OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

心裏腹

2007-01-29 23:55:48 | Weblog
急転直下、今日、レンジ君が、我が家に帰ってきた。バッテリーがダメで、交換するまでは動かないのだけど、それでも我が家に居るということが奇跡のように感じられる。

実際、数日前の警察からの電話は、ほとんど「諦めてくれ」という意味の内容だったし・・・そもそも、届け出た時から「こういうケースの場合、車を取り戻せる可能性は極めて低い」と言われていたし・・・。それに、同じ相手から、似たような被害を被っている人たちの車は、どうやら戻ってはいないみたいだし・・・本当に、この展開は、ありえないほど幸運なことのようだ。そもそもの発端が多いに不運な出来事なのだから、幸運と言ってしまうのには抵抗あるけどねぇ~(^^;。

おっと、簡単に、ここ数日の展開を説明しておこう・・・っていっても、ものすごくシンプルなんだけど・・・N署から、実質「覚悟をきめてださい」電話がかかってきた翌日、つまりN署の刑事さんが容疑者の拘留されているF署に出向き、事情聴取する予定の日の前日、またN署から電話があり「相手方の弁護士から、すぐにでも車を返したいから、連絡先を教えて欲しいという電話があった」と聞かされる。その電話の主が間違いなく弁護士であることは、N署の方で調べてくれていたので、「どうぞ、教えてください」と頼み、連絡を待つが、その日には連絡がなかった。翌日、つまり事情聴取の当日の朝、またN署から連絡があり、N署としての対応の仕方の説明をうけ、我々はまた弁護士からの連絡を待つ。と、今度はすぐに弁護士からの連絡があったが、弁護士本人は東京出張中で直接対応できないとのこと。そのかわり、何某というものが車を返却するから受け取って欲しいだって。もし、車がボコボコに傷ついていたとしても、それを相手に補償せよとか弁償せよといって、さらに彼らと関わりあうつもりもなかった我々としては、何の条件も付けず、それを了承する。と、今度は仲介役の何某から連絡があって、本日、七ヶ月ぶりに、レンジ君は我が家に帰ってくることになったのだ。幸いなことに、少なくても外見は、そんなに傷んでなかった。ずいぶん汚れてしまってはいたけど・・・。

で、ここからが本日の本題(^^;。この七ヶ月、我が家でこの話題が出る度に、わたしはずっと、前向きな発言をしていた。「なんか、わたしは、戻ってくる気がするねんなぁ~」みたいなことを、ことさら明るく言っていた。それに対して、ダンナは、いつも絶望的なことを言っていた。常に、期待してはいけないというスタンスだった。

が、こうなってみて、お互いに本音というものを告白し合ったら、なんと、彼もワタシも、心と言葉が全く逆だったということが判明した。わたしが、心からレンジ君との再会を信じていたのは最初の数ヶ月だけで、その後はN署のN刑事さんから言い渡しを受けるまでもなく、もう二度と会えないという覚悟を決めていた。が、ダンナの方は、わたしが最悪の事態にガッカリしないようにと防波堤を張っていただけで、ずっと好転する予感を持ち続けていたそうなのだ。

ふむ・・・分からないものだねぇ~・・・人の心って、その人の言葉からは・・・ねっ(^^;。