新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

今年も1年お世話になりました

2023-12-31 23:22:59 | 季節

気が付けば大晦日で、本日は掃除やらおせちの用意などで朝からバタバタ状態。それでも今年はまだ雪がないので、雪かきからは解放されていて、来られるお客様もビックリな状態。

いつもなら、正月に屋根の雪下ろしを避けるため、事前に行う必要があるかとか、年明けいつ頃屋根に上がろうかなどと考えなければいけませんが、年明けの天気予報も雪マークより雨の方が多く、気温も10℃に迫る予報とどうなっているの??という感じで、むろん屋根に上がる必要も当分はなさそうですし、年末年始に来られるお客様の駐車場の確保も全く心配なし。

1月後半以降、この反動が非常に怖くなっていますが、降らなければ降らないで、夏に渇水のリスクが高まるので、痛しかゆし。周辺の田んぼでは、稲の刈った後の株がまた出てきましたし、積雪で餌が見つからずに河川に避難していた白鳥もここ数日、近くの田んぼに戻ってきているようです。

さて、今晩はこれから近くのお寺さんに行き、除夜の鐘打ち放題、その後は初詣で神社のはしごを予定しています。これも雪がないので、例年よりも移動に時間がかからない可能性が強く、少し遅めに出発する予定です。

一時

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年末年始は閉まっているところ多いので要注意

2023-12-30 23:18:47 | 季節

昨日・今日から年末年始のお客様が来られています。お客様の中から、年末年始は食べるところも、温泉もお休みになるところが多く、苦労するとの話。東北の田舎では、年末年始は観光客を迎えるより親戚家族が返ってくるのをもてなす時期という認識がいまだに強く、全国チェーンの店などでは異なりますが、地元資本や家族経営のところなどはお休みにするところが多いようです。

情報はネットの時代ですが、この年末年始の営業状況をネットに挙げているのはやはり全国チェーンの大手がいいところで、家族経営の店などがやっているのかどうかは殆どわかりません。車で来られた場合は、寒い中でもウロウロして探すことは可能ですが、雪の時期ですので鉄道で来られた方はそんなに探し回るわけにもいきませんので、事前に当たりをつけてくるか、電話で事前確認してから来た方が良いようです。

当YHでは行く場所の紹介-情報提供-は行いますが、お連れすることは物理的な面もあり、ほとんど行っていません。また年末年始の営業状況も地元にいてもなかなか情報が集まりませんので、自己責任で行って頂くことになります。大晦日の夜だけは、除夜の鐘つきや初詣などは希望者をお連れすることはここ何年か恒例にしていますが、元日の昼間なども特にイベントはありませんので、お客様自ら何をするかを考えて来て頂けると助かります。

 

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横手の積雪ゼロcmに/白鳥飛来地(鶯野)の下見

2023-12-29 23:32:56 | 季節

11月末から12月月初の降雪はピーク33cmまでありましたが、9日には積雪がゼロになり、17日から先日までの降雪もピーク時に18cm程までしかなく、本日夕方には横手の積雪計でゼロと表示されました。予報では年末年始も引き続き暖かく、降っても雪ではなく雨との予報。いつもなら年末年始のお客様用の駐車場の確保をそろそろ考えないといけないのですが、今年は雪が全くという程なく、建物北側の駐車場でさえ使用可能な状態で、その点だけで言えば大助かりです。

さて、今日はこれからのお客様に勧めるために、中仙(鶯野)の白鳥飛来地の下見に行きました。先日横手焼きそばの情報不備が発覚し、白鳥に関してもネットで直近の情報を得ることが出来ませんので、自分の目で見るのが一番確実。ということで買い出しのついでに足を延ばしてみました。

国道105号でイオン中仙の北、中仙公民館鶯野分館の先の路地を左に曲がって踏切の先の田んぼが飛来地。本来はその先の玉川にいるのですが、田んぼで餌付けが行われているため、田んぼにも多くの白鳥がいます。

何年か前から田んぼで重機が動いていましたが、今年は道を挟んだ反対側の田んぼに多くの白鳥が来ていました。鳥インフルの恐れもあるので、近つかず少し遠め(数m)から。午後に行くと、逆光になるということもわかりました。

時々

 

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古い情報が使えない!

