OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

節約しちゃいけない時間

2007-01-21 20:45:59 | Weblog
以前、速読法を身につけたいとは思うが、果たして「費やす時間」というのには、まったく意味がないものだろうかという疑念を話したことがあると思う。

沢山の本や雑誌や資料を短時間で読み尽くせるということは、通常の読書で得られる量とは比べ物にならない情報量を得られるということだし、それはそのまま社会での戦力になるわけだから、とても好ましいことなのだけど・・・読書を、書物とのランデブーだと考えると、やはり「費やす時間」は大切なもので・・・速読だと、会っていきなりホテルに行き、前戯もなくSEXするような味気なさになってしまうのではないだろうかと思ってしまうのだ。

それは、テレビなどでよく見る「大食い」などにも、少し当てはまることで・・・早く沢山食べられれば、食べた量だけ食の喜びが増えていくのかと言うと、決してそうではないような気もするわけで・・・適量を、じっくりと時間をかけて味わうことを見直すべきかもと思わなくもない昨今なのである。

というのも・・・今の学生さんたちのレポートの主たる資料が、ネット検索した情報だということに、便利で羨ましいと思いつつも、やはり少し「どうしたものかなぁ~」と思っている自分がいるんだよね。これって、変化を嫌うオールドタイプの淀んだ発想だろうか。

正直、わたし自身も、今やネットによる情報収集には思いっきり依存してしまっているわけで・・・この便利さは、もう手放せないと思っている。以前なら、調べたいことがあって、時間をかけて本を丸一冊読んだにもかかわらず、使える箇所は数行だけだったなんて当たり前のことだった。けど、今では、欲しい情報が、その部分だけ切り取った形で、魔法みたいにパッと手に入るのだもの、これはもう便利を越えた有難さだ。けど・・・

やっぱり、借り物の情報を切り張りして作ったものは、自分のモノではないわけで・・・それを自分のモノにするためには、それなりに練り上げ熟成させることが必要なわけで・・・そこは、決して時間を節約してはいけないわけで・・・と、当たり前なんだけど、自分にとって当たり前じゃなくなっていることを、少し反省したのでありました。

心の耐震構造は・・・

2007-01-20 17:01:52 | Weblog
柳に雪折れなしという諺がある。強そうに見える堅剛なものより、柔軟なものの方が、衝撃に強いということだ。柔道でいうところの、柔よく剛を制すというのと、似た発想かな。建築関係で、耐震や免震構造の話を聞いていても、どうやら、揺れを真っ向から受けとめてしまうガチガチに立てた建物より、揺れを吸収して逃がす工夫をした方がいいようだが・・・これも、柔よく剛を制するパターンのような気がする。

が・・・キチンとすべきところはキチンとすべきなのかな・・・と、思うことがあった。いや~・・・話すのもお恥ずかしい、実にショーモナイことなんだけど(^^;。

実は、コタツを組み立てるときに、ナットを締める工具が見当たらなくて、手でクックックと回して絞めただけで誤魔化したんだけど・・・それが、今になって、カタカタするんだよね。少しずつ緩んできてるってことなんだけど・・・それが分かってても、面倒だから、そのままにしている。が、このままだと、ネジもネジ周りの木も傷むだろうなぁと・・・絶対に、傷むに違いないと・・・キッチリ嵌め込むところはキッチリ嵌め込み、シッカリと絞めるところはシッカリ絞めなきゃ、余計な負担を生むなと・・・これは、決してに耐震や免震になってないなと(爆)。

分かってるなら、早く絞めろよって話なんだけど・・・それが、たかがそれだけのことが、ヤケに面倒なんだなぁ(^^;。

と、これだけで話を終えると、わたしが本当にダメな人間に見えるので(←見えるんじゃなく、実際にそうだけど(^^;)、一応、それらしい話をしておこう(爆)。

若くて繊細で心が弱かったころ、わたしは剛の鎧で心を守っていた。でも、それじゃぁ、運よく自分を守りきれたとしても、自分の周りの人にまで手が回らないじゃないかと気づいた。自分の大切な人たちを守るためには、柔な心を持たなきゃならない。ただし、その柔の心も、やっぱり芯にはシッカリとした剛の魂を持ってなきゃいかんのだけどね・・・とまぁ、アリキタリの話ですが、一応、賢っぽく付け加えておきましょう←って、これが一番、アホっぽい行為なんだけどね(^^;。

