OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

成人たる資格とは・・・

2007-01-03 23:05:35 | Weblog
裕太も二十歳になり・・・8日には成人式があります。藍那の時には、振袖の段取りやら何やらで、けっこうバタバタしましたし、費用も掛かりましたが、裕太は男の子だし、ほったらかしです(^^;。

が、この機に、最近、話題になっている『十八歳成人案』については、どうなんだろうと、少しは考えたりしましたね・・・裕太、二十歳だけど、大丈夫なんだろうかとか(爆)。どうも、親の目から見ると、おぼこくて・・・(^^;。

十八歳成人案は、一応、若者を評価するような理由も付け加えられてますが、本当は、少年法に逃げ込む犯罪青年たちを厳しく処罰したいという目的が見え見えなんですよね。わたしにだって、彼らが少年法で守られている理不尽には、我慢できないという思いはあるんですが・・・だから、法的成人年齢を引き下げようとか言われると、なんか筋が違うような気がして・・・躊躇いが生じてしまいます。

だから、まずは、社会的状況優先ではなく、純粋に十八歳という年齢の人たちの精神的状態ってのを知りたいと思うんですが・・・とりあえず、自分が十八歳の時って、どんなだったかと思い出すと・・・頭は今より良かった気はするものの、心は育って無かったですね、わたしの場合は。

ほんとに、正直、頭は、今より、ずっと良かった気がするんですよ。物事に対する洞察力も鋭かったし、何より本質ってものを見つめようという姿勢が真摯だったですからね。けれど・・・頭の成長に、まったく心が付いていってなかった。だから、自分自身は思いっきり不安定で、他者に対してはムチャクチャ厳しかったです。いわゆる「生き辛い」状況ってやつでしたね(^^;。

けど、本当の頭の良さって、それを制御する心の成熟がないと成り立ちませんよね。その心の成熟こそが、成人の資格ってことだと思うんですけど・・・今の日本の社会は、その心の成熟を重要視していませんから、それを育てようともしていないでしょ。反対に、頭や体の成長を促進させることには、異常な興味を持っている。だから、青少年だけじゃなく、大人でも、頭はいいのに心が育ってない人の犯罪って多いですよね。

つまり、頭や体の成長に応じた心の成長を促した上で、成人となる年齢設定するならいいのですが、今のままじゃ、何をしても制度が更に歪になるだけのような気がしますね。ちゃんと、心の成長を大切に促していけば、案外、十五歳成人でも大丈夫かもしれませんしね。