2023-12-28 23:27:08 | 食文化

先日のお客様が横手焼そばを食べて帰りたいとのことで、夜の作戦会議で幾つかの横手焼そばが食べられるお店を紹介しました。翌朝、年末と云う時期的な問題から開いているかどうかをネットで確認したところ、新型コロナの影響もあってか、道の駅の店が閉まっていたり、別業態の店に代わっていたりと、かなり怪しげな情報になってしまったようです。あとで聞いた話では、道の駅の人に聞いて、藤春食堂で食べることは出来たとのことでしたが、十文字から横手に戻ることになり余計な時間を取らせることになってしまいました。

当YHからは日常で横手焼そばを食べに行くには近すぎて、なかなかチャンスがありません。2009年(平成21)に横手でB-1グランプリが開催され、横手焼きそばがグランプリに選ばれてから既に14年、ブームから一般化が進み、一方で提供する店の新陳代謝も始まったようで、かつてお勉強した知識は過去の遺物になりつつあるようです。

情報は鮮度が命。年明け早々にもう一度横手焼そばの食べ歩きでもして、新しい知識を得る必要があります。ただスタンプ集めのように一日10カ所などということは難しく、一日で廻れるのは精々3カ所がいい所かもしれません。順番によっては、美味しい所も美味しく感じないかもしれず、食べ歩きと云うのは時間とお金がかかりそうです。それでも雪の時期に、横手なら度々行くことも出来そうで、冬の時間つぶしには良さそうです。

一時

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2024年花火暦を調達/JRのステーションオフィス

2023-12-27 23:16:02 | 季節

本日は所用で大曲駅に出向いたので、ついでに観光案内所で2024年の花火暦を調達(寄付100円)してきました。大曲の花火・春の章(新作花火)4/27、全国花火競技大会8/31、秋の章(花火芸術祭)10/5となっています。

ついでに駅の緑の窓口周辺のパンフレットの調達も行いましたが、狭い待合室にあったのはJRのステーションオフィスのブース。先月埼玉に行った際、大宮駅や浦和駅にあり、こんなところでも今の人は仕事をさせられるのか、と考えたものですが、まさか大曲駅にも出来ていたとは驚きでした。

ただ都会とは異なり、大曲駅周辺にはドトールもスタバもなく、喫茶店が一軒あるだけで、新幹線の中で仕事をしてきた人がもうちょっとで終わると云うタイミングならあれば便利なのでしょうが、かなり強引に設置した感は否めず、収支的にも銅なのかと疑問に思いますし、いつまであるかなと。

ちょうど東京からの新幹線が着く時間で、改札口外には多くの出迎えの人が来ていました。新型コロナの5類移行後初めての年末ですし、コロナ流行中は帰ってくるなとの声が大きかった秋田県ですので、早くも帰省が始まっており、到着後はよくテレビで見る光景が繰り広げられていました。

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秋田の食べ物-だまこ鍋

2023-12-26 23:11:39 | 食文化

だまこ鍋は、炊いた米をつぶして直径3センチほどに丸めた団子状の「だまこ(餅)」を、鶏がらベースの汁に鶏、野菜などを入れた家庭で作られている鍋料理。主に八郎潟町や五城目町と云った県央沿岸部の郷土料理。

きりたんぽ鍋と兄弟のような料理だが、きりたんぽは表面を焼くのに対して、だまこは焼かないのが一般的。そのため出汁が染み込んでふわふわもちもちになるという。秋田では、子どもの遊び道具「お手玉」を「だまこ」と言い、ごはんの団子がお手玉の形に似ていることから「だまこ」の名が付いたとされています。

この地域では、八郎潟の幸であるワカサギ、フナやシラウオなどを焼いたものを鍋に入れて、味噌で味を付けた郷土料理「つけご」という食べ方があった。当初の「つけご」はお米を半殺し状態にし、たんぽ状にも団子状にもせずに汁に浸して食べたとも云う。1970年代に八郎潟が干拓されて漁獲量の激減により魚離れが進んだことや、五城目地域が阿仁地域と深いつながりがあったことで山の料理のきりたんぽ鍋が伝わったことで、魚の代わりに鶏のガラと肉が使われるようになったとも考えられています。

だまこ鍋は「庭あらい」の際に食したとの記載が見られます。庭あらいというのは、農作業が終わり、薪集めも終わった大晦日に、農機具や神様に感謝して祭り、飲み食いをした習慣。これが1980年代後半には薪集めが不要になり、秋の収穫祭と庭あらいと合体した習慣になり、秋の新米でだまこ鍋を食べる習慣になったとも云われているようです。このため八郎潟や五城目では正月料理という認識も一部に残っているようです。(写真は過去に撮影したものです)