妖精を見なくなった・・・

2007-01-19 20:57:31 | Weblog
もともと、人生の中で、可愛い不思議少女であった時期が、一時もない。ということはもちろん、妖怪にも、幽霊・亡霊にも、妖精のたぐいにも遭遇した経験は無い。だから、藍那がコロポっクルを信じてたり、幼い裕太が妙なものを見かけたりしているのが、とっても羨ましかった。そのことを霊感があるという人に話すと、不思議と「ホントに?」と驚かれる。どうも、その筋の人から見ると、開花してないだけど資質はあるようなのだ。それが本当なら、ちょっと嬉しかったりする。だって、あまりに何もないと、鈍感な人のようで、素敵じゃない感じでしょ(爆)。

そういえば、中学の頃、霊感が強いという先輩から「資質は十分にあるけど、一生、見ないタイプね」と言われたことがあったっけ。「なんでさ、資質があれば見るでしょうよ」と、不思議に思ったので覚えてるんたけど・・・大人になってから、それってもしかすると、わたしが異次元なモノたちに怖がられる、もしくは嫌われるタイプだってことだったのかなと思うようなことが数回あった。

たとえば・・・OBERONのスタッフが、夜中にイベントの準備をしている時、事務所に異次元の人たちが出没するって怖がったことがあった。わたしが一階で作業をしてたら、数人のスタッフが二階からパタパタパタと降りてきて「今、二階にいます!!」って言うのだ。このままじゃ仕事にならないし、ここは一つ話し合わなきゃと思って、ワタシは一人で二階に上がった。でも、案の定、二階には何もいない、っていうか、わたしには何も見えないし感じられなかった。仕方なしに、心の中で「あなたたちにとって、この場所は大切な場所なのかもしれないし、居心地がよい場所であるのかもしれない。けど、わたしたちにとっても、ここは大切な場所で、わたしにとっては自分の城たる場所です。だから、お互いを尊重しあって共存できるなら共存しましょう。でも、それが出来ないなら、わたしも覚悟を決めますよ」とだけ言って、みんなの待つ下の部屋に戻った。そしたら、スタッフは何ともいえない表情で「居なかったでしょ」って言う。「どうだろう・・・わたしには何も見えなかったけど」って答えたら、「だって、入れ違うように、ここに来てましたもん。で、今、戻っていきました」って。「それ、どういうこと?わたし、嫌われてる?」って、わたしは少し憮然とした(^^;。みんなは「いや~、嫌いっていうより、怖いのかも」って・・・オイオイ、フォローになってないし(^^;。

けどね・・・確かに、自分でも、そうかもと思う部分はある。たとえば、子ども達が一人暮らしを始める時、わたしがストーカーだとか通り魔とか強盗だとか、そういうことを心配してると、子ども達が「それより、霊関係が怖いかも」って言うんで、思わず「それは大丈夫。悪戯の範疇を越えて悪さをするモノがあったら、うちのオカン怖いでと言えばいいから」って、本気で言ってたし(爆)。なんていうか・・・肉体のない「想い」のようなものが相手なら、わたしの子ども等への「想い」の方が勝つに決まってるっていう自信あるんだもん。だから「怨念対決なら負けへんで」と、本気で思ってるし・・・たしかに嫌われるタイプかもね(^^;。

あっ、けど、子ども博物館の入口に、いつも子どもが一人立ってて、中で遊んでいる子ども達を羨ましそうに見てるって言われたときには、指摘のあったあたりに向かって「一緒に遊んでもいいよ。でも、あの子達を怖がらせたりはしないでね」って、出来るだけ優しい心の声で言ったりしたんだよ。お互いに、相手を傷つけないように共存できるなら、異次元の人とだって仲良くしたい派なんです、これでも一応。異次元の人たちだけじゃなく、動物や植物とだって、何とだって、出来るだけお互いを尊重して共存したいでしょ。生きてる人間たちは、空間も時間も、すべて自分達の所有物だと思ってるけど、そんなの自分達で勝手に言ってるだけのことだもんね。

