日には無理で!そのままにして、もう一日干す、どうやら家内は着替えを3セット持っていっているようで問題はない、問題は曇りの日である、3時過ぎでも生乾きである、出来れば、その日のものは、その日に片付けたいので、触ってみて湿り気のないものは、そのまま取り込むようにしている、あとは家内が判断して病室で干してくれている・・・

洗濯物を片付け、郷土研究に出かけるのが4時頃になってしまう、あちこち、さんざん歩き回っていると病院に着くのが早くても6時を過ぎてしまう!そして病院を出て帰路に着くのが夜の帳がスッカリ降りた7時を過ぎる、桜坂を通り日岡山を降りていくと、先日、澄み渡った、常樂寺の高台の方に目を向けると大きな火の玉がゆらゆら交差しながら飛んでいた!生まれて初めての体験だった、小生鈍感なのか、そのような現象をみても驚かない、常樂寺の本堂の裏手には古い墓石が立ち並んでいる、そもそも、この日岡山公園自体が日岡山古墳群の中にある・・・

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今では南大野へ抜ける近道を通る、日岡体育館と野外市民プールの間から入り、植樹園の森を抜け、“市民の森”から“いこいの広場”を通り抜けると、だだっ広い日岡公園墓地が広がる、常應山・佳福院の前を過ぎると、そこには暗黒の闇が待っている、昼間でも竹薮が鬱蒼(うっそう)と茂り薄暗く、夜になると照明もなく真っ暗闇になる下り坂を通って帰っている・・・

その近道は幅が1mほどで右サイドに浅い側溝があって手探りでないが、足探りの感を頼りに、長さ200mほどクネクネ曲がりくねって下って行く、その途中の右手には“勅使塚古墳”がある、その近道は竹の根っこがいたる所で粗末なアスファルト舗装を押し上げていて、つまずきそうになったり、よく側溝にはまりそうになる!スリル満点である・・・

その坂道を下ると、街燈が点在する新井緑道沿いに新井用水が流れている、そこを渡って南大野を抜けて、日岡神社の大鳥居の下の参道を横切って、新別府川沿いの遊歩道を南にとって家路を進んでいく・・・

先日2日間ほとんど終日雨になった、その1日目、好奇心に駆られて、病院の裏側に伸びる坂道を上って裏門から入れんもんか確かめたかった、しかし地下階と保育園へ通じてはいたが裏門はシッカリ施錠してあった!そこから目の前に広がる“新池”を観てから表へ廻っていった・・・

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その夜に、傘を差してその坂道を通って帰った、雨の日は火の玉は出んだろうと睨(にら)んでいた、な~~んでか?それはね、雨で火の玉がジュジュ~~と消えてしまうからである(笑)なんちゃって、矢張り何も現れなかった、今んとこ、火の玉が出たのは一回きりで、その後は一度も遭遇していない、空気がよほど澄み切って乾燥した夜でないと火の玉は飛ばないのだろうか?・・・

一昨日と昨日に掛けて久しぶりに水管橋の袂を降りて、加古川河川敷の“水面ロード”に出た、そこから上流に向かい加古川大堰へ向かった、途中、改めて水面ロードから眺めた曇川樋門をカメラに収めた・・・

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途中、気がつくと小生の前を犬が一匹トボトボと歩いていた、犬も小生に気付き振り返った、よく観ると立派な首輪をつけ、顔に白髪が目立つ柴の老犬だった、飼い主からはぐれたのだろうか?可愛そうに後ろ脚を痛めたらしくビッコをひいていて痛々しかった、話しかけると、助けを求めるように小生の顔をジッと見詰めていた、家内に持っていくミカンが一袋リュックに入れていたので、2個皮をむいて房をほぐして目の前に置いてやった・・・

その犬は暫らく観ていたが、近づき臭いをかいで食べそうになったのを診定めて、小生はその場を離れ歩を進めた、その日、帰ってから早速、今度あの犬にあったなら何時でも餌をあげれるように、リュックにドッグフードを袋に一杯にして入れておいた、そう言えば、水面ロードを走っていると、時々尋ねられたものだった、『ここらで、このような迷い犬を見かけませんでしたか?』と、飼い主よ!早くあの犬を探し出してやってくれ!・・・

