先日の大曲北部の石塔巡りで行った大曲の諏訪神社。昨日は、諏訪神社創建の時期について考えてみましたが、次の突っ込みどころ、仙北地域にはもう一つ、美郷町六郷にも諏訪神社(正式には現在、秋田諏訪宮)がありますが、つい考えてしまうのは、どっちが先ということです。大曲の諏訪神社の縁起は先に書いたもの。
一方、六郷の秋田諏訪宮は、坂上田村麻呂が東征の際に諏訪大社を奉じて国家鎮護の祈りをこめて創建したとのこと。このくだりはかなり眉唾ですが、次には建久年間(1190-99)に二階堂氏が出羽国六郷の地頭職を得て当地を管領し、1192(建久3)年に諏訪神社の大規模造営が行われたと記録にあるとのこと。その後、至徳年中(1384-87)には六郷に城を築くにあたり、諏訪神社を近隣の総鎮守として社殿を修復したとのこと。
江戸時代を見てみると、久保田(佐竹)藩3国社、12社というのが佐竹家崇敬社として取り上げられています。この中にこの地域で出てくるのは六郷・熊野神社と金沢・八幡神社の2つで各諏訪神社は出てきません。ということで、どちらが先とか、どちらが大きいというのは、素人には判断できないようですし、また、神様に順番をつけるのも失礼なようです。
本殿に関しては、先に述べたようにこの地域では数少ないコンクリート造りのものとなっていて、立派と云える反面、味わいは少ないのかなとも。こちらの宮司様は、当YHのある藤木地区の八幡神社も兼任宮司となっていて、2代にわたってお世話になりましたし、今の宮司様は市議会議員もやられていたりします。街中で氏子も多く豊かな方が多いようだし、正月の初詣は行列ができるほどなどからなのか、神社なのですが、お寺のような少しお金の匂いを感じてしまいました。