と・・・周辺には色んなことが起こりつつも、本人的には、まったく霊的なこと、不思議なこと、異次元的なことを体験することなく、淡々とアリキタリな生活を送ってきているワタシなんですが・・・ここからが本題(^^;・・・少なくても自分の脳の中には、ずっと、異次元や不思議世界を持っていた気がするんですよね。それが、どうしたことだろう・・・いつの間にか、自分の脳内まで、現実世界一辺倒になっている気がするんですよね。おいおい、いったいどうしてしまったんだ・・・ワタシ。だめだ、それはダメだ・・・絶対にダメだよぉ~。現実の生活の中では、正直、霊体験的なものは無くてもいいと思っているんですが・・・脳内からは失いたくない世界なんですよね。それなくして、生きていくのは味気なく辛すぎる・・・でしょ・・・ね。

また、枕が長くて、本題が一寸だけの文章になっちまいました・・・ごめんなさい!!

白い影

2007-01-18 20:05:58 | Weblog
朝、山猫軒に行って開店の準備をしていたら、窓の外、店の横を通っている国道に大きな箱型のトラックが止まった。隣が作業服を取り扱っている店なので、よく有ることなのだけど、何故か、今回、独特の陰りが店に掛かった気がした。

どうしてだろう・・・その前に、この感じ何かに似ている・・・わたしは不確かな記憶を手繰った。で、あっ!!と思いついた。雪に閉じ込められたときの感じ、あれに似ているのだ。雪が積もって壁になり、光を遮り影を作っているのだけど、同時に一面真っ白な雪の照り返しで、意外なところから光が射してくる、あの感じ。

まるで「白い影」・・・そうか、影って必ずしも黒くないのかぁ~・・・感動(^^)。

ちなみに、トラックは車体が全身真っ白だった。なるほどねぇ~。

縁というもの・・・

2007-01-17 19:54:17 | Weblog
あの日から、映画というもの自体が見られなくなった。とはいえ、やっぱり映画は好きだったんだな・・・しばらくしたら、どうしても見ずにはいられなくなった。とはいえ、亜細亜映画、特に中国語圏の映画は、さすがに無理で・・・もっぱら欧米の映画ばかり見ていた。三年くらい経ってからかな・・・やっと、亜細亜の映画が見られるようになったのは。でも、どうしても構えてしまって・・・どこか、余分なところに力を入れて、緊張して見ているようなところがあったんだけど・・・それも、最近になって、やっと、ほとんど以前同様の感覚で、広東語の映画を楽しむようになった。

ただ、戻ってきてみると、この四年半で、なんか微妙に変わってるんだよね・・・香港映画を取り巻く環境が・・・というより、日本での香港映画の扱いが、かな。韓流に次いで、華流が興り、台湾のタレントさんが台頭してきたってことが大きいんだろうな。もともと、香港映画には、台湾の俳優さんが当たり前に出演してらしたけど、昔は、あえてそれを意識することがなかったのが、今は、香港映画でさえ、華流の映画として紹介されるほど台湾の俳優さんがクローズアップされているのかな。韓国の俳優さんを、主要な役にキャスティングすることも多くなっているみたいだし・・・なんだか、浦島太郎みたいな気分で、取り残され感が募りまくり(^^;。

だけど、もちろん、わたしにも馴染みのある俳優さんたちが顔を揃えている作品もあるわけで・・・それらを見ていると、やっと「帰ってきた・・・」って気分で、ホッと寛いでいる自分がいるんだよなぁ。もしかしたら、日本映画を観ている時より、近しい気分でいるかもしれないくらいだもん。

もちろん・・・なんて言ったら、かなり失礼なんだけど(^^;・・・香港映画が、他の国の映画に比べて特に魅力的だとか、質において勝っているとか、そんなことは、これっぽっちも思ってないの。むしろ、駄目だなぁ~ってところだらけ。けど、そういうところすら愛しいのね。

要するに、恋愛と一緒なのよ。これしかないタイミングで出遭っちゃっのよ、香港映画と、わたし。

世界中に素敵な人は星の数ほどいるのに、何故「この人でなきゃ駄目」ってことになるのか・・・それはもう、客観的な評価の範疇じゃなく、出会いのタイミングと相性、つまり縁、それに尽きるでしょ。つまり、わたしの香港映画との関係も、そういう縁の事柄なのよ、きっと。