これまで、その傍を普段何気なく走り過ぎていたが、水の恵の歴史の宝庫、加古川大堰の敷地内にある“加古川大堰記念公園”が近づいてきた、その直ぐ手前に、大水の時、堤防の決壊を防ぐため、江戸時代に河岸から30mの石積みが築かれ、流れを緩やかにする“長波止(ながはと)の跡”があった、もう少し進むと、向こう岸、薬栗(くすくり)や都染(すそめ)の渡し場まで船で渡る“西条の渡し場跡”の石盤が堰堤に埋め込んであった、昔の名残だろうか杭の列も?その沖に残っていた・・・

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草谷川が加古川本流に合流する巨大な樋門がそびえる“草谷堰”が大堰の袂に広がっている、今も加古川市民に水の恵を与えてくれている五ヶ井用水新井(しんゆ)用水の歴史の資料が一杯詰まった加古川大堰記念公園に始めて脚を踏み入れた、まず草谷堰周辺の全体の見取り図を暫らく眺めた・・・

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先日登頂した城山の麓、JR加古川線の直ぐ傍、大和会館の西に位置する“五ヶ井用水と新井用水の起点”へ急いだ、加古川本流から五ヶ井堰取水口から取水された水は一旦タンクに貯められ、サイホン・システムの流れに乗って“五ヶ井用水と新井用水の起点”となる埋没管から勢いよく流れ出て、2本の水路となって下流へ流れ行く、そして神野の地を縫って神野西の方向へ伸びていくのである、五ヶ井用水路は曇川に合流するが、新井用水路は曇川の下のサイホンをくぐり、日岡神社の方向へ流れていく・・・

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記念公園内を隈なく探りめぐった頃には、夕暮れも迫り、今日一番のお目当てとしている“太子岩”探しを急いだ、飛鳥時代、西暦589年、崇峻(すしゅん)天皇2年に鶴林寺を建立・開基した聖徳太子が、五ヶ井用水路に勾配をつけるため、鶴林寺の“三重の宝塔”の上端と同じレベルなるように掘り進めて行った基準石である・・・

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堰堤が2箇所あって紛らわしかった、最初、本流側の堰堤と思い込み、その尖端にある急勾配の石垣にシガミ着きながらやっとの思いで水辺へ降りた、しかし幾ら探しても、そこには太子岩はなかった、その時、堰堤の上にリードなしで、バイクに大きな黒のラブラドールを乗せて小生と同世代くらいの男性がやってきた・・・

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そのラブちゃんは水辺にいる小生を見つけて、初めは堰堤の上から吼(ほ)えていたが、何時の間にか、なんとま~~!こんな急な石積みの崖を駆け下りてきたのか!?小生の直ぐ横に来ていた!顔を覗けば人懐っこい顔をしていて危害を及ぼさない犬であるとすぐ分かった、「すいません!」と謝りながら、その飼い主はそのラブちゃんを堰堤の上へ呼び戻した、オッ!よじ登っていくこといくこと!!・・・

その男性に、ここら辺で太子岩を見かけたことはないか?と尋ねると、地元に住むその男性は直ぐ向かいを指差してくれた!その方角、直ぐ目の前、外側の堰堤の下の水辺に目を落せば、ゴミを被(かぶ)った大きな岩らしき物体が見えた!『あれだ!あれに間違いない!やっと逢えた!』、やっと捜し求めていた太子岩に巡り逢えた瞬間だった!・・・

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急いで堰堤をよじ登り草谷堰樋門へグル~~と廻ると、そこには“デッカイ文字で“太子岩”と書かれた銘盤が埋め込んであった!ヤッホ~~~!遂に太子岩を発見したのである!直ぐ薄明かりの中、堰堤を水辺まで降りて行って何枚もシャッターを切った!御蔭で小生のジャージーは一面雑草の種のイガイガだらけになっていた!・・・

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その夜、城山の麓の坂を駆け上り西条山手に上がり、上ノ山を抜けて、家内の病室に到着したのは、7時頃になっていた、『時間通りに来たことがないね!人間不信になるわ!』とぼやかれた、縫合ホチキス針を抜きさる抜糸は前日にされたが、手術跡の引っ付き具合いが芳(かんば)しくなく、どうやら入院が1週間ほど伸びるらく、今、形成外科医にかかっているらしい・・・

洗濯物と数少なくなったミカンを渡し、この日に出た洗濯物を受取って帰路に着いた、日岡公園墓地の竹薮の近道を通って家に辿り着いた頃には8時を廻っていただろう、あ~~しんど、入浴後、炊いていたご飯にカツオおかかをふりかけ、キムチのパックものとイカの塩辛をつまみながら夕食を済まして早めに寝床に就いた(-_-)zzz・・・

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