一時

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秋田の食べ物-きりたんぽ② 鍋の具材とそのこだわり

2023-12-25 23:59:30 | 食文化

昨日のきりたんぽのお勉強の続きです。

きりたんぽ鍋の具材として、本場大館きりたんぽ祭りでは、たんぽの他に、比内地鶏(肉)とガラから取った出汁、ごぼう、きのこ、ネギ、セリが必需品で、他に使用できるものとして糸コン、サトイモ、食用菊を挙げ、これ以外は使わないものとしています。

比内地鶏は、元々は地鶏(比内鶏)で、肉としても出汁としても重要でしたが、1932年(昭和17)に国の天然記念物に指定されて食べられなくなりました。そのため1973年(昭和48)に当時の比内町の町長の発案で比内地鶏が誕生し、その後はきりたんぽ鍋には比内地鶏というのが定着しました。

きりたんぽの材料であるコメの品種にもこだわる製造業者もあると云われています。多少粘り気のある「あきたこまち」が最適だと主張する業者。いや、本荘、象潟など、由利地方の「ささにしき」が一番だとほれ込んでいる業者。中には、わざわざきりたんぽ用に各品種をブレンドして使う業者もいるほど

また木にもこだわりがあり、なんでもよいと云うのはなく、杉の木が木の香りもついて最適だとされており、農産品直売店や朝市などでは、杉の木が束で売られている。

具材でもう一つ、秋田の人がこだわるのがセリです。普通のセリは、葉の部分を使うが、きりたんぽ鍋では根っこも入れる。この根が良い出汁になるとのことで、秋田のセリは、葉が6割、根が4割と根が長く、そのまま販売されているものが多いのが特徴。セリは春の七草にも数えられる野菜で、冬が旬。このため、セリが入手しにくい夏には、暑さのせいでなく、セリが手に入らないため出さないという料理屋もあるとか。

こうしたこだわりの材料で作られるきりたんぽ鍋で、近年では醤油スープで(比内地鶏)鶏肉、他の具材も決められたものだけというのが固定概念になって来ていますが、明治以前は具材もスープの味もバラバラだったようです。

2018年(令和元)頃から、角館の安藤醸造元を中心に味噌味、豚肉のきりたんぽ鍋を普及させる動きがありました。イメージとしてはトン汁にきりたんぽを入れた感じ?従来のきりたんぽ鍋の固定概念に加えて、新型コロナの流行もあり、採金はトーンダウンしているようですが、そうしたものがあってもいいようです。(写真は過去に撮影したものです)

時々一時

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秋田の食べ物-きりたんぽ① 発祥と歴史

2023-12-24 23:09:47 | 食文化

クリスマスイブだと云うのに静かなYHです。ということで、先日開始した秋田の食べ物のお勉強開始。まずはどんなものがあるのか、並べて分類。その中から最初は、「秋田と云えば。。。」の後に続く言葉で最も多く答えが出るきりたんぽ。

きりたんぽは、炊いたお米を荒くつぶして(半殺しにして)、杉の棒に巻き付けて伸ばしてちくわ状にし、表面を炙ったもので、元々は「たんぽ焼き」と呼ばれるものでした。これを鍋に入れるために切ったので「切り」たんぼと呼ばれます。

きりたんぽの発祥は諸説あるようです。このうち、鹿角周辺の木こりが山に入る際に米を持っていき、焚火で温めるために木の棒につけて焼いたのが始まりというのが一番理屈に合っているようです。ある意味、自然発生的なもので、飛騨地方を発祥とする「五平餅」も同様のようです。

江戸時代の紀行家、菅江真澄の記録にもこの形で残されており、これに山椒味噌やクルミ味噌などを付けていたとのこと。この形を残しているのが「みそ(つけ)たんぽ」と呼ばれる食べ方。

江戸時代終盤頃には、たんぽ焼きを切って鍋に入れて食べるようになったとみられ、これが現在のきりたんぽ鍋の原型と云えるが、この時代にはまだ「醤油」が貴重品で、鍋の味付けは塩か味噌味だったと云われており、具材や出汁も鶏の他にウサギやヤマドリなども用いられていたと。明治初期にはきりたんぽ鍋として、鹿角では家庭料理、大館では収穫時期などハレの日の振舞料理として一般市民でも食べるようになったそうです。