とはいっても、今は、香港映画に対して恋はしていないと思う。愛?う~ん、情かな(^^;。とにかく、もう身内みたいな存在なんだと思う。だから、大事にしていきたいと思う。出来れば、盛り立てていければ、もっといいとは思っているんだけど・・・(^^;。

なんだかね・・・最近、こういう縁で結ばれたモノたち・・・人も、モノでも、何でも、こういう縁で関われたモノたちを、大切にしていきたいなと思うようになってるの。だって、それが本当の財産なんじゃないかと思うしね。

香港映画と、すこし離れざるを得なかった時間が、それを教えてくれたかなと・・・休みの日に、映画三昧しながら、そんなことを思ったのでした。

ちょっと重めの恋愛論

2007-01-17 00:06:07 | Weblog
重めって言っても、特に内容がハードって訳じゃないですよ。所詮、書くのは、このワタシですから(爆)。恋愛掲示板に書くには、ちょっと真面目モードかなって程度のことです(^^)。

よく、男性でも女性でも、歳をとってくると年下が好くなるっていうでしょ。ずっと「へぇ~、そんなものなのかな」と、他人事に思ってたんだけど、最近、なんだか「分かるなぁ~」と思えてきてね・・・で、その話を、ちょこっとしようかなと。でも、弊害があるから、具体的には話せないなぁ(爆)。

とはいっても、わたしの場合、正直、もう本気の恋愛は有り得ないと思うんですよね。恋愛に限らず、わたしの場合、完全燃焼した事柄については、もうそれ以上を欲することがないみたいなんです。で、恋愛に関して、わたしはもう燃え尽きましたから、もう十分なんですよね。なので、年下が好いとか言っても、それは「たまらなく手助けしたいと思う」みたいなこと、まっ、せいぜい「愛しく思う」ってくらいなんですけどね(^^;。

でもね、わたしの最近の年下好みは、たぶん、年上の人たちへの大きすぎると期待と、それの裏返しの失望によるんじゃないかなと思うんですよね。となると、これは、かなり深刻な問題じゃないですか・・・ねえ。

いえいえ、年上だからって、決して完璧であれなんて思ってはないですよ。年上であれ、年下であれ、どっちかっていうと「欠点が素敵」だと感じられる人が好みですからね、わたし。愛しい人の欠けたる所が、わたしの居場所になるわけですから、完全体の人じゃぁ余地が頂けないってことだし(^^;。

でも、それでも、やっぱり、年上の人に対しては、年下の人に対するより、期待するものって大きいじゃないですか。完璧じゃなくてもいいけど、時による熟成が全くない人には、さすがに惚れられないでしょ。でも、いい具合に熟成している年上の人との出逢いが、最近、頓に少ないなぁと思うんですよね。

ということは・・・もしかして、わたしも、そういう魅力のない、つまり時の熟成のない人の一人になりつつあるのかなと思うと、猛烈に「嫌だ~っ!!」と思ったんですよね。で、人に好かれるとか、頼りにされるとかじゃなく、惚れられる人でありたいと思ったんですよね。なんだか、燃え尽きたはずの恋愛願望が蘇ってきたかも。もしかして、わたしの中で、精神的回春現象が起こったかな(爆)。

もともと、若い頃から恋愛ゲームには興味はない一本気派だし、今となっちゃ、やっぱり惚れたはれたは面倒なので、自分が恋をしていたいとは、どうしても思えないけど、惚れられる人でいたいとは思っちゃったなあ。そんな虫のいいことを思っても、無理でしょうか(^^;。

注*16日付けでUPしたつもりが出来ていなかったようで・・・日付は17日になっちゃいましたが、これは、16日の日記です。

顔を見て話そう!!

2007-01-15 20:30:55 | Weblog
今日は、朝一で県庁に行ってきた。『あいびー』の定款変更手続きの為だ。あいびーでは、今までに、介護保険法に基づく業務を行う為に1回、その介護保険法が改正になって新たに介護予防事業を始めることになり1回、計二回の定款変更をしているのだが、今回は障害者自立支援法の正式施行に伴う定款変更である。

で・・・前二回の変更の際には、提出先の県との打ち合わせは、電話とFAXと郵送でのやり取りだけで済ませていたのに、今回は県庁にまで足を運べと言われた。最初の電話で、担当の人にそう言われたとき、正直、わたしはカチンときた。大きな訂正があるわけでもないのに、なんで忙しい中、遠方からアンタのところにまで足を運ばなきゃならんのだと不満だった。どうしても必要なことなら、そりゃぁ行かずばなるまいが、電話やFAXや郵送ですむことなら、それで済ませてくれればいいじゃないか。実際、今まで、そう出来た事なんだから。

だから、「今までは行かなくてよかったのにぃ~」と、一応の抵抗を試みた。が、「みなさん、そうしてもらっているから」と、かなりケンモホロロに却下された。なので、渋々、本当に渋々、出かけたのだ、今朝は。

が・・・渋々ながらも、県庁まで行って、直接担当者と会って、話しをしつつ作業をすると・・・あぁ~、そうなのか、県の職員の人が求めているのは、こういうことなのかと理解した。

つまり、書類を整えれば良いわけじゃないんだ・・・いや、必要なのは、書類を整えることだけなのだけど・・・県のNPO係は、もっと突っ込んだ県内のNPO活動の把握を望んでいるのだと分かった。審査や尋問されるわけじゃないのだけど、何気に世間話として、事業内容の変化の理由や経緯、活動状況に関する我々の認識などを聞かれた。

もちろん、それが上からの質問で、何かあれば指導しようとか、ペナルティーを課そうとしているように感じられたら、こちらとしても決して愉快ではない。でも、ほんとうにそういう感じではなく、自分達が認証に関わっている県内のNPO活動の現場の雰囲気を知りたいという風だったので、むしろ好感が持てたのだ。

それに、電話で話している時は、まったくもって愛想の悪い高飛車なヤツだと思っていた人が、実際に話してみると気さくで、むしろ楽しい人だったのも、意外であり、反省させれられる点だった。やっぱり、多少面倒でも、実際に足を運んで、お互いの顔を見ながら、向かい合わせで話し合うのが良いと思ったね・・・うん、そう思った。

そうそう・・・担当さんから、あいびーの定款で「障害者」という言葉を避けているようだけれど、他団体で「障がい者」と表記を変えて使用しているところもあるから、それを使ってみてはと提案された。それで、「そう言われれば、我々は、子供と表記せず、子どもと書くんですよ。似た拘りですね」と言うと、「ええっ!わたしも、子どもに供という漢字は使わないんですよ!!」と、やけに漢字談義で盛り上がった。こういうことも、実際に会って話したから出来た会話だと思う。ふむふむ、やっぱり、嫌がらずに人とは直接話をするように心がけなきゃいかんね。

ちなみに、わたしが一番苦手なのは、実は電話だったりするんだけどね(爆)。

灰の降る午後(^^;

2007-01-14 21:42:31 | Weblog
何だか分からない違和感を感じて・・・四方八方に目をやった。いつもと違っていることはないか、違和感の素を突き止めようとキョロキョロした。と、窓の外、ずっと離れたところで、火の手が上がっているのが見えた。焚き火にしては不穏な炎・・・オイオイ、まさか火事かよ!!と一瞬焦った。が、場所は、たしか民家のない辺りだし・・・きっと、炎の様子がオドロオドロシイのは、燃やされている物が原因なんじゃないかと判断した。案の定・・・というか幸いにも、消防自動車が駆けつけてくることもなく、間も無く炎は鎮火した。

それだけなら「ヨカッタ、ヨカッタ、ホッ・・・」な話なんだが、実は、このエピソード、これだけでは終わらなかったのだ。なんと、それから数分後、我が家の周りに、大量の灰が降ってきたのだよっ。オイオイオイオイ、も一つ、オイオイ。まったく、勘弁してくれよ。洗濯物は汚れるし・・・マジで迷惑なこった。

突然ですが、よく「自分のしていることって、どれほどの意味があるんだろう」って、虚しさに囚われることがあるでしょ。「あるでしょ!」って決め付けちゃいけないか(^^;。少なくても、わたしは、しょっちゅうあるんだけど(爆)・・・この灰を見たら、本人が望もうが望むまいが、誰かが何かをすれば、その影響って、必ず何処かに現れるんだろうなって思っちゃったねぇ。

でもって・・・何を燃やすか、つまりは「何をするか」によって、当然、その影響も変わってくるんだね。願わくは、自分のしていることが、灰を降らすような炎になっていなければいいんだけど・・・なんとも自信ないなぁ(^^;。