きりたんぽ鍋が醤油味になったのは、鉱山景気で賑わう花輪に1872年(明治5)浅利佐助商店が醤油醸造を開始したこと。これにより高価だった醤油が身近になり、この頃にきりたんぽ鍋が醤油味に移行したとみられる。

明治20年代になると、「料亭みどり」や「一二三軒」「掬翠楼」といった花輪の料亭でもきりたんぽ鍋が来客用の接待料理で提供されており、中頃に大館の料亭「北秋倶楽部」の主人がこれを習って大館で料亭料理として形を整えたと云われています。

秋田市できりたんぽ鍋が料亭料理として供されるようになったのは明治の終わり頃のようで、秋田市の料亭「浜乃家」でも花輪の「一二三軒」で習ったと1934年(昭和9)のラジオ放送で紹介しています。

県内の一般家庭にきりたんぽ鍋が広まったのは戦後の昭和20年代後半。特に秋田の郷土料理として知名度を高めたのが、1961年(昭和36)の秋田国体で、この時に民泊が活用され、秋田の郷土料理としてきりたんぽ鍋が提供されたことがきっかけとなりました。

この後、秋田市の料亭「浜乃家」の声掛けで、秋田市内の料亭12軒がメニューに加えることで結束し、それまで「タンポ鍋」や「名物きりたんぽ」などバラバラな名称だったものを「郷土料理きりたんぽ」の鍋料理として定着させたと云われています。

一段と知名度が上がったのは昭和60年代。流通の大転換で宅配便が現れ、全国に配送することが可能となったため、秋田の郷土料理と云えば「きりたんぽ鍋」ということが知られるようになったとも。

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「秋田の食べもの」を再びお勉強

2023-12-23 23:01:38 | 食文化

年末年始を前にお客様も少なく、雪かきは今年今までほとんど不要で、かといって外出や畑仕事が出来るわけではない状態で、時間を持て余し始めました。家にいて何かできないかと考えていました。ネタ集めも不要でということで、当YHを始めて少しした時期に思いのままに作った「秋田の食べもの」ファイルの更新を始めました。

さすがに秋田に来て20年が経ち、生活している中で食べ物に関しては自然といろいろ知識もついてきましたが、その知識はまだバラバラな状態。一度整理する必要も感じていましたし、ファイル作成後に知ったものなどもありますので、そうしたものも加える必要がありました。

他にもやることがこの冬はいくつか出来そうですので、かかりっきりと云う訳にはいきませんが、それはオフシーズンで時間がありそうです。お客様があっても、半分は待つのが仕事でもありますので、5月連休頃までには少しは形になればと思っています。

調べる中で更に新しいものが出てきたり、今まで知っている中でも新しい発見があるかもしれません。近場なら改めて食べに行くと云うことも可能でしょうから、少し楽しみになってきました。

時々

 

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30年後に人口半減の秋田県

2023-12-22 23:56:58 | 季節

今日は朝から降った雪を昼間にとかすために3時間ほど消雪パイプを稼働しました。それでも積雪は20センチにも達せず、この時期にしては雪はないに等しい状態で大助かりです。

さて、今日のニュースで国の研究機関による2050年時点の人口予測が発表され、秋田県は30年後の人口が42%減少し、56万人(23.12現在91万人)になってしまい、高齢化率も65歳以上が占める割合は2050年に50%と人口の半数を占めることになり、減少率、高齢化率ともに全国で最も高くなるとのこと。

大仙市は43%減、横手市44%減の推計で、秋田市は28%減と減少率が最も低く、一方藤里町と上小阿仁村は63%減と今の1/3になるとの推計で人口はそれぞれ1,064人、760人と当YHのある大仙市藤木地区の人口(約2,000人)よりも少なく、市町村として機能が果たせるのか疑わしくなるでしょうし、公的機能の費用負担は一人当たりでも非常に割高なものになっていくだろうことは想像できることです。

このニュースを見てつい考えたのは、当YHの近くではどうだろうと云うことです。近隣の方なら、どういう方が住んでいるのか、さすがに20年も居れば大体わかりますので、そう考えると確かに半減近くなるだろうな、ということが現実味がありました。

のち時々

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