水泳で、飛び込みって競技があるけど・・・あれって、なるべく水を跳ね上げないのが良い演技とされるんだよね。けど、プールに人体が投げ入れられて、波紋が生まれない筈は無い。どんなに巧く飛び込んでも、水面下では、その人の体を中心にして、水は大きく動きだしている筈。案外、良い作用って、そんな風な動きをするものなのかなぁ。

ん?話が、めちゃくちゃ飛んでる?わたしの中では、ストレートに繋がってるんだけど(爆)。喋っている時は、当たり前みたいに、こんな喋り方なんだけど、きっと、聞いてる人は迷惑してるんだろうな。文字にすると、自分でも、その欠点がハッキリと見えちゃうなぁ~。わたしって、迷惑なヤツだな(笑)←笑ってる場合か!!

とにかくね、存在するってことは、それだけで大きな影響力があるってことで・・・しかも、それに動きが加われば、良きにつけ悪しきにつけ、さらに大きな影響を周りに及ぼしてしまうものなんだよね。となると、自分で把握できる範囲を越えて、思いもよらない場所で、思いもよらない時に、思いもよらない形で、何かを引き起こしているかもしれないんだよね。

だとすると・・・それが、迷惑な灰にならないように・・・不完全燃焼だけは避けたいな・・・ねっ、そう思わない?!

アドリブ好き(^^)

2007-01-13 23:59:07 | Weblog
先週あたりから、続々と、新しいTVドラマが始まってます。いつも言っているように、あまり根気がないので、毎週見なければならない連続物のドラマというのは、性に合わないのですが・・・今期は、数本、続けて見ようかなと思うものがありました・・・うれしいことです(^^)。

でも、わたしがそう思うドラマというのには、あるパターンがあり・・・つくづく好みが偏ってるなと、我事ながら苦笑してしまいます(^^;。

そのパターンとは、一言でいうと「笑い」の要素があるということなんですが・・・必ずしも、爆笑コメディーでなくても、クスグリ笑いのようなものが随所に散りばめられていれば十分です。ただ・・・願わくは「アドリブ」の余地のある台本であって欲しい。東京方式の練りに練ったコメディー台本に則った笑いではなく、関西方式の、ある程度キャストを野放しにして、キャストの感性や技術を飲み込むような台本のドラマが好きなようです。

もちろん、本格的な意味で、この関西方式でドラマを成功させようと思ったら、相当に経験のある、また笑いのセンスのある役者さんを肝心な位置にキャスティングしておかないと、ただのダラシナイ腐れドラマになってしまうんですが・・・たとえば、お笑いとは無関係な若手俳優さん中心のドラマであっても、スタッフにセンスがあって、脇に何名か支えてくれる役者さんがいれば、最後には成り立ってくるんですよね・・・それもまた、醍醐味だったりします。

でね・・・これは、実は、会社のような組織作りでも同じだと、わたしは思っているんですよ。大企業に所属した、ましてや運営した経験はないので、この理論が大きな組織に当てはまるかどうかはわからないですが・・・もしもしたら、ソニー方式って、これなんじゃないかと思うんですが(^^;・・・人間的器や、経験や、センスのある人たちが、しっかりと周りで支えながら、ある程度は個人を野放しにして、キッチリとした仕事の中でも、個人のアドリブを活かすことが、組織全体を引き立てると思うんですよ・・・

おっと、今日中のアップの為には、もう送信しなきゃ・・・中途半端なUPでごめんなさい。でも、そういうこと、テレビを見ながら考えたのでした(^^)。

これもチラリズム?あるいは、ただのフェチ(^^;

2007-01-12 21:44:32 | Weblog
卒論を書き終えた藍那が、コタツに埋まって、爆睡している。少し、暑くなってきたのか、コタツから足をモゾモゾと出した。片足、しかも足首から先だけが、コタツ布団から覗いている。かわいい(^^)。

もし、わたしが男子なら、この光景には、ゾクッとするのかな(爆)。いやぁ~、男子じゃなくても、身内の女子でも、グッとくるよ(激爆)。

それは、少しだけ見える素足というチラリズムにヤラレルのか、単に、わたしが足フェチなのか。いんや、わたしは、足フェチである覚えはないから・・・やっぱり、チラリズムの威力か。それとも、単に親バカなだけなのかも(